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山陰雪中取材行・最終回

 申し遅れましたが次のイベント参加は、4/1・神戸の「そうさく畑」になります。
 これから申込ですが、多分スペースは取れるかと。
 ラインナップは冬コミと同じになる予定ですが、関西の皆さんお楽しみに。

 そして次の旅行はきっと、夏休みまで不可能………………。

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 さて、最終日は帰るだけの旅。
 ようやく晴れた米子の街に名残を告げながら、駅へ。時刻どおりに列車が動いてるらしいことに感激。

 米子発9:50。前日の松江行きでも使った「スーパーまつかぜ」で、昨日とは逆に鳥取方面へ。
 
 倉吉までは海が見え隠れ。反対側は平野の向こうに山々。
 前々回のトップに載せた伯耆大山も、この列車の車窓から撮影。

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 運転席のすぐ前まで座席があり、窓から最高速度120km/hの前面展望が。
 鳥取側の前1両が自由席なので、上り列車だとより安価にこの眺めを楽しめる。

 ここで前回お約束した、切符の話。
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 "周遊きっぷ"の「ゾーン券」(山陰ゾーン)。
 クリックすると拡大表示されるのでご覧いただきたいが、5,300円でこの区間が、特急自由席を含めて5日間乗り放題。
 これが「特急に乗って××分」などと気軽に書いてたカラクリ。

 ただ、この券だけを単体で買うことはできない(買えても5,300円もするんじゃ…)。
 以下の2枚(クリックにて拡大表示)を一緒に買う必要があるのだが、そのおかげでゾーン券がもっと割安になる。
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 ↑出発地からゾーン入口(ゾーン券の写真の◎の駅のどれか)までの「ゆき券」。
 今回は、東京→東海道線・山陽線→岡山から伯備線で北上して入口駅:根雨(「サンライズ出雲」のルート)。
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 ↑ゾーン出口(同じく)から元の出発地までの「かえり券」。
 今回は、出口駅:鳥取→因美線・智頭急行線・山陽線で姫路→東海道・山陽新幹線で東京(「スーパーはくと」+新幹線のルート)。
 これをたどるべく、今「まつかぜ」で鳥取を目指している。

 どちらも普通乗車券と同様に自分で行先やルートを言って買うのだが、この両者が普通運賃より2割引になる(学割だと3割引)。
 今回は往復あわせて四千数百円の割引を受けており、つまりゾーン内を千円分ほど乗ればゾーン券の元は取れる。
 昨日の米子~松江は運賃480円・自由席特急料金730円。一昨日の米子~根雨は運賃570円・自由席特急料金730円…千円分乗るなんて簡単だ。
 元が取れれば、東京から米子や松江までの普通乗車券と比較してもほぼ均衡する。それでいて乗り放題がついてくる。
 ちなみに往復の特急料金には割引はないが、料金も合わせて飛行機と比較しても、「米子便往復+空港~市内のバス」と約3千円差だった。

 この「周遊きっぷ」、山陰の他にも各地に31のゾーンがある(詳細は時刻表を参照…どのみち時刻表を見ないと買いづらいので)。
 出発地~入口・出口が200km超なら全国どこからでも買えるが、上述のような割安感を得るには600km超はほしい。
 発売されない期間もないし、ゆき券・かえり券は途中下車も可能。
 制約らしい制約は、以下の点ぐらいだろうか。
★使用開始後はゆき券・かえり券ともルート変更不可
★ゆき券・かえり券のルート指定が初心者にはやや難しそう
 ただ後者については、「サンライズで行く」「スーパーはくとで帰ってくる」という風に、乗る列車を挙げれば伝わる。メモにして渡せばなおよし。
 また出発当日でも買えるが、窓口に並んでやや手間のかかる切符を買うことになるので、前日までに買っておくべし。

 
 …さて、およそ100kmの道のりを1時間ちょいで走破して、鳥取着。
 昨日の松江駅のコピペみたいな高架駅。高架下もコピペみたいな造りで、食事も買い物も選択の余地があるほどに可能。

 
 普通列車で3駅ほど後戻りして、往復小一時間の小さな旅へ。
 倉吉~鳥取は以西よりも山の緑が近づく。各駅停車だと2時間半かかる米子~鳥取だが、行き違いや通過待ちで何本もの列車と出会え、退屈は少ない。

 
 鳥取に戻ってお茶を飲み、弁当を買って、12:54発の「スーパーはくと」に(写真は別の機会に始発駅:倉吉で撮ったもの)。
 南下して山陽線に出た後は、在来線を京都まで走る気動車特急。鳥取~京都は3時間。

 
 先頭の形から想像できるとおり、こいつも前面展望がきく。そして、やはり「ぶっ飛ばす」という形容が似合う速さ。
 この上り先頭は指定席だが、反対の先頭は自由席。

 新幹線との乗り継ぎは姫路を勧められるが、京都にすると特急料金の乗継割引が最大になる。舞子の海や明石海峡大橋もきれいだし。
 が、今回の帰りはやや急ぐ旅なので、姫路で14:23に降車。
 姫路停車の「のぞみ」と20分足らずの接続だが、広かった構内は高架化でコンパクトになっていて、名物・駅そばを食べても余裕。

 ここで恒例「本日の駅弁より」。
 
 鳥取駅「山陰鳥取かにめし」(1,100円・冬季のみ)。カニの駅弁はちらし寿司が多い中、酢飯ではなくカニのダシで炊いたご飯。
 ほか、巨大な椎茸を一杯に敷いた「素晴ら椎茸」(1,000円)も気になったが、これは冬じゃない時期に。
 一方、「今日の晩ご飯」は自宅だったので割愛…魚でも買って送っとけばよかったんだと今頃気づくも遅し(笑)。

 ちなみに現地の宿は、米子郊外・弓ヶ浜の付け根にある皆生温泉。
 海の眺めも温泉もよく、それでいて駅までは毎時2~3本のバスで約15分と便利。そしてこのバスも周遊きっぷの「ゾーン」に入っている。
 宿は一泊3,000円より(共同浴場つきビジネスホテル)。筆者は、総額6,000円で清潔な洋室&眺めのいい大浴場が得られる費用対効果抜群のホテルを重用。

 …18時前、東京駅に到着。
 行きにサンライズが7時間半かけた区間を、あっけなく4時間で走破。帰ってきた感が半分ぐらいしかしない中、都内某所へ…。
 、
 この新刊(クリックで作品紹介がポップアップします)を製本所から引き取ってきた。現地に行ってる間に、その土地のことを書いてる本が完成してるというオチ。
 帰ってきた今あらためて開いてみると、かの地の良さをいくらも書けていないと気づく。
 でも半面、だからこそ行ってよかったとも思った。
 感激と羨望を新たにしたところで、次はもっと楽しく美しく「伯耆・出雲発の物語」を書いてみたい。

(おしまい)

山陰雪中行3日目ほか

 まさかの寝台特急「出雲」復活!
 
