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智頭~因幡の山の冬と春


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 ひなびた場所の桜を求めて、中国山地の一角にある町・智頭(ちづ)に行った。
 杉林の山に囲まれた、因幡街道の宿場町。鳥取市から日本海に注いでいる千代(せんだい)川の、上流というか源流がある場所。その町中にある川の堤に、見事な桜の古木が、百メートル以上にわたって並んでいる。



 もともとは、「西日本の山中にある雪深い町」を求めて、この二月に訪ねた場所だった。
 昨夏、山の反対側にある岡山県・美作地方へ行った際に、土地の人々から
「ここはそうでもないけど、那岐(なぎ)山から向こう、智頭の方は豪雪地帯だよ」
という話を聞き込んでいて、それで町の「雪まつり」に合わせて訪れたのだ。
 しかし着いてみると存外暖かく、雪は河原や家々の軒を薄く染めているだけ。地面にも積もっていなくはないのだが、思いのほか浅い。夜に備えて様々な雪灯籠が道の両側を飾っているものの、よそから持ってきて置いた様なぎこちなさがある。
「ハハ、そんなのはホントに山奥の方だけだよ…この灯籠の雪だって、そこから運んだんだもの」
世話役のお一人であるらしい親父さんが、笑ってそのカラクリを教えて下さった。なるほど、町を囲む山々は確かに真っ白だ。
「……………」
 けれども、まず町並みがよかった。京格子、板塀、木枠の窓や玄関…さして広くない道の両側に、古い木造の構造物が並ぶ。旅行客の通り道もそうだし、そこから一本入った住宅地にもその空気が濃い。
 城下町などで、市町村が家主に補助金を出して町並みを維持している例があるけれど、ここでは二、三の保存家屋は別にして、役場は特に何もしていないとのこと。つまり町の人々の「なんとなく」に支えられて、この、かつて物流や林業で栄えた古い町はその姿を今にとどめているのだ。
 町の人々といえば、雪まつりにも手作りの空気があふれていた。露天商のたぐいは一軒もなく、辻々で空地にテントを張ったり、商店の一階を片付けたりして餅や汁、焼き鳥や缶ビールなどを売っている。そこで暖を取りつつ、昼は豆まき餅つきや杉玉作り、そして夜は雪灯籠の灯る町をそぞろ歩くだけ…。
「人を呼ぼうとするあまり騒がしい行事になり、町の良さが台無しに」
そんな失敗とは無縁な、静かで暖かいお祭り。というより、どうやら東京や大阪から人を呼ぶことなど念頭になく、鳥取市や、せいぜい山向こうの津山あたりから人を呼んで、そして自分たちも楽しもう、という趣向らしい。 



 にわか作りの「店」で、缶ビール片手に一休み。居合わせた人たちに声を掛けられ、話になる。町並みの感想を感激のまま話していると、後ろで立ち話をしていた、白髪混じりのやや上品な男性が隣に座ってきた。
「東京から来てみて、どうですか?」
住めるなら住みたい場所ですね、自分に勤まるような仕事があれば…と、素直かつ安易な思いを返す筆者。
「なに、仕事なら心配ない」
「へ?」
「東京まで智頭急行と新幹線で四時間。通っても十分睡眠時間が取れる!」
真顔で冗談を言いつつ差し出す名刺を見ると、この町の町長その人だった。
「この、目の細かさと真っ直ぐさが智頭の杉の特徴でね…一説によればその昔、大国主命が…」
木を貼り合わせて作った名刺を差しながら、町長氏は名産の杉材にまつわる雑学を熱く、しかし飄々と語って下さった。そして、初夏に山から吹いてくる「緑の風」の匂いを絶賛し、三月末の「雛あらし」という行事や四月に咲く川沿いの桜とあわせてぜひ体験するよう、まわりの人々とともに暖かい眼差しで勧めてくるのだった。
 …あの、つまり東京から毎月来いってこと?



 そんな次第で、桜というと智頭が思い浮かんだ。東京から中国山地というと果てしない感じがするが、上述の通り、智頭ならばそう長旅ではない。どのみち関西へ行く用事があったから、ほんの少し足を伸ばすだけだ。

 しかし夜行があれば、新幹線よりさらに早く現地入りできる。そこで費用の節約も兼ねて、前夜十時に、高松・出雲市行き夜行「サンライズ」の「ノビノビ座席」に乗車。朝六時前に兵庫県の西端・上郡に着くと、十数分後に智頭急行線経由・鳥取行きの特急がやってくる。
 列車は岡山県東北部の山地をかすめて鳥取県へ入り、その入ったところが智頭町なのだが、沿線の山野はまだ全体に枯れ木の色が濃い。
「東京の一週間遅れぐらいで…と思って来たけど、早かったかな」
 智頭駅で降り、まだ眠っているかの様な町を歩いて千代川にかかる橋まで来ると、果たして桜並木は、蕾の色でほんのり紅くなっているだけだった。無理もない話で、まだ吐く息が白い。
「……………」
 がっかりしろ、自分。そう言い聞かせなければならないほどに、しかし筆者はまだ咲かぬ桜の枝に見とれてしまった。おそるおそる、一歩二歩と近づく………東京でもどこでも、咲いた桜はおおいに人を集める。でもその直前までは、まるで別の木であるかの様に誰もそれを気に留めない。なのに筆者は今、乾いた枝の上で朝日を受ける、小さな紅い蕾がとても気になっていた。そして離れて眺めれば、紅色の霞がかかった様な不思議な世界が…東京で、蕾を付けただけの桜の木が、そんな風に見えたことがあっただろうか。
「あ……」

