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頼もしき遊覧船・後編

07年9月の続き。もはや近況でも何でもないが、来夏は皆様ぜひということで】
【山陰海岸の切符・宿などの情報、過去の旅行記はこちら


 …船乗り場には、やはり誰もいなかった。二時の船が出ないなら帰るしかない。
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「でも三時前のヤツは、団体さんが入ってて必ず出ますから」
 しかしスカイブルーのおばちゃんは筆者を見つけるや、まるでこちらの言ったことなど忘れたかの様に、明るく元気よく一時間前の台詞を繰り返すのだ…。
「お兄さん今日はどちら泊まり?」
「いえ、今日中に帰るんですが」
 殺し文句のつもりで、筆者はそう言った。やっぱり城崎の外湯で疲れを取りたいし、それにバス停のまばらな時刻表によれば、今ここを出るとバスで安上がりに香住駅へ戻れる。
 が、おばちゃんはニコニコしたまま動じない。
「どの特急で帰られるの?『北近畿』?」
「四時半過ぎの、最後の『はまかぜ』に…」
「城崎から出てる『北近畿』っていうのなら六時頃までありますよ…特急券も簡単に変えられるし」
 こやつ只者じゃない…と思ったが、しかし個人的な趣味を別にしても、播但線回りで周遊きっぷを組んであるから『はまかぜ』に乗らない訳に行かない。そのへんの事情を簡単に返し、あわせて城崎温泉に寄りたいことを繰り返したのだが…
「城崎なんて、いつでも行けるから!」
 敵はカラリとした一声で、天下の名湯を蹴り飛ばしてしまった。そして目を細めて筆者の背後を一瞥し、言葉を継ぐ。
「けど、こんなええ海はなかなかない。一時間のコースやから四時前には戻れるし…帰りは車で送ったげますから、そしたら十分間に合いますやろ」
「……………」
 振り返ると、漁港の向こうに真っ青な外海が見えた。ほんのり碧がかった透明度の高そうな海が、青空に輝く太陽にキラキラと照らされている。この一帯には夏だけで五、六度来ているが、こんないい天気は今日を含めて二日ほどしかなかった。判定基準がやや厳しいとはいえ、統計上も但馬地方の快晴というのは年に十日あまりしかない。
 そして城崎はいつでも行けるどころか、既に何度も行った。
「…疲れを癒すなら、家へ帰ってからすぐに寝ればいいか」

 そんな次第で気がついたら三時の船に乗ることになっていて、それはまあいいのだが、出発まで一時間近くある。
 周辺の散策はさっき済ませてしまった。昼食がまだだったが、午後の漁港にそういう店はない。ただ、先ほどの「海の文化館」に小さな喫茶店兼食堂がある。
「食事、してきます」
乗船券売場の窓越しにそう告げると、
「まあ、そんなとこまで行かんでも…これから銀行行くとこだから、どうぞどうぞ」
おばちゃんが急いで出てきて、押し込む様にして軽自動車に乗せられた。
「お客さんおるんやから、早く」
二代目三姉妹もいる、とチラシに書いてあったその人なのか、やはりスカイブルーの制服を着た若い女性も乗り込んできて、町の方へ出発。
「先に銀行寄りますけど、お店もすぐですからね」
しきりに私にそう言い、スピードを上げる。親切心が伝わってくるし、家庭的なサービスも心地よいのだが、二人して船乗り場を空けてしまって大丈夫なんだろうか…。
 サービスが家庭的なら、着いたのも東京近郊にもある様な大型スーパー。魚なら土地の物を使っているだろうと思いつつ握り寿司のパックを手にすると、果たして産地は「香住」とあり、戻ってから食べたら大いにうまかった…他の海沿いの土地でも経験したけれど、少なくとも魚に関してはわざわざ高い店に入る必要はない。素直に行きつけのスーパーへ向かってくれたことに感謝。


 戻ると遊覧船に渡り板がつけられていて、ほどなく観光バスで団体様ご一行が到着。他に親子連れも一組やってきた。やがて船はエンジン音を高めて桟橋を離れる。
「本日は三姉妹遊覧船・かすみ丸にご乗船ありがとうございます。今日は天気も良く、波もおだやかでございますが、なにぶん海でございますから…」
 マイク放送の声に、聞き覚えがあった。
 最後尾の吹きっさらしから船室を覗くと、最前列で、件のおばちゃんその人が操舵輪とマイクを握っている。スカイブルーのりりしい後ろ姿が狭い漁港内で船をくるくると回し、あとは一直線に防波堤の切れ目を過ぎる…。
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「…気持ちいい」
 車窓や沿線の村から何度も見た海だが、今はまさにその海の上にいる。透明なのが分かるせいか、青い水面は今まで見た中で一番すがすがしかった。照りつけている太陽は熱くなく、時々かかる水しぶきも冷たくない。
「右手に見えてきましたのが沖の松島でございます…あ、これから近くへ寄りますので、お写真はそれからでも…」
 船は時々航跡を曲げ、こういった断崖絶壁のすぐそばに寄って縫う様に走る。ゴツゴツした奇岩が突き出ているのは海の上だけじゃなく、水の下も一歩間違えれば座礁しかねない複雑な地形のはずだが、船もおばちゃんの案内放送も飄々と進んでいき、それをみじんも感じさせない。
 絶壁に穿たれた深そうな洞門に立ち寄り、突っ込まんばかりに船首を近づける。
「…もう一つ小さい船の時には中まで入れるのですが、今日はご容赦下さいませ」
 ぞっとするほど見事な水面の碧さ、どうやってそこへ来たのか分からない釣り人たち(左端)、インデアン島、そして眼鏡洞門……夢中で眺めてはシャッターを切るうち、目的だった鎧の村が見えてきた。
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切り立った崖の間にその村を見ると、本当にまわりの人里から切り離されたちっぽけな村なのが分かる。そしてそこに立っていた時以上に、今まで住んできた人々へ畏敬と憧憬とを覚えた。
(この時の眺めは、拙著「海が見える駅」で余すところなく活かしたのでお買い上げあれ…笑)
 写真も、思いのほか撮りやすい。それでなくても船の上という条件の中、最後尾の甲板は狭く、相客があると三脚も使えないのだが、シャッタースピードを1/1000以上にしても十分な露出が得られるゆえ、ブレとは無縁!海面が太陽を照り返す力は、ものすごい。
 それを活かし、船の折り返し地点である餘部鉄橋の眺めを見事にパチリ。折よく普通列車が鉄橋を渡る。
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去り際にもう一枚。聞けば列車の時間を考えながら、なるべくその頃合いに着いているとのこと。操船の見事さといい、そして巧みに筆者を乗客にしたことといい、何もかも抜け目がない…もちろん騙されたなどとは全く思わず、むしろ感謝しているけれども。

 帰路もわくわくし続け、気がつくと香住漁港だった。家族連れの客と相乗りで、約束通り軽自動車に迎え入れられる。駅の売店が閉まっていて、車内販売もあったりなかったりだという話をすると、また例のスーパーに筆者を降ろし、家族連れの方を町内の宿まで送ってから再び合流。
「ホンマすんませんでしたなあ…よかったら、ぜひまた」
「いえ、楽しかったですよ。ぜひまた」
 行先のレパートリーが広がらないので、この一帯に来るのはこれで最後にしよう…と思っての旅だったのだが、また遠からず来そうな気がして、筆者は本音でそう挨拶を返した。それは決して、船からの眺めがきれいだったからだけじゃない。
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 来年の夏は、ぜひ香住においでませ。
 いや来夏と言わず、鉛色の波がしぶく冬の遊覧船も面白いかもしれない。


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