 …ウソですごめんなさい。
 ツイッターにて既報ですが、実は昨日・今日で山陰と全く逆方向にも出かけてきました。
 でも早いものから順ということで、山陰の続きをば。

 あ、申し遅れましたが年末にツイッターのアカウント取りました。
 ツイッター始めました、とはあえて言いいません…三日坊主な予感がするので(苦笑)。
 アカウント:Dai_Tajima

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 今日の行先は松江の街。ちょっとゆっくり目に宿を出て、米子駅へ。
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 松江まで特急で20分…普通でも30分ちょいだし、急ぐ旅でもないのだが。
 この金遣いよさげな選択のカラクリは追って説明するとして、この「まつかぜ」or「おき」にはぜひ一度ご乗車を。列車離れしたエンジンの唸りと加速度が、諸兄の鉄道のイメージを変えること請け合い。

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 松江駅。「大都市近郊の大手私鉄の駅みたい!」と見るか「これが県都の代表駅かよ」と見るかは各自におまかせする。
 どちらにしろ「駅」の部分は小さく、右写真の場所以外は全部ショッピング街&飲食店&土産物屋。そして有人改札が暖かくお出迎え。

 駅はやや街外れに所在。松江しんじ湖温泉行きのバスで北上し、松江大橋で松江水道を越える。
 
 向こうに見える橋の先が宍道湖。その橋の上からはもちろん、岸辺まで行けば宍道湖はもっとよく見える。
 が、あえてまず松江大橋から眺めてほしい。街、それも県都の市街の中にこんな水面があるのが見どころだと思うので。

 橋を渡った先が市街地。突き当たりを西へ折れ、少し先でまた北上して「県庁前」で下車。
 
 バス停の名前どおり、これが県庁ですハイ。
 同じ広場でも都庁の「都民広場」とは別の意味で驚く。ここが官庁&オフィス街のド真ん中だとは…右手から県庁を浸食してる森は松江城趾。

 県庁横の「大手前通り」を北へ。左写真の道の逆側には県民会館やオフィスビル。
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 ひとり県庁だけがゆったりしてる訳じゃなくて、建物同士、建物と道路、というか街自体がゆったりしてて緑豊か。
 もっと言うと都心部自体がコンパクトで、右写真・松江城趾の北側はもう住宅地。筆者は城マニアじゃないが、この城趾はいつか使いたい。

 城趾を出て、大手前通りの1ブロック東へ移動。そこから南に戻る。
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 道が曲がってるのは車のスピード制限のため。効果絶大で安心して歩ける。
 各種の装飾品店やら結婚式場つきのホテルやらが並ぶ、松江の精一杯ハイソな一角。ちなみに以降は、つばめたちの下校ルート。

 南下し切ると、堀川沿いの通りに出る。
 
 ここは行きにバスで通った。つまり中心部を一周したことになるが、松江城の散策も含め、撮影・寄り道しながら歩いても二時間弱。
 観光向けの施設も散在するが、古きよき水都の雰囲気をぶち壊してないのがいい。小物・アクセサリー系の土産はこの川の両岸で。

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 駅へ戻るべくさらに南下。松江大橋から堀川の方を振り返る。奥の信号が堀川沿いの道との突き当たりで、手前に橋。
 新刊表題作『つばめと彼と隼』の冒頭とラストに出てくるあたり。ここまで来たら、駅へは歩いても15分ほど。

「…同じ都市部の住民なのに、この豊かさの差は何なんだ」
 住宅街は住宅街で固まり、通うべき都心部は遠く、どちらも高い建物とせわしげな人波と疾走する車ばかりが目立つ…そんな東京都区内を思うにつけ、松江の人々に羨望を覚えた。
 すぐ後で書くとおり、松江付近は山陰線もそこそこ健闘してて鉄的にも楽しいし(笑)。
 もちろん、地方が抱える過疎や市街地空洞化の問題を知らないわけじゃない。
 でもこの町はまだ、駅から中心部にかけての範囲で生活がまかなえそうだった。
 課題は、やはり職。新刊の表題作でちょっと書いたように、よそ者が容易に割り込める状況にはない。

 もう一度街へ行ってから、米子へ戻るべく松江駅のホームへ。
 
 通勤客や遊びの帰りらしき青少年も少なからず見られ、その意味でも一見都会っぽい…マニアは列車を見て一発で見抜くだろうが(笑)。
 ちなみに高架下の食堂街には、0時までやってるラーメン屋や居酒屋も。
 
 帰りは普通列車(左写真はもちろん松江駅じゃないとこで撮影)。
 ボックス席中心の車内とか、新型になっても守るべきとこは守っているキハ126・121が大好き。

 ちなみに米子~松江~出雲市は普通列車が朝夕約30分ごと、他は約1時間ごとだが、別に岡山や鳥取からの特急が毎時1~2本、時には3本も加わる。
 特急の多さは、鉄道が都市間連絡の機能を元気に果たしている証拠。
 でも地元の利用者にすれば、つばめならずとも「特急に乗れたらなあ」と言いたくなりそうだ。
 いちおう特急OKの定期券や特急料金の回数券があり、少ないながら通勤利用らしき姿も特急の車内に見受けられる。
 そして、旅行者向けにも特急乗り放題になるプランがあり、筆者はこれを重用した。次回でちょっと紹介したい。

 恒例:今日の駅弁より…松江駅「出雲招福ちらし」。
 
 穴子・アゴ(トビウオ)のでんぶ・黒豆&小豆・昆布・境港のカニ・大山鶏etc。
 出雲と言いつつ、無理せずに米子あたりでも採れる品々を含めてるのが奥ゆかしい。ただ後ろの2品は明らかに伯耆の産物では(笑)。
 決して皮肉じゃなく、両地域が一つで、なおかつ食べ物がおいしい場所だと分かる駅弁。