 冬には真っ白だった町を囲む山が、杉の深々とした緑色に覆われている。
 枝越しに見下ろすと、上流域の透き通った川の水が、ところどころで渦を巻きつつ豊かに流れている。
 その二つの背景が、蕾でしかない桜を鮮やかに映えさせていたのだ。

 人が来て、電球を吊り下げる線を木々に渡す作業を始めた。川を後にして、町中の、昔の街道だった通りへ。もともと観光客がどっと押し寄せる町ではないが、来週あたりの桜を前に出控えがあるらしく、古い町並みはひっそりしている。遠慮なく道の真ん中を歩いて景色を堪能し、一般公開されている広い屋敷をゆっくりとめぐる。酒の蔵元があり、ちょうど出たところだという新酒を味見。日本酒はやらないのに、思わず五合瓶を衝動買い。

 川のさらに上流が見たくなって、智頭急行の普通列車で、もと来た方へ一駅戻ってみる。
 大股十歩分ほどの幅になった川の周囲だけが平らで、その両側は杉の山。集落も駅も斜面にへばりついている。川筋には現代の因幡街道が沿っているが、車はポツリポツリとしか通らず、とても静かだ。
 ここにも川沿いの一角に桜並木があって、やはり緑の中にうっすらとした紅い霞を見せてくれた。川のそばには他にも、菜の花が点々と咲き、ネコヤナギが芽吹いている。冷たそうな水の流れが菜の花を鮮やかにし、菜の花の黄色が透き通った川面をさらに青くする。

 ひたすら杉林だけの様に見える山も、入ってみると梅がひっそり咲いていたりする。少し湿り気を帯びた様な、木の匂い…ここは確かに森の中なのに、目の前に白梅が咲いている。とても不思議だ。

「少し早く行って、よかったなあ…」
 その晩は大阪で、友人たちと夜桜を見た。東京では考えられないことだが、市内のそこそこ内側にある、名所とおぼしき公園にいきなり行って場所が取れてしまう。それも驚きだったし、なにより真っ白に映える桜はきれいだったけれど、その間もなお、智頭で見た紅色の霞は、筆者の頭を離れることがなかった。

 以上、四月の第一土曜日の話である。もちろん咲いた桜も格別に違いなく、それを見るなら第二土曜日あたりということになる。

富山から金沢~来冬はぜひ北陸へ

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 金曜の夜11時。仕事を終えた足で上野駅の長距離ホームへ。青い客車が待っている。
 手には「北陸フリーきっぷ」、そしてそれと一緒に発行された、値段の書かれていない寝台券。
 同じ料金で何にでも乗れ、そこに寝台列車が走っているなら迷うことはない。
 今年の春も何本かの寝台列車が消えていったが、この寝台特急「北陸」はフリーきっぷのおかげか、少なくとも週末は割合混んでいる。一番取りやすいだろうB寝台喫煙車で七割方の乗車。「カーテン一枚じゃちょっと…」という人に応えて個室のB寝台も多数あるけれど、そこなどは当然埋まっているはずだ。
 はしゃいだ子どもがウロウロし、随所で小声の酒宴が開かれている…まだ飛行機が高嶺の花で、高速バスも目立たなかった頃のにぎわいを追体験できるが、切符が取れなければ元も子もない。

 目が覚めると長岡で、まだ三時前。しかし、西へ向けて動き出した頃から周囲がもそもそと起き始める。
「雪だ!…やっぱ北陸だねー」
「でも降ってないね。昨日は晴れだったらしいよ」
 ゆうべ一時近くまで杯の音がしてたのに、元気だなあ…(人のことは言えないが)。ただ必ずしも無駄な早起きではなく、列車は五時前後から富山県内の駅へ停車をし始める。


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 高岡着、五時五三分。小雪が舞う闇の中を、一番電車でもと来た方(東)へ戻る。日の出前のしびれる様な寒さの中、各駅とも売店が開き、複数の乗客が列車を待つ。終点の富山に至っては特急の乗車位置に行列ができ、老若男女が湯気の中で立ち食いソバをすすっている。首都圏の様に遠距離通勤する必要がないことを考えれば、意外なほど早起きだ。

 朝食の三角寿司を片手に、富山平野を高山線で南へ。夜が明けた空は、曇天ながら雪が止んでいる。
 一両きりの列車に揺られること約四十分、両側に真っ白な山が迫ってきたところで下車。その笹津という駅の周囲は何もない小さな町だが、どっしりした古い造りの駅前旅館が残っていて、三十分ほど時間を作って見にいく程度の価値はある。

 そこに小一時間ほどいて、折り返しは旧式のディーゼルカー(右写真)。高山線もステンレス製のおもちゃみたいな新型車が占めるようになったが、朝六時前に富山発、折り返し猪谷を八時過ぎに出る便は昔ながらだ。カランカランカランカラン…遅いサイクルのエンジン音をバックに学生が乗り込む。向かい合わせの椅子が並ぶ車内は暖かみがあり、出入口と客室が仕切られているから実際に暖かい。コトコト進むうちに車窓はまた平野になる…このあたりから日が射し始めて気温も上がり、雪景色が消えてしまうのを危ぶみすらしたのだが…


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 高岡へ戻ると、前方の見通しが効かないほどの雪。そして手がちぎれるぐらいに寒い。よりによって「ここで一時間ほど潰そう」という計画だ。さらに、車でこちらに向かっている関西の友人たちから「大雪で速度規制です!」「福井県突入、前が見えません!」といった知らせが届き、滞在時間は延びていく…。
 しかし旅行客にとっては異常事態でも、土地の人々はホーム側線で、黙々と日常の営みを続ける。その風景に筆者もつい夢中になる。