 同じく、今日の晩ご飯より。
 
 今度は親ガニじゃないカニ!松葉ガニ!
 半身で1,260円、というのを発見…昨日の店で目をつけといただけだが。
 おかず一品の金額としては少々アレだが、でも表通りだと注文は1パイ単位で倍以上のお値段、というのが普通。

 …三日がかりでカニに満足したところで、明日は帰る日。

(つづく)

冬コミ御礼&山陰雪中行つづき

 皆様、新年あけましておめでとうございます。
 昨年…というか昨日はコミックマーケット81、お疲れ様でした(笑)。
 家人と新年&冬コミ無事終了のお祝いを済ませたところで、さっそく皆様にもご挨拶と御礼とをば。
 【右写真:冬の大山(鳥取県)】

 さて新嘲文庫の冬コミですが、いらした方は特に多くも少なくもなかったものの、角のいい場所を頂戴したせいか、久々にフリのお客さん比率が高いコミケになりました。
 もちろん、いつも来ていただけてる皆様にも感謝感激です。
 特に差し入れを頂戴した方々、本当にサンクスです!

 そして今回は売り子に恵まれて買い物もはかどり、初めて東~西の移動も体験。
=主な収穫=
★「柚子と蜂蜜」様(新刊の挿絵師・由井ひな子嬢の売り子&委託先…百合もいいなあ)
★「Rendering学習日記」様(知る人ぞ知るCG教育のオーソリティが祝・初参加、ぜひ次回以降も)
★「亜細亜姉妹」様(はるばるお疲れ様です、これから拝読しますね)
★「ゆとり世代部」様(『水出しラーメン』、めっちゃ笑いました)
★「あにだん」様(ひさびさの『オタク業界うんちく日記』、うれしかったです)
 …ありがとうございました。楽しかったです!

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 ところで新刊ですが、コメディにしては軽快さに欠けるなあ…などと今さらながら反省しておりますです。
 そのへんは今後も勉強するとして、つばめや隼や仲間たちの新たな行き先を求めての取材旅行…冬コミ前の山陰雪中取材行・2日目から。

 
 翌日も雪…それにここ、絶対に海沿いの街中じゃない。
 いくら木造建築がいい感じでも寒いものは寒く、この1枚を取るや駅舎へ駆け込む。

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 ここは、米子から伯備線の特急「やくも」に乗ること30分弱、内陸に20キロほど入った根雨の駅。
 駅舎もいい感じの木造建築のまま。雪が小止みになったとこで一枚。

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 駅周囲は日野町の中心部。この先に古きよき町並みがあって、それが当地の呼び物。
 ただしこの直後からメチャクチャに降り出し、ロクな写真が残らなかったので肝心の風景は割愛。

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 雪まみれになって探索して戻って来るや止む、という恨めしい天気。
 でも次のスケジュールがあるので、駅を挟んで町並み地区とは反対側へ。ここも歩道の除雪は最小限。

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 日野川沿いに出る。越えてきた踏切のすぐそばに、こんな写真を撮れる橋がかかる。
 鉄道写真を抜きにしても、いい感じの山と川の眺めが広がる場所。

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 部活か補習帰りの高校生と一緒に、普通電車で米子へ戻る。
 なお撮り損ねたものの、ここは駅舎内の待合室もいい感じ。ちなみに有人駅で売店も営業。

 
 9分遅れで根雨を出た米子行きは、途中駅で行き違いをする。
 でも反対側の列車はそれ以上に遅れていて、結局そいつが通過するまで10分も停車。

 昨日ほどではないものの、列車は軒並み10~20分の遅れを背負い、そして行き違いのたびに遅れ時間は広がる。
 山陰線ともども単線なので、一本が遅れると行き違いを介して、遅れが「ぷよぷよ」みたいに次々と連鎖していくんですな。
 貨物列車に至ってはダイヤが完全に変わっていて、ないはずの列車が通るかわりに来るはずの列車が来なかったり。
 そのせいで、さっき橋の上で時間ギリギリまで凍えていた。なので待合室の写真がない。

 
 ↑米子に向かって左手の車窓には、日野川が寄り添い続ける。
 
 ↑右手は伯耆溝口あたりから、きれいな雪野原。雪がなくても田畑の広がりが美しい。その向こうに大山の姿も。

 
 今日の駅弁…米子駅の「海の宝箱」。
 1,260円と張り込んだ甲斐あって、角切りの魚貝がゴロゴロ。同駅名物の棒寿司(5切れで千円以上する)も2切れ楽しめる。
 なお、もう少しリーズナブルかつ当地名物なものでは「赤貝飯」(900円)がうまそうだった。

 
 今日の晩ご飯より…駅近くの居酒屋にて、地魚のお刺身四品盛り。
 右から時計回りに、生鯖・鯛・本マグロの稚魚・ブリ。これで750円は安いという味だが、2人前だとさらに割安に。
 
 …以上、雪に振り回されて写真は駅の周囲や車中しか残りませんでしたが、つばめたちを暴れさせる舞台の候補が一つ増えました。
 天気が変わりやすいのは当地の特徴ですが、まさか雪までそうだとは…。

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 では皆様、本年もよろしくお願いいたします。
 ちなみに3日目と4日目もぼちぼち掲載していきます。

ホワイトクリスマス!

【冬コミ参加情報はこちらです(前の記事)】

 
 もう25日午後なのにホワイトすぎです。あと耳がちぎれそうなぐらい寒いです。
 …もちろん、東京の話じゃありません。

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 めずらしく早々と新刊・ペーパー・ブースの準備を終えた晩、乗り込んだのは「サンライズ出雲」。
 といっても写真は岡山のですが…6時半なのにまっ黒け。

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 分水嶺を越えるや、窓の外に一面の雪景色。
 でも止んでるだけマシで、今日撮った中で降ってない写真はこれだけ。

 …旅先は新刊『つばめと彼と隼』の舞台、山陰・雲伯地方。
 ネタの仕入れをかねた再訪でございます。
 初日はとりあえず倉吉(トップの写真)まで往復した後、米子の駅と市内探索。

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 新刊の表紙に出てくる米子駅。
 山陰線・伯備線の両方で同時多発倒木につき、朝からダイヤ乱れまくり。
 
 隣接する車両基地には除雪車までスタンバイ(というか既に一働きした模様)。

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 米子の街にて。道の向こう側らへんが新刊表題作のクライマックスの舞台。
 左のレトロな建物は山陰歴史館(旧市役所)。