 昼頃、止まない雪の中を西へ進んで倶利伽羅(くりから)峠を越し、加賀の国へ。
 金沢の西郊・松任で友人の車と待ち合わせだが、着く頃にはウソの様に晴れてきた。
「あったかいね~」
「雪が止んでよかった」
 が、昼飯を済ませ「さあ撮影地へ!」と勇んで店を出ると、またもや鉛色の空から白いものがチラホラと…
 加賀笠間駅そばの撮影地に着く頃には、下の様な状態に。

 自販機などなく、頻繁に列車が来るため車で暖を取るのもままならない。仕方なく、道路標識や人の三脚などを的に雪玉を投げまくって体を温める一行。ワインドアップ、サイドスロー…もうタダのアホにしか見えない。
 滞在二時間あまり。引き上げる頃になってようやく茜色の夕空が姿を見せた。
「おい………」
 ちなみに北陸という場所は、「日本海岸」という言葉が持つイメージに反し、実はダダッ広い平野が多い。この撮影地はその「真の姿」がよく伝わる場所の一つだ。そして北陸本線はその平野の真ん中を走っており、これまたイメージに反して車窓から海はあまり見えない。
 だからという訳ではないが、宿は松任近郊の海沿いにした。しょっぱい温泉が湧き、新しめの日帰り温泉と宿とが一つずつある。雪がなくとも美しい眺めなのだろうが、砂浜に雪が積もっているという光景がとても不思議だった。
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 一晩中ずっと降ったり止んだりしていたが、翌朝はきれいに晴れた…と思いきや出かけるなり降ってきた。なぜか一行がどこかへ着くと降り始め、車に乗ると晴れるの繰り返し。おかげで、横なぐりの雪の向こうに青空が見えるという奇景も。
 東へ戻り、倶利伽羅峠の山中へ。もちろん降っていて、そして滞在時間の後半になってから晴れた。

 静かな山の中だが、振り返ると倶利伽羅駅が見え、列車でも来られる。線路沿いの一角には竹藪に囲まれた小径があり、いい雰囲気だ…そこを重厚な貨物列車や、手加減なしの高速運転をする特急列車が駆け抜け、静寂を適度に破っていく。もっとも列車が通らずとも、我々一行のバカ騒ぎが山にこだましていたが…。

 峠を東へ越えて、石動(いするぎ…富山県小矢部市)から帰りの列車に乗る。ようやく固定して晴れるようになってきたので滞在を延ばそうとしたが、当初予定より一本後の「はくたか」はあいにく満席だった。
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 平野の向こうに見える雪山をしっかり目に焼き付け、高岡までの普通列車に乗る。高岡からは越後湯沢まで「はくたか」で二時間、そこから新幹線に一時間半乗ると東京だ。値段はフリーきっぷのおかげで、往路や現地の行ったり来たりとあわせ二万円あまり。
 これほどまでに景色が違うのに、近すぎ、そして安すぎる。

雪男の旅・予告編

1月26日、雪。
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前の日までよく晴れてたんだけど…とのこと。そして翌日の帰り際になって、空が晴れてくるのを見た。


2月2日、雪。
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小さな町の小さな雪祭りを楽しみに出かけたものの、あいにくの高温で雪灯籠が解け始めていた。
が、ひとまず宿に荷物を置いた頃から粉雪が斜めに降り始め(左)、夜には見事な雪祭り(右)に。翌日も午前中、雪。



 冬の旅先に雪を降らせるのは、これで四年連続七回目ぐらいになるだろうか。
 とにかく、冬から春先にかけて筆者がどこか遠くへ行くと、そこに雪が降る。
 …断っておくが、どの旅先も寒いとはいえ、決して豪雪地帯ではない。昨年この「近況報告」に書いた信州・諏訪地方も、今回行った北陸沿岸部や山陰の川沿いの町も、地名からイメージされるほど雪は頻繁に降らないのだ…筆者も後になって初めて知ったのだけれど。

 もちろん、田舎の雪景色という、日常生活で見られない光景に出会えるのは大歓迎だ。
 しかし、何事にも程度というものがある。
「先生、少しは加減して下さい!」
 降り始めてから仲間が筆者にそう叫ぶ状態になるまで、さほど時間を要しない。そのまま大粒のヤツが横なぐりに降り続け、写真撮影をしている間ずっと止まないのだ。
 被写体ではなく、その手前の雪粒にピントが合ってしまう。
 長めのレンズフードをつけているにもかかわらず、レンズに雪が入ってくる。
 一面真っ白…被写体が色の濃い列車だったりすると露出で死ぬ。
 そして、全員雪ダルマ。
「かなわん、引き上げよう」
 すると小止みになる。が、灰色の雲がついてきて、行動再開とともにドバーッ。

「こりゃ、地元の皆さんにもいい迷惑かもしれんな…」
 いや、逆に活用してもらおうか。雪祭り系の行事ができなくて困っている町、スキー場の雪が少なくて困っている村、ラッセル車の出動が見たくて困っている鉄道マニア諸兄…汽車賃と宿さえ用意してもらえれば、どこなりと喜んで参上いたしますよ~!
 …ってお前、喜んでるじゃん。

 ともあれ、そんな筆者が見てきた景色・触れてきた人々に、次回からしばしお付き合いあれ。

山道と温泉~もうひとつの東海道線をゆく

【「東海道線鈍行の旅」の旅程・弁当・温泉に関する参考資料がこちらにあります】


 帰省先・大阪にて。

 岡山名産「あたご梨」(叔母の土産)。規格外れにデカい動植物というのは普通まずいのだが、大きい分だけ梨の味と水気を満喫できた。


 さて、帰りは1月3日。手元には相変わらず「青春18きっぷ」しかない。
 行きは"東海道本線"を忠実にたどってきたので、今度は「本当の"東海道"」をたどることを考える。となると草津で東海道線を離れて南東に進み(草津線)、伊賀国・柘植で関西本線(大阪~奈良~名古屋)に乗り換えて→亀山→桑名→名古屋となる訳だが、これだと関西線の列車に途中駅から乗ることになる。この区間の関西線は需要ギリギリまで本数・両数を絞った超ローカル区間。そういう場所は「18きっぷ」シーズンだと、限られた列車に旅行客が集中、ときには殺到する。
 そんな訳でややアレンジして、京都から奈良線で木津(奈良の2つ北隣)まで下り、そこから関西線に乗ることにした。木津の1つ先・加茂が、以東の「超ローカル区間」の始発駅である。

 10時すぎに、東海道線の快速電車で大阪駅を出て、高槻で後から来る新快速に乗り換え。正月らしいのんびりした車内。
 が、京都で降りて奈良線ホームへ行くや、通勤ラッシュみたいな阿鼻叫喚が待っていた。
「ドアが閉まりまーす!ドアを閉めさせて下さーい!」
駅員の制止にもかかわらず、すし詰めの"みやこ路快速"はいつまで経っても乗る人が途切れない。結局、定刻の47分から3分遅れで発車。
「このコース、こんなに人気があるのか?!」
 まさかと思いつつ一瞬ヒヤリとしたが、親子連れにアベックに老夫婦…明らかに「18きっぱー」とは違う客層に、京都南郊・伏見稲荷の存在を思い出す。果たして臨時停車の稲荷駅でほとんどの人々が降り、ガラガラに。
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ちなみにこの奈良線、快速は快適な新型車【写真左】だが、普通電車は普通電車で首都圏在住者には懐かしい「国電」【写真右】が楽しめる。内装もオリジナルに近いものが多く、ブァーン…というモーターまわりの排気音に同行の(鉄とは無縁な)弟が「あ!昔のハマ線の音だ!」と感激していた。
 いろんな事情から関西では他の区間にも「昔の中央線」「昔の京浜東北線」がゴロゴロしている。映画『パッチギ2』で、辛うじて外形が似ている某私鉄の車両をスカイブルーに塗り替え「昔の京浜東北線」としていたが、そんなことをしなくても国内にまだ本物があるのに…。


 40分ほどで京都府の南端・木津。10分あまりの待ち合わせで関西線上り(大阪発奈良経由)に乗ると、次の加茂が終点だ。いよいよ関西線の「超ローカル区間」。ここまでは毎時3本あるが、ここから東は毎時1本。25分ほど前に着いたのだが、早くも十数人の老若男女がホームにいる。
「乗車位置に鞄を置いてしまおう」
 そう思ったものの、どうした訳か上り列車に限って乗車位置の表示が一切ない。仕方がないので停車目標の標識やワンマン運転用のミラーからドア位置を二箇所に絞り、弟と手分けして場所を取る。
「不便だな…いったい、どういう訳なんだ」
 しかし、ほどなくその事情が分かった。次の電車が着いても上りを待つ客はあまり増えず、結局十数人のまま折り返しの上り列車が到着。ディーゼルエンジンの音を響かせた2両編成…2両と言っても通常より二回りは小さい車両なのだが、パラパラと集まった人々は全員無事に着席できてしまった。
「かりにも、これが『本線』なのか…」
 ローカル線になり果てているのは以前にも乗って知っていたし、座れたのはよい。ただ、前に乗った時は本数が少ないなりに混んでいた。「18きっぷ」のシーズン、それも最も人が動くだろう正月三が日の最終日でこの状況となると先行きが不安だ。
 ともあれ12時11分に東へ向けて発車。すぐに山中の登り坂となり、エンジンのうなりが止まらない。
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【左…大阪~東京の道行きとは思えない山の中(加太~関)  右…こんな古さびた小さな駅も(加太)】

「亀山行きワンマン列車です…運賃・整理券はお降りの際に、一番前の運賃箱へお入れ下さい。定期券はハッキリお見せ願います…」
 ディーゼルの響き、空いたワンマン列車、細くなっていく川沿いに山を登る線路…東京と大阪の間にある情景だとは思いがたい。京都府から三重県へ入り、伊賀上野まで登り詰めると景色が開けるが、すぐまた山越えとなって、やがて液晶テレビでおなじみの伊勢国・亀山へと降りていく。1時間20分ほどの間、ずっとこんな調子だ。
 もちろん、もはや「本線」の機能はない。やや南を近鉄が走り、名古屋~大阪を最速2時間あまりで結んでいる(こちら経由だと乗り換え2回で4時間以上)。

 さて、加茂のすぐ次(といっても一駅が5分以上あるが)の笠置で、思わぬものを発見。
わかさぎ温泉・笠置いこいの館
 ホームに面した絵地図の中、駅の近くにそういう施設が書き込まれていた。
「……………」
 次の列車はかっきり一時間後。一か八かで降りて歩くと、5分もしないうちに新しめの日帰り温泉が…実にいい気分転換をした。大人ひとり800円(サイトのトップページを印刷して持っていくと100円引き…あらかじめ分かってれば)。
 実は「長旅の途中で一風呂」というのを期待して東海道線沿いを少し調べたのだが、駅の近場にはなく、あきらめていた………まあ、仮にあったら「18きっぷ」の時期に溜まり場にされ、とっくに有名になっているか無くなっているかだろう(場所にもよるが)。
 結局、入れ替わりつつも車内は着席可能な程度の混雑に始終し、草津線経由で柘植からでも十分に座れたのだが、笠置で温泉も見つけたし、とても大阪から東京へ向かっているとは思えない車窓を満喫できたので正解だった。