 
 誰か歩道の雪かきして下さい…。
 日曜のせいか、歩道は駅前でも大変な状態。

 
 米子の下町、加茂川沿い(つばめの家から駅への道のり)。
 実は細かいアラレがビシビシ当たっている。

 
 本日の駅弁…厳密には駅弁じゃないが。
 構内のコンビニに寄ったら「境港産のカニを使用」というカニちらしを発見。思わず購入。

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 今日の晩ご飯より。
 豪華に見えるが「親ガニ」という小さいヤツで、760円なり(でなきゃ頼めない)。

 以上、泊まった宿の部屋にLANがあったので、少し早めに「冬コミの支度をさっさと終えたワケ」を報告してみた次第です。
「…べ、別に余裕自慢してるわけじゃないんだから!(←ぉぃ)」
 実は今度の正月に休みがほとんど取れず、無理やりその先取りを追求したゆえの強行軍。今はのほほんと旅してますが、昨日まで死んでました…まさか2日間で執筆以外の全作業をやることになろうとは。
 31日に元気な顔をお見せできるよう、雪と温泉で命の洗濯してきます。
 それと、申し遅れてしまいましたが、皆さんのクリスマスはいかがでしたか。

岡山県東部…前編「なぜか駆け足な旅」

【切符・列車・駅弁や食事の情報はこちらをご覧下さい】


 仕事帰りの足でサンライズ(上記リンク参照)の「ノビノビ座席」に乗り、夏休み初日の朝六時半頃、岡山着。
 ここから、三泊四日の岡山滞在。
 あいにくの曇り空、しかも線路の砂利がしっとり濡れているが、構わない。
「こりゃひょっとして、もう一雨来てくれるかな?」
 そんな展開を、むしろ期待している。
 鞄をコインロッカーに預け、駅ビルでアイスコーヒー。さすが無理やりとはいえ指定都市の中心駅で、この時間に着いても過ごし方に困らない。メモの整理をしてから駅前広場を眺める。大都市圏の主要駅では考えられないほど広く取られた歩行者スペースの先に、あまり車が溜まっていない車溜まり。その向こうの市街地は背が低くて、これまた大都市圏じゃないのが一目で分かるけれども、駅前から出ていく大通りの両側にだけ、現代的な高いビルがにょきにょき集まっている。
 その高いビルの麓に、ぽつりと路面電車。岡電の駅前停留所だ(下写真の奥の方)。
「やっぱ、路面電車で通学だよな…」
 思うが早いか、もう停留所に向かって歩き出している…もちろん筆者が通学するんではない。
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 夏コミを翌月に控えて大方書き終えた短編『かえりみち』、そのヒロインの下校の足取りを、七月下旬の今頃になって追いかけに来た。追いかけてみて、もし深刻な矛盾があったら書き直しだ。段取りが悪いどころか順序が正反対なのだが、学期中に三泊四日の旅などできないので仕方がない。それにまあ、舞台にしようと思う以上は全く初めて踏む土地でもないから…。

 東山行きの路面電車に乗ると、中心部と言えそうな市街地は十分もせずに尽きる。尽きてからの沿線が、いい。
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 片側一車線の道に入って旭川を渡ると、空が広がり、県庁や岡山城を載せた丘陵が川に浮かぶようにして見える。そして渡った先では木造家屋や石造りの銀行が細い道を囲み、電車はそれらの軒先をかすめつつ蛇行していく。その軒先を抜けると、行く手を山の緑に阻まれるようにして終点…駅からわずか十五分前後の一角。観光名所は何もないが、レトロな町並み好きにはたまらないゾーンだ。古い家屋ばかりとはいかないが、狭い道を行く路面電車がいいアクセントになっている。
 そのあたりを中心に見て回り、雨に降られつつ下校を急ぐ主人公を景色の中に置いてみる。と、本当に雨。瓦葺きの軒や塀の向こうの緑が、濡れるにつれて色を濃くする。
「思った通り、雨もいいもんだね…こんな町に住みたいな」

 …などと感激したくせに昼前にはさっさと駅へ戻ってしまい、食事しながら写真とメモの整理をすると、そそくさと山陽線に乗って東へ。パイプじゃなしに金網でできた網棚、青い布地が張られたボックスシートに薄緑色の内壁…子どもの頃にわくわくしながら乗った「東海道線の車内」をそのまま残した電車が、まだ走っている。やがて景色は田園から山村になり、線路も登り勾配になっていくが構わず乗り続け、吉永(写真右)、そしてヒロインの行程にしたがって県境の手前・三石(写真左)で下車。
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 どちらもホームには木造の屋根柱が並び、そして無人駅になってもおかしくない乗降数ながら、業務上の都合で駅員がいる。掃き清められた構内。田舎のガランとした木造駅舎にして、窓口に明かりがある眺め…乗ってきた電車といい、気分は国鉄時代。その景色を楽しむだけで二十分はつぶれる。
(写真のように窓口を閉めている時間もあるが、それでも窓口の周囲や駅舎が原形のままよく整備され、職員の気配を感じさせる)

 ひっそりとした中、みずからも煉瓦造りの耐火煉瓦工場だけが動きを見せる山あいの町をちょこまかと探索してから、また東へ。傾きかけた陽を見ながら電車は船坂峠を越え、兵庫県の西端の町・上郡を目指す…。
 おい。

 岡山県から出ちゃったじゃないか。
 お前は岡山に三泊するんじゃなかったか?

 誰かが何か言っているが、構わず上郡で降り、智頭急行という私鉄のディーゼルカーで北上。この翌月に大水害に見舞われた佐用町に入り、長いトンネルでその町域から出ると、また岡山県に入る。「入る」というよりは、上郡から鳥取へ直線を引くと岡山県域北東の突き出た部分をかすめざるを得ない、と言った方が正しいのだが、ともあれ岡山県内だ。
 その山深い一角のさらに一番北のはずれ、次の駅はもう鳥取県下という場所に「あわくら温泉」という小さな駅がある…。

(つづく)

伊予灘と内子、大洲(下)

★長浜回り―――来夏に向けてということで(汗

【切符と往復の旅程については末尾に記載】

 去年も同じ様なことをしたが、夏の続きをサボるうちに冬になってしまった。誰も読んでないだろうけれど、申し訳ないことをした。
 東京の空は、ツンと澄んでいる。もちろん現地も、今時分はずいぶん違った景色のはずだ。

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 ホームの向こうは、一面の海………駅名標にある通り、ここは「下灘」という駅。前回の巻頭の写真も、ここで撮った。