 14時35分、亀山着。15分後に出る名古屋行きを目指して人々が走るが、ここからは同じ2両編成でも普通サイズの電車。小型のディーゼルカーで全員座れていたのだから、焦らずともよい。
 ここでも赤福がまだ発売再開されていないのと、せっかく有名になったのに「シャ●プ饅頭」「ア●オス煎餅」といった土産物がない(あるわけないだろ!)のとが少し残念。件の工場は駅と無縁に近いらしく、広いホーム3本を備えたかつての要衝は閑散としていた。
 以降、名古屋まで約1時間半。そこからは東海道線ながら、またしても「強制長椅子区間」を新幹線でワープ(笑)。熱海でも立ち寄り湯(上記「資料」参照)に入り、午後10時半すぎ品川着。


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【山越えのトンネルにて(柘植~加太)】

豊橋で博多ラーメン……「駅の"なんでも食堂"」健在なり

 切符は取れなかったが不意に時間が取れたので、大晦日、「青春18きっぷ」を握りしめて東海道線の普通列車に乗った。
 東京7時24分発の伊東行きを選ぶ。この普通列車は特急の車両を使っていて、座席の掛け心地がいい。
 長旅だから、楽をしたかったのだ。なにしろ、このまま鈍行を乗り継いで、普段は新幹線や夜行で帰っている大阪まで行くつもりなのだから。

 過去にさんざん見てきた上で、「ひなび加減が足りなくて面白くない」と思い、新幹線や夜行列車でスルーしてきた沿線。
 しかし、かなり東京寄りも含めて、途中に「地方っぽい場所」があるのを発見または再発見できた。以下にささやかな例を二つほど。

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【わずかに小田原の二つ先、根府川とその付近の車窓。海を間近に見下ろす眺め、そして思いのほか人家がまばら】

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【名古屋都市圏・豊橋駅前のデッキより。大通りのすぐ先に山が見える様子は、中四国あたりの地方都市を思わせる】
【おまけ:わざわざ入場券を買っての撮影でシャッターのタイミングを派手に誤る筆者(苦笑)】

「ヤツらは毎回、こんなん見とるんだな…」
 …根府川や熱海の海を見ながら、東西の往来は必ず18きっぷで鈍行という若い顔見知りたちの顔が思い浮かぶ。なんだか悔しくなってきて、「よし、私もこれからは!」と気持ちを新たにするのだった………と言いながらすぐ先の熱海で新幹線に乗り換え、浜松までの「全列車全車長椅子(ロングシート)区間」をワープしてしまう。このへんがダメな大人の悲しいところ。



 さて、上記の豊橋に着くのがちょうど昼時。そこで一時間少々の昼食休憩を取る予定なのだが…。

「駅の『なんでも食堂』」
 と言って分かるだろうか。和洋の定食から麺類に丼物、コーヒー紅茶や酒・ツマミまで広く浅く揃えた食堂が、かつて大きな駅には必ずあった。立ち食いやスタンドコーヒーより少し高くなるが、重い鞄をしょった道中、駅にいながらテーブル席でゆっくりできるのは大きかった………が、そうやって長居されるのが災いしたのか(笑)、いまや食事なら立ち食いそばかスタンド風のカレー店、お茶ならスタンドコーヒーという具合に、客の回転が速いスタイルの店しかないことが多い。軽くビールを飲みつつ一服した後に食事とか、食後にコーヒーをすすりながら一服とかいった店は駅の外になるが、これが存外、大きな町でも簡単に見つかるとは限らないのだ。

 要は「多少の長居が許される様な品書き・構えを備えた店に入りたい」ということだが、豊橋駅がその点どうなのかが分からない。別に食堂でなくとも、たとえば東京駅や品川駅にある『サンディーヌ』みたいなカフェテリアがあれば十分なのだけれど…。
「……………」
 改札内に、立ち食いのきしめん店とラーメン店が各一軒。改札外はガラスと白い壁でできたスマートな連絡通路。新しそうな駅ビルと一体化した、スターバックスコーヒーが似合うそこに「なんでも食堂」などあるはずもない。
 仕方なしに北口のデッキへと出て、先述の眺めに出くわす。
 そしてふと振り返ると、駅ビルの隅に赤い提灯が見えた。
 御影石風の壁面が輝く駅ビルの二階、しゃれたパスタ店に追いやられる様にして、一番端っこに『博多ラーメン』と書かれた提灯がぶら下がっている。デッキに面して扉があり、生ビールがあることを示すポスター。
「ラーメンとビールだけ、って感じじゃなさそうだな…」
 計八人掛けのL字カウンターにテーブル席が二つ、という細長い店は空いていた。カウンターの卓上に灰皿を認めるやそこに座って隣へ鞄を置き、一人でいる真面目そうなお兄さんにビールを頼む。ジョッキは小ぶりだがビールはよく冷えていて、我慢していた煙草がうまい。
「えーっと…」
 卓上のメニューを見る。枝豆・冷や奴に始まって練り物に揚げ物と、厨房の狭さの割に豊富なツマミ。人が入り始め、注文が立て込み出していたので冷や奴を一つ。品書きにはご飯もあり、揚げ物はつまみのためだけじゃない様だ。"食前にビール"か"食後にお茶"かで迷っていたところでポスターを見てビールにしたのだが、コーヒーやジュースもちゃんとメニューにある。後ろのテーブル席からラーメンの匂いが漂い出した。何かを炒める音が止み、餃子が七つ乗った皿をお兄さんが他の客に差し出している。ジョッキになお残るビールを眺め、ゆるゆると二本目に火を点ける筆者…。
「…こりゃまさに『駅の"なんでも食堂"』じゃないか…助かるなあ」
実態はただの狭いラーメン屋なのだが、それが旅の途中の駅構内にあるのがありがたく、大食堂とは似ても似つかぬ店に思わず感嘆。
 ビールと冷や奴を片付けてから、食事をすべく品書きを見る。『博多ラーメン』と謳っているだけあって、一番上に書かれたそれが醤油ラーメン・味噌ラーメンより50円安い。
「きしめんを脇へ置いて、わざわざヨソの名物を食べるのも面白そうだ」
というのも手伝い、博多ラーメンを頼む。
 …その種のマニアが見たら怒り出しそうな博多ラーメンだったが、500円のラーメンとしては十分だった。
 まあ、きしめんが食べたければ、この先にも立ち食いがいくらでもある。