 高松から愛媛県・宇和島へと向かう予讃線は、松山の先、伊予市で二手に分かれて、それぞれに伊予大洲(前回参照)を目指す。ひとつは内陸に入り、山をトンネルで抜けていく「内子回り」、もう一方は伊予灘~肱川と水辺の低いところを這っていく「長浜回り」だ。
 長浜回りが元々の予讃線だが、国鉄時代の最末期にショートカットの内子回りができて、特急や急行(当時はあった)が全部そちら経由になってしまった。よそ者が時刻表を読む限り内子回りが圧倒的に本線に見えるけれど、にもかかわらず、普通列車の数は今もほぼ五分五分。腐ってもなんとやら、長浜という港町もあることだし、やはり元からのルートの方が開けているのだと踏んで、「本線」から引込線の様に枝分かれする長浜回りに乗った。

 列車は、二時間に一本ほどある。
 午後三時。休み中だからもう下校時間帯のはずだが、座席を半分ほど埋めた乗客に制服姿は少ない。
 山を分け入って最初の一駅を出ると、あとは一段低いところに伊予灘を見たままトコトコ西へ進む。一度海が隠れて上灘、ふたたび現れて一番間近になったところが、下灘だ。
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 筆者の他には誰も降りない。行き違いの線路を埋めた跡。山側にオーソドックスな「田舎の駅舎」。駅前の小径もひっそりとしていて、雑木林と古びた家屋が、緩い坂道とともに日を浴びている。線路をくぐって海際の国道へ出たものの、垂直に護岸がされていて降りるべき磯や砂浜はなかった。
 結局、ホームのすぐ先に大海原がある様を眺めるしかない場所だったが、これほど海岸に寄った駅というのは案外少なく、その眺めだけで十分だった。筆者の体感ではあっという間に一時間が過ぎ、誰もいない駅に上り列車の時刻が近づいた。
「真っ青な水面をバックに、のどかな乗降風景を…」
 ということで三脚を立てる。立てたらレールが車輪の音を伝え始めた。列車が着いて人影が見えたらシャッターを切るだけだと決め、指をシャッターボタンに添えて立ったまま待つ。西日が差す中、一両きりの列車がアイドリングを響かせつつ止まりかけたところで、中学生が二人駆け込んできた。ぎこちなく手をつなぐ男女の体操服姿。子どもっぽい不器用さが、いかにもひなびた土地らしい…。
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 …と思ったら、海辺の村だろうが何だろうが、やはり今の中学生は今の中学生だった。
 決め込んだ通りにシャッターボタンを押した瞬間の出来事で、どうしようもなかった。
 ただ、このすがすがしい眺めの中で見ると、それすら爽やかであどけなく思えた。小走りに乗り込む女の子、見送る男の子。彼はドアが閉まってもなおせつなげに立ち続け、列車が動き出しても顔が窓の内側を追っている…。

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 その次の下りで、串、喜多灘と西へ進む。まっすぐな海岸線が続き、時々、寄り添って風に耐えるかの様な集落。ただ、気候に厳しさは少ないらしく、家々は古きよき木造瓦葺きが多く残る。
 人口は希薄だけれど、さびれて家が減ったというのではなく、元々あまり大きくない農漁村だった様だ。すぐ後ろまで山が迫っているし、さりとて漁港に向いた入り江がある訳でもない。山でミカンが獲れるものの、各駅をざっと眺める限り、かつて繁盛していたと言える様な貨物扱いの痕跡は見えなかった。
 海辺と山中の違いがあるだけで、昔とて、こちらを通ろうが内子回りにしようが、沿線人口はあまり違わなかったかもしれない。次の伊予長浜は古い港町だが、内子も予讃線が通った頃には林産物の集積地として大変栄えていたし、今の内子回りに沿って街道もあった。できるだけトンネルや高低差の少ないルートで、という教科書通りの理由だけが長浜回りを作ったのだと、あらためて知る。

 まばらに工場や倉庫を載せた埋立地が見え、やや内陸に寄って海に別れを告げると、その伊予長浜。
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 途中の駅よりは大きいが、それでも写真の通り、かつて特急や急行がすべて停まった駅にしては小さく、寂しい。もう列車が来ることのない錆びた待避線を、家路を急ぐ中学生が越えていく…。
 日をあらためて訪ねたところ、この町だけは「さびれて静かになった場所」だった。
 ただ、駅はもとから町はずれにあって、駅前に何もないのは昔かららしい。
 港町ということで地図の「フェリー乗り場」を目指すと、コンクリートの建物は閑散としていて、乗船券売場だったらしい窓口が板で塞がれている。隅に食堂があったので入って聞くと、かつては対岸の本州や関西とを結ぶ便が毎日来ていたものの、今は近くの島へ行く船が二便あるだけだという。そもそも港が狭く、貨物船の姿も少ない。食堂では、おすすめだということでチャンポンを食べた。この町とは何の関係もないけれど、春に修学旅行先の長崎で食べたものよりもうまかった。
 いきなり寂しいものを見たが、最初に港へ行き、食事をしたのは正解だった。町の目抜き通りは櫛の歯が欠けたごとくに店が閉まり、ちょっと昼食をという様な店は見あたらなかったからだ。
「これが話に聞く『シャッター通り』か…」
 ただ、目抜き通り以外を含め、建物の中には古い家屋敷が少なからずあって、町に歴史があることを静かに物語っている。その中の一つに「紙製品」と書かれた店を見つけた。そう書かれてはいるが実態はほぼ煙草屋で、買い物をして、写真を撮らせてもらった後に一服。
「…それでも最近まではな、夏は、近くの浜へ海水浴に来る人が結構あったんですけどなあ…」
 煙草屋としては無駄に広い店の中で、店主がのんびりと語る…。
 収穫はフェリー乗り場のチャンポンと、あとは、さびれた町というのを久しぶりに見た。田舎を目指すあまり林業や漁業で栄えた跡にばかり目が行き、商工業や港湾でにぎわったなれの果てというのを丁寧に見てこなかったと思った。



 東京との往復と現地の移動には、周遊きっぷの「四万十・宇和海」ゾーンを使った。松山・高知以西のJR全線が特急自由席まで乗り放題だが、現地で二泊もできれば、今回の様に伊予市~伊予大洲をウロウロするだけで元が取れる。
 往復運賃は2割引。割引はないが、自分で航空券を買って片道のみ飛行機にもできる。今回は復路を飛行機にした。
 往路が2割引で9,520円、プラス特急料金10,500円(「サンライズ瀬戸」ソロ+「しおかぜ」自由席)。乗り放題で4,260円。復路は飛行機で25,400円(特便割引1)………しめて49,680円。

 宿は、内子に取った。当然、タイトルにもある通り「内子回り」の内子も見て回ったのだが、今回は割愛する。
 たいしたことがなかったのではなく、むしろ逆で、筆者にもこの欄の読み手各位にも、心地のよい眺めがたくさんあった。それゆえまた、いま少しゆっくり訪ねようと思っているからだ。

 …ホンマやぞ。手抜きちゃうぞ(苦笑)。

伊予灘と内子、大洲(上)

 夏休みの最後の週に、ようやく三日ばかり休みが取れた。
 あれこれ迷った挙げ句、古い町並みや海沿いの線路を求めて、愛媛県の中予地方西部(内子、大洲、伊予灘沿岸)を列車で旅した。

 なお切符や往復の旅程については(下)の末尾で示す。

ファイル 9-1.jpg

★伊予大洲―――昔を残すということ
(右下写真は伊予大洲城趾。孤立した山城みたいだが左手に大洲市街がある)

 いきなり、東京へ帰るべく大洲の街を後にする場面から書く。
 駅へ向かうタクシーで立ち寄り先を聞かれ、海沿い、内子と回ってここへ来たと伝えると、
「内子はよかったでしょう」
初老の運転手氏は開口一番、よその町をほめた。ただし口ぶりに嫌味はない。
「ええ。でも古い建物のある町が目当てなんで、ここもよかったです」
「ああ………じゃあ、赤煉瓦館は行かれましたか?」
 筆者はその前を通りはしたが、下調べの段階で黙殺を決めていた。銀行として使われていた明治築の洋館なのだが、横浜や函館の煉瓦倉庫同様に原形をとどめていない。外壁には塗装が施され、中は特産品の販売コーナーや飲食店。本来その敷地ではなかっただろう場所に、広場や、カフェテリアのある庭園をしつらえて隣接させている。
「自慢の『新名所』なんだろうけど、そういうものを喜ぶ趣味はないんだよな…」
 運転手氏の問いかけに失望しながら、筆者は「はい」と返事した。
 が、運転手氏の真意は筆者の予想と違っていた。
「前はあのあたりに、油屋いう、大きな古い家がありましてなあ…」
「昔の商家か、なんかですか」
「ええ。そりゃもう、あのあたりじゃ一番大きな、昔っからの立派な建物でしたがなあ」
「やっぱり、維持しきれなくて売りに出して…ですか」
「いや、市が管理することになったんですけどな、管理するどころか壊してしまって、あんな風に…みんな呆れてますわ」
「……………」
 つまり、赤煉瓦館の広場や中庭がその跡地だった。木造家屋が建て込む中、そこだけが妙に開けていて不自然だったのだが、不自然なのは無理もない。運転手氏の回想を聞くほどに、町並みに混じってその旧家が建っている風景、それが原形のままの煉瓦建築と並んでいる風景が見たくなった。「角を矯めて牛を殺す」という言葉を思い出す。いや、煉瓦館の姿を思い出すと、角すら矯めていない。
 市にも、言い分はあるだろう。人の使わなくなった建物を何でもかんでも取っておけというのか、こちらも食べていかなければならないんだ、と。
 でも、平日とはいえ旅行シーズンなのに、巨費をかけて改装しただろうその新名所は静かだった。少し東側にある、土壁や連子窓の建物がそのまま使われている町並みの方がそこよりも旅行客を集めていた。
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 右手にそれらの町並みがある地区、左手に大洲城趾を囲む中心街を見ながら、タクシーは橋に差しかかる。渡っていく肱川の水面に、白い天守閣を載せた城山がゆらゆら映っている。
「天守閣を復元する時も、みんな反対しましてなあ…」
 わりに最近、作られたのだという。城山には登ったが、予讃線の鉄橋を撮るためだったので天守閣はよく見なかった。
「…雨降ると川があふれるとこがあるのに、それ直さんで天守閣建てて」
「あった方が人寄せになる、ってとこですかねえ…」
 みんな反対、というのはいくらか割り引くとして、油屋の話のおかげで筆者は運転手氏のセンスを信用している。四国の城趾の中では有名な方だから、見に来る人々を意識して復元を急いだのだろうか。
「それがね、城跡を見て回っとる人に言わせると、残ってるままで別にいいそうで…それだったら何かの土台が残っとったんですけどねえ…」
 似た様なことを、前にもやっているのだった。

 …とはいえ、上の二点を除けば大洲の町並みはすばらしい。市街の東端にある、明治大正頃の商家の建物が並ぶ通りもそうだが、そこに向かって東西に走る街路も、窓枠や扉まで木造のままの商店や古い洋風建築の医院が町をなしている。
 建物があるだけでなく、どちらも大部分が店舗や住居として現役で、土地の人々が通ったり立ち寄ったりする生きた町並みだ。だから残っているのだろうし、もし無人の場所に古い建物が保存されているだけなら映画のセットと同じで、それだけのために遠くから人が大勢来たりはしないだろう。
 逆に言えば、ひとたび使われなくなった建物を残すことや、一度壊した建物を意味ある形で復元することは難しい、ということらしい。
ファイル 9-4.jpgファイル 9-5.jpg
「それじゃ、お気をつけて」
 タクシーが駅に着いた。運転手氏の声に見送られて駅舎に入る。
 一つ忘れていた。この駅のホームも、「一昔前の田舎の駅」を残している。

(つづく)

智頭~因幡の山の冬と春


【列車・宿などのご案内がこちらにあります】



 ひなびた場所の桜を求めて、中国山地の一角にある町・智頭(ちづ)に行った。
 杉林の山に囲まれた、因幡街道の宿場町。鳥取市から日本海に注いでいる千代(せんだい)川の、上流というか源流がある場所。その町中にある川の堤に、見事な桜の古木が、百メートル以上にわたって並んでいる。