 以上でお会計は千円足らず。いい一休みをしたつもりが、まだ三十分も経っていなかった。デッキに出て、路面電車が走る駅前通りへと降りていく筆者。気温は低く乾いた風も冷たいが、ほんのり酔いが入った頬は温かく、快晴の空に太陽がある。この先、大阪までは普通列車といえども結構速く、13時に出ても17時頃に着ける。もし面白いものがあれば、多少時間を遅らせてもいい…。

 ともあれ、豊橋駅にはしっかり食べてゆっくりできる店が、駅にある。


【 次回は、復路の穴場と簡単な"まとめ"をお伝えします 】

『秒速…』アニメ作家S氏来る

 ひょんなことから、その世界では紹介文無用のアニメ作家・S氏が勤め先の学校へ講演にいらした。看板は「進路講演会」。

「期末テスト後の空白を、なんとか有意義そうな中身で埋めねば!」
 そう思案した上司が、『同郷同窓の後輩で、とにかく有名人だそうだから』という理由だけでコンタクトを取ったら叶ってしまったのだ。知らないというのは恐ろしく、そしてスバラシイ。
 ただし我が勤め先は、廃校を控えて生徒二十数名となった下町の夜間高校で、二十数名の中にその種のヲタクは一人もいない。
 が、そんなことは意に介さない上司は、
「『一方的に話すのは苦手だから対談の様な形式にしてほしい』、という希望が先方から出ている」
と語ってから、筆者に向けて言い放った。

「お前ヲタクだから前へ出て対談してくれ」

 小便をちびりそうなほど喜ばしい思いをこらえ、筆者は固辞した。
 自分自身はファンで聞きたいことは山ほどあるけれど、仕事としてやる以上、アニメやゲームと全く無縁な生徒たちとS氏とをつながなければならない。そして、その展望は全くなかった。なにしろ事前学習として氏の名作を二日にわたって上映した際にも、来た生徒ほぼ全員が死んだ魚の様な眼をしており、日頃気安く話をしている私のフォローも全く通じないのだ…ただ、そのことで彼らを非難する気はない。アニメにしろ鉄道にしろ、よほどメジャーな物を除けばマニアと一般人との壁は厚く、そしてS氏の作品群はどちらかというとマニアの側に属している【※】。それを上司は知らず、筆者は知っているというだけの話だ。
 とはいえ知っているために、結局『どうにかしなければ』と引き受けてしまった筆者も筆者だが…。



 だがそれ以上に、当のS氏がそのことをよく知っていた。

「僕が作っているアニメという物は、別に見なくても生きていける物です。だから、楽な気持ちで聞いてて下さいね」

 眠たげな空気に満ちた生徒席に向かって開口一番、S氏は淡々としかし暖かく、そう語りかけた。氏の日頃の講演先といえば、おそらく氏を神とあがめるファンかそれに近い理解者だと思うのだが、そういう状況への慣れから来る慢心などカケラも見えない。
「口下手なので、それ以外の方法で自分が思ったことを表現してきました」
 たいていはそう言いつつ饒舌なものだけれど、S氏は本当に話すのが不得手そうで、何か語るたびに少し考え込む。氏の近作で主役を務める不器用な青年が、そのままそこにいた。ある作品の付録に氏のインタビューが収まっているが、この際も苦心された様だ…ともあれ、これは口下手な生徒には福音だったと思う。
「『25歳までに自分の作品を世に出す』って決めて頑張りました…結局27歳までかかっちゃいましたが(笑)」
「まず、とにかく一つ作品を完結させてみることが大事」
「会社は、タダで社会人に必要なルールや振る舞い方を教えてくれるんですね。だから(ひとまず就職したのは)よかったです」
 対談していく中で、あらゆる「夢の実現」に通じる言葉も頂戴した。が、いかんせん引き出し役が筆者で、おまけにもう一人、同じ校舎にある別の学校から同好の女子生徒が座っていた。その彼女の口が重かったので、『マニアックな話題でもいいよ』と振ったら本当にマニアックな話題になってしまい、机に伏せる生徒はまだしも、教師の目を盗んで席を立つ生徒まで現れる事態に…しまったと思いつつ、話をマニアックにした生徒も席を立つ生徒も、どちらも非難する気にはなれないのだった。
 しかし、それ以上にS氏は何の不満も見せず、出される質問に真剣に向き合い、数人しか聴く者がない生徒の席へ優しげな目を向けつつ答えていく。予定の時間はそれこそ秒速五十メートルぐらいでアッという間に過ぎたが、最後のご挨拶も楽しげに息を弾ませて、
「ありがとうございました。今日は本当に面白かったです!」
 …誰にとってもそこそこ面白い物なんてないのだから、数人とはいえ聴く者がいた以上、まして教師を介して質問を出した生徒や控室へ押しかけた生徒までいた以上は、決して無意味じゃなかったと思う。
 でも、それはそれとして、氏には教育委員会規定の格安な講演料じゃとうてい購えない様な心細い思いをさせたはずで、なんとも申し訳ない限り…。

「いやホントに面白かったですよ。学校の先生みたいな体験ができるなんて…」
 けれども、互いに仕事が終わって席を移した先で、なお感慨深そうにS氏はそう繰り返す。もちろん、割り引いて受け取らなければいけない台詞だとは今でも思っているが、しかし少なくとも、学校という場所を苦々しく思うどころか、かえって関心を増されたのは確かな様子だった。



 さて、S氏作品のファンで、なおかつ鉄ならば、必ず尋ねたいことがあると思う。
 言うまでもない。近作に出てくる近郊型電車(それも作中の年代相応の形式)を筆頭に、鉄道アイテムがリアルで、かつ鉄道自体も作品に頻出する件。外観が通勤電車で中がボックスシートなどという漫画やアニメが多い中、いいのかと思うぐらいの厚遇である。
「あの、作品を見ていると…何と言うか、輸送機器にずいぶん関心をお持ちな様に思えるんですが…」
 杯が進んできたところで、ロケットの搬入車やカブの描写なども引き合いに出しつつ、控え目にそのことを聞いてみた。

「僕が描く話は…人を選ぶっていうか、好き嫌いがすごく分かれる話なんで、それ以外の部分は文句が出ないように、と思って…」

そして鉄道がよく出てくるのは、故郷でも現住地でも身近な場所にあるので「よくあるもの」として目に留まる、というだけだった。
 …ほのかな期待は外れたけれども、期待外れどころの騒ぎじゃない。
 それだけのために、あんなに完璧に描き、そして描けるだけの材料集めをするなんて…。
「そんなに細かくは取材してないですよ。そうですね…」
むろん謙遜だと思うけれど、もし言葉通りだったとしたら、それはそれで天才だ。
 なお、旅行好きという訳でもないとのこと。
「何人かで取材に行くんですけど、自分が退屈してたら他の人に頑張ってもらえなくなりますから、まず自分が一生懸命見て回って…そのうちに、その土地にあるいろんな物が好きになりますよね」
「……………」
 文句が出ないように…って、あなたの作品に文句が出ますか?
「いろいろ来ますよ。村上春樹のパクリだろうとか(笑)。だいたい親がいまだにいい顔しないですし…『みんなのうた』で少し良くなったかな…やっぱり田舎はNHKですね」
横に座られている、これも親がいい顔をしないというプロデュース会社の担当者氏が付け加える。
「その点Sはタフだよね。叩きが一通来たらしばらく落ち込む、っていう作家さんもいるのに」
 文句といえば、鉄から唯一出ている『新宿駅が新しすぎる』というケチ(というより好意的なネタ)については、
「あそこは、今の新宿駅を描かないと新宿駅だって分からないでしょう?」
…何もかも、考え抜かれていたのである。



「失礼します!今日はホントに楽しかったです!」
 気恥ずかしさに酔いが混じって、ずいぶんと趣味丸出しな応対をしてしまったと思う。かたや氏に湧いた学校という世界への興味には十分応えられなかったはずで、とんだ失礼の上塗りだった。
 にもかかわらず、別れの挨拶から伝わってくる爽やかな心は、どういう訳だろう…。

 とりあえず、プロの作家というのは以下の様なものであるらしい。
*謙虚であること。
*マイナスの出来事や反応に、いちいちめげないこと。
*出くわすことすべてに関心を持ち、簡単に失わないこと。
 …筆者と正反対である。夢を持つ若い皆様はぜひ参考にされたい。



【※…あくまでも現状の話で、氏の作風は十分に一般社会を惹きつけられると筆者は確信する次第】

頼もしき遊覧船・後編

07年9月の続き。もはや近況でも何でもないが、来夏は皆様ぜひということで】
【山陰海岸の切符・宿などの情報、過去の旅行記はこちら


 …船乗り場には、やはり誰もいなかった。二時の船が出ないなら帰るしかない。
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「でも三時前のヤツは、団体さんが入ってて必ず出ますから」
 しかしスカイブルーのおばちゃんは筆者を見つけるや、まるでこちらの言ったことなど忘れたかの様に、明るく元気よく一時間前の台詞を繰り返すのだ…。
「お兄さん今日はどちら泊まり?」
「いえ、今日中に帰るんですが」
 殺し文句のつもりで、筆者はそう言った。やっぱり城崎の外湯で疲れを取りたいし、それにバス停のまばらな時刻表によれば、今ここを出るとバスで安上がりに香住駅へ戻れる。
 が、おばちゃんはニコニコしたまま動じない。
「どの特急で帰られるの?『北近畿』?」
「四時半過ぎの、最後の『はまかぜ』に…」
「城崎から出てる『北近畿』っていうのなら六時頃までありますよ…特急券も簡単に変えられるし」
 こやつ只者じゃない…と思ったが、しかし個人的な趣味を別にしても、播但線回りで周遊きっぷを組んであるから『はまかぜ』に乗らない訳に行かない。そのへんの事情を簡単に返し、あわせて城崎温泉に寄りたいことを繰り返したのだが…
「城崎なんて、いつでも行けるから!」
 敵はカラリとした一声で、天下の名湯を蹴り飛ばしてしまった。そして目を細めて筆者の背後を一瞥し、言葉を継ぐ。
「けど、こんなええ海はなかなかない。一時間のコースやから四時前には戻れるし…帰りは車で送ったげますから、そしたら十分間に合いますやろ」
「……………」
 振り返ると、漁港の向こうに真っ青な外海が見えた。ほんのり碧がかった透明度の高そうな海が、青空に輝く太陽にキラキラと照らされている。この一帯には夏だけで五、六度来ているが、こんないい天気は今日を含めて二日ほどしかなかった。判定基準がやや厳しいとはいえ、統計上も但馬地方の快晴というのは年に十日あまりしかない。
 そして城崎はいつでも行けるどころか、既に何度も行った。
「…疲れを癒すなら、家へ帰ってからすぐに寝ればいいか」