 もともとは、「西日本の山中にある雪深い町」を求めて、この二月に訪ねた場所だった。
 昨夏、山の反対側にある岡山県・美作地方へ行った際に、土地の人々から
「ここはそうでもないけど、那岐(なぎ)山から向こう、智頭の方は豪雪地帯だよ」
という話を聞き込んでいて、それで町の「雪まつり」に合わせて訪れたのだ。
 しかし着いてみると存外暖かく、雪は河原や家々の軒を薄く染めているだけ。地面にも積もっていなくはないのだが、思いのほか浅い。夜に備えて様々な雪灯籠が道の両側を飾っているものの、よそから持ってきて置いた様なぎこちなさがある。
「ハハ、そんなのはホントに山奥の方だけだよ…この灯籠の雪だって、そこから運んだんだもの」
世話役のお一人であるらしい親父さんが、笑ってそのカラクリを教えて下さった。なるほど、町を囲む山々は確かに真っ白だ。
「……………」
 けれども、まず町並みがよかった。京格子、板塀、木枠の窓や玄関…さして広くない道の両側に、古い木造の構造物が並ぶ。旅行客の通り道もそうだし、そこから一本入った住宅地にもその空気が濃い。
 城下町などで、市町村が家主に補助金を出して町並みを維持している例があるけれど、ここでは二、三の保存家屋は別にして、役場は特に何もしていないとのこと。つまり町の人々の「なんとなく」に支えられて、この、かつて物流や林業で栄えた古い町はその姿を今にとどめているのだ。
 町の人々といえば、雪まつりにも手作りの空気があふれていた。露天商のたぐいは一軒もなく、辻々で空地にテントを張ったり、商店の一階を片付けたりして餅や汁、焼き鳥や缶ビールなどを売っている。そこで暖を取りつつ、昼は豆まき餅つきや杉玉作り、そして夜は雪灯籠の灯る町をそぞろ歩くだけ…。
「人を呼ぼうとするあまり騒がしい行事になり、町の良さが台無しに」
そんな失敗とは無縁な、静かで暖かいお祭り。というより、どうやら東京や大阪から人を呼ぶことなど念頭になく、鳥取市や、せいぜい山向こうの津山あたりから人を呼んで、そして自分たちも楽しもう、という趣向らしい。 



 にわか作りの「店」で、缶ビール片手に一休み。居合わせた人たちに声を掛けられ、話になる。町並みの感想を感激のまま話していると、後ろで立ち話をしていた、白髪混じりのやや上品な男性が隣に座ってきた。
「東京から来てみて、どうですか?」
住めるなら住みたい場所ですね、自分に勤まるような仕事があれば…と、素直かつ安易な思いを返す筆者。
「なに、仕事なら心配ない」
「へ?」
「東京まで智頭急行と新幹線で四時間。通っても十分睡眠時間が取れる!」
真顔で冗談を言いつつ差し出す名刺を見ると、この町の町長その人だった。
「この、目の細かさと真っ直ぐさが智頭の杉の特徴でね…一説によればその昔、大国主命が…」
木を貼り合わせて作った名刺を差しながら、町長氏は名産の杉材にまつわる雑学を熱く、しかし飄々と語って下さった。そして、初夏に山から吹いてくる「緑の風」の匂いを絶賛し、三月末の「雛あらし」という行事や四月に咲く川沿いの桜とあわせてぜひ体験するよう、まわりの人々とともに暖かい眼差しで勧めてくるのだった。
 …あの、つまり東京から毎月来いってこと?



 そんな次第で、桜というと智頭が思い浮かんだ。東京から中国山地というと果てしない感じがするが、上述の通り、智頭ならばそう長旅ではない。どのみち関西へ行く用事があったから、ほんの少し足を伸ばすだけだ。

 しかし夜行があれば、新幹線よりさらに早く現地入りできる。そこで費用の節約も兼ねて、前夜十時に、高松・出雲市行き夜行「サンライズ」の「ノビノビ座席」に乗車。朝六時前に兵庫県の西端・上郡に着くと、十数分後に智頭急行線経由・鳥取行きの特急がやってくる。
 列車は岡山県東北部の山地をかすめて鳥取県へ入り、その入ったところが智頭町なのだが、沿線の山野はまだ全体に枯れ木の色が濃い。
「東京の一週間遅れぐらいで…と思って来たけど、早かったかな」
 智頭駅で降り、まだ眠っているかの様な町を歩いて千代川にかかる橋まで来ると、果たして桜並木は、蕾の色でほんのり紅くなっているだけだった。無理もない話で、まだ吐く息が白い。
「……………」
 がっかりしろ、自分。そう言い聞かせなければならないほどに、しかし筆者はまだ咲かぬ桜の枝に見とれてしまった。おそるおそる、一歩二歩と近づく………東京でもどこでも、咲いた桜はおおいに人を集める。でもその直前までは、まるで別の木であるかの様に誰もそれを気に留めない。なのに筆者は今、乾いた枝の上で朝日を受ける、小さな紅い蕾がとても気になっていた。そして離れて眺めれば、紅色の霞がかかった様な不思議な世界が…東京で、蕾を付けただけの桜の木が、そんな風に見えたことがあっただろうか。
「あ……」

 冬には真っ白だった町を囲む山が、杉の深々とした緑色に覆われている。
 枝越しに見下ろすと、上流域の透き通った川の水が、ところどころで渦を巻きつつ豊かに流れている。
 その二つの背景が、蕾でしかない桜を鮮やかに映えさせていたのだ。

 人が来て、電球を吊り下げる線を木々に渡す作業を始めた。川を後にして、町中の、昔の街道だった通りへ。もともと観光客がどっと押し寄せる町ではないが、来週あたりの桜を前に出控えがあるらしく、古い町並みはひっそりしている。遠慮なく道の真ん中を歩いて景色を堪能し、一般公開されている広い屋敷をゆっくりとめぐる。酒の蔵元があり、ちょうど出たところだという新酒を味見。日本酒はやらないのに、思わず五合瓶を衝動買い。

 川のさらに上流が見たくなって、智頭急行の普通列車で、もと来た方へ一駅戻ってみる。
 大股十歩分ほどの幅になった川の周囲だけが平らで、その両側は杉の山。集落も駅も斜面にへばりついている。川筋には現代の因幡街道が沿っているが、車はポツリポツリとしか通らず、とても静かだ。
 ここにも川沿いの一角に桜並木があって、やはり緑の中にうっすらとした紅い霞を見せてくれた。川のそばには他にも、菜の花が点々と咲き、ネコヤナギが芽吹いている。冷たそうな水の流れが菜の花を鮮やかにし、菜の花の黄色が透き通った川面をさらに青くする。