 そんな次第で気がついたら三時の船に乗ることになっていて、それはまあいいのだが、出発まで一時間近くある。
 周辺の散策はさっき済ませてしまった。昼食がまだだったが、午後の漁港にそういう店はない。ただ、先ほどの「海の文化館」に小さな喫茶店兼食堂がある。
「食事、してきます」
乗船券売場の窓越しにそう告げると、
「まあ、そんなとこまで行かんでも…これから銀行行くとこだから、どうぞどうぞ」
おばちゃんが急いで出てきて、押し込む様にして軽自動車に乗せられた。
「お客さんおるんやから、早く」
二代目三姉妹もいる、とチラシに書いてあったその人なのか、やはりスカイブルーの制服を着た若い女性も乗り込んできて、町の方へ出発。
「先に銀行寄りますけど、お店もすぐですからね」
しきりに私にそう言い、スピードを上げる。親切心が伝わってくるし、家庭的なサービスも心地よいのだが、二人して船乗り場を空けてしまって大丈夫なんだろうか…。
 サービスが家庭的なら、着いたのも東京近郊にもある様な大型スーパー。魚なら土地の物を使っているだろうと思いつつ握り寿司のパックを手にすると、果たして産地は「香住」とあり、戻ってから食べたら大いにうまかった…他の海沿いの土地でも経験したけれど、少なくとも魚に関してはわざわざ高い店に入る必要はない。素直に行きつけのスーパーへ向かってくれたことに感謝。


 戻ると遊覧船に渡り板がつけられていて、ほどなく観光バスで団体様ご一行が到着。他に親子連れも一組やってきた。やがて船はエンジン音を高めて桟橋を離れる。
「本日は三姉妹遊覧船・かすみ丸にご乗船ありがとうございます。今日は天気も良く、波もおだやかでございますが、なにぶん海でございますから…」
 マイク放送の声に、聞き覚えがあった。
 最後尾の吹きっさらしから船室を覗くと、最前列で、件のおばちゃんその人が操舵輪とマイクを握っている。スカイブルーのりりしい後ろ姿が狭い漁港内で船をくるくると回し、あとは一直線に防波堤の切れ目を過ぎる…。
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「…気持ちいい」
 車窓や沿線の村から何度も見た海だが、今はまさにその海の上にいる。透明なのが分かるせいか、青い水面は今まで見た中で一番すがすがしかった。照りつけている太陽は熱くなく、時々かかる水しぶきも冷たくない。
「右手に見えてきましたのが沖の松島でございます…あ、これから近くへ寄りますので、お写真はそれからでも…」
 船は時々航跡を曲げ、こういった断崖絶壁のすぐそばに寄って縫う様に走る。ゴツゴツした奇岩が突き出ているのは海の上だけじゃなく、水の下も一歩間違えれば座礁しかねない複雑な地形のはずだが、船もおばちゃんの案内放送も飄々と進んでいき、それをみじんも感じさせない。
 絶壁に穿たれた深そうな洞門に立ち寄り、突っ込まんばかりに船首を近づける。
「…もう一つ小さい船の時には中まで入れるのですが、今日はご容赦下さいませ」
 ぞっとするほど見事な水面の碧さ、どうやってそこへ来たのか分からない釣り人たち(左端)、インデアン島、そして眼鏡洞門……夢中で眺めてはシャッターを切るうち、目的だった鎧の村が見えてきた。
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切り立った崖の間にその村を見ると、本当にまわりの人里から切り離されたちっぽけな村なのが分かる。そしてそこに立っていた時以上に、今まで住んできた人々へ畏敬と憧憬とを覚えた。
(この時の眺めは、拙著「海が見える駅」で余すところなく活かしたのでお買い上げあれ…笑)
 写真も、思いのほか撮りやすい。それでなくても船の上という条件の中、最後尾の甲板は狭く、相客があると三脚も使えないのだが、シャッタースピードを1/1000以上にしても十分な露出が得られるゆえ、ブレとは無縁!海面が太陽を照り返す力は、ものすごい。
 それを活かし、船の折り返し地点である餘部鉄橋の眺めを見事にパチリ。折よく普通列車が鉄橋を渡る。
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去り際にもう一枚。聞けば列車の時間を考えながら、なるべくその頃合いに着いているとのこと。操船の見事さといい、そして巧みに筆者を乗客にしたことといい、何もかも抜け目がない…もちろん騙されたなどとは全く思わず、むしろ感謝しているけれども。

 帰路もわくわくし続け、気がつくと香住漁港だった。家族連れの客と相乗りで、約束通り軽自動車に迎え入れられる。駅の売店が閉まっていて、車内販売もあったりなかったりだという話をすると、また例のスーパーに筆者を降ろし、家族連れの方を町内の宿まで送ってから再び合流。
「ホンマすんませんでしたなあ…よかったら、ぜひまた」
「いえ、楽しかったですよ。ぜひまた」
 行先のレパートリーが広がらないので、この一帯に来るのはこれで最後にしよう…と思っての旅だったのだが、また遠からず来そうな気がして、筆者は本音でそう挨拶を返した。それは決して、船からの眺めがきれいだったからだけじゃない。
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 来年の夏は、ぜひ香住においでませ。
 いや来夏と言わず、鉛色の波がしぶく冬の遊覧船も面白いかもしれない。


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