 ひたすら杉林だけの様に見える山も、入ってみると梅がひっそり咲いていたりする。少し湿り気を帯びた様な、木の匂い…ここは確かに森の中なのに、目の前に白梅が咲いている。とても不思議だ。

「少し早く行って、よかったなあ…」
 その晩は大阪で、友人たちと夜桜を見た。東京では考えられないことだが、市内のそこそこ内側にある、名所とおぼしき公園にいきなり行って場所が取れてしまう。それも驚きだったし、なにより真っ白に映える桜はきれいだったけれど、その間もなお、智頭で見た紅色の霞は、筆者の頭を離れることがなかった。

 以上、四月の第一土曜日の話である。もちろん咲いた桜も格別に違いなく、それを見るなら第二土曜日あたりということになる。

頼もしき遊覧船・後編

07年9月の続き。もはや近況でも何でもないが、来夏は皆様ぜひということで】
【山陰海岸の切符・宿などの情報、過去の旅行記はこちら


 …船乗り場には、やはり誰もいなかった。二時の船が出ないなら帰るしかない。
ファイル 1-3.jpg
「でも三時前のヤツは、団体さんが入ってて必ず出ますから」
 しかしスカイブルーのおばちゃんは筆者を見つけるや、まるでこちらの言ったことなど忘れたかの様に、明るく元気よく一時間前の台詞を繰り返すのだ…。
「お兄さん今日はどちら泊まり?」
「いえ、今日中に帰るんですが」
 殺し文句のつもりで、筆者はそう言った。やっぱり城崎の外湯で疲れを取りたいし、それにバス停のまばらな時刻表によれば、今ここを出るとバスで安上がりに香住駅へ戻れる。
 が、おばちゃんはニコニコしたまま動じない。
「どの特急で帰られるの?『北近畿』?」
「四時半過ぎの、最後の『はまかぜ』に…」
「城崎から出てる『北近畿』っていうのなら六時頃までありますよ…特急券も簡単に変えられるし」
 こやつ只者じゃない…と思ったが、しかし個人的な趣味を別にしても、播但線回りで周遊きっぷを組んであるから『はまかぜ』に乗らない訳に行かない。そのへんの事情を簡単に返し、あわせて城崎温泉に寄りたいことを繰り返したのだが…
「城崎なんて、いつでも行けるから!」
 敵はカラリとした一声で、天下の名湯を蹴り飛ばしてしまった。そして目を細めて筆者の背後を一瞥し、言葉を継ぐ。
「けど、こんなええ海はなかなかない。一時間のコースやから四時前には戻れるし…帰りは車で送ったげますから、そしたら十分間に合いますやろ」
「……………」
 振り返ると、漁港の向こうに真っ青な外海が見えた。ほんのり碧がかった透明度の高そうな海が、青空に輝く太陽にキラキラと照らされている。この一帯には夏だけで五、六度来ているが、こんないい天気は今日を含めて二日ほどしかなかった。判定基準がやや厳しいとはいえ、統計上も但馬地方の快晴というのは年に十日あまりしかない。
 そして城崎はいつでも行けるどころか、既に何度も行った。
「…疲れを癒すなら、家へ帰ってからすぐに寝ればいいか」

 そんな次第で気がついたら三時の船に乗ることになっていて、それはまあいいのだが、出発まで一時間近くある。
 周辺の散策はさっき済ませてしまった。昼食がまだだったが、午後の漁港にそういう店はない。ただ、先ほどの「海の文化館」に小さな喫茶店兼食堂がある。
「食事、してきます」
乗船券売場の窓越しにそう告げると、
「まあ、そんなとこまで行かんでも…これから銀行行くとこだから、どうぞどうぞ」
おばちゃんが急いで出てきて、押し込む様にして軽自動車に乗せられた。
「お客さんおるんやから、早く」
二代目三姉妹もいる、とチラシに書いてあったその人なのか、やはりスカイブルーの制服を着た若い女性も乗り込んできて、町の方へ出発。
「先に銀行寄りますけど、お店もすぐですからね」
しきりに私にそう言い、スピードを上げる。親切心が伝わってくるし、家庭的なサービスも心地よいのだが、二人して船乗り場を空けてしまって大丈夫なんだろうか…。
 サービスが家庭的なら、着いたのも東京近郊にもある様な大型スーパー。魚なら土地の物を使っているだろうと思いつつ握り寿司のパックを手にすると、果たして産地は「香住」とあり、戻ってから食べたら大いにうまかった…他の海沿いの土地でも経験したけれど、少なくとも魚に関してはわざわざ高い店に入る必要はない。素直に行きつけのスーパーへ向かってくれたことに感謝。


 戻ると遊覧船に渡り板がつけられていて、ほどなく観光バスで団体様ご一行が到着。他に親子連れも一組やってきた。やがて船はエンジン音を高めて桟橋を離れる。
「本日は三姉妹遊覧船・かすみ丸にご乗船ありがとうございます。今日は天気も良く、波もおだやかでございますが、なにぶん海でございますから…」
 マイク放送の声に、聞き覚えがあった。
 最後尾の吹きっさらしから船室を覗くと、最前列で、件のおばちゃんその人が操舵輪とマイクを握っている。スカイブルーのりりしい後ろ姿が狭い漁港内で船をくるくると回し、あとは一直線に防波堤の切れ目を過ぎる…。
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「…気持ちいい」
 車窓や沿線の村から何度も見た海だが、今はまさにその海の上にいる。透明なのが分かるせいか、青い水面は今まで見た中で一番すがすがしかった。照りつけている太陽は熱くなく、時々かかる水しぶきも冷たくない。
「右手に見えてきましたのが沖の松島でございます…あ、これから近くへ寄りますので、お写真はそれからでも…」
 船は時々航跡を曲げ、こういった断崖絶壁のすぐそばに寄って縫う様に走る。ゴツゴツした奇岩が突き出ているのは海の上だけじゃなく、水の下も一歩間違えれば座礁しかねない複雑な地形のはずだが、船もおばちゃんの案内放送も飄々と進んでいき、それをみじんも感じさせない。
 絶壁に穿たれた深そうな洞門に立ち寄り、突っ込まんばかりに船首を近づける。
「…もう一つ小さい船の時には中まで入れるのですが、今日はご容赦下さいませ」
 ぞっとするほど見事な水面の碧さ、どうやってそこへ来たのか分からない釣り人たち(左端)、インデアン島、そして眼鏡洞門……夢中で眺めてはシャッターを切るうち、目的だった鎧の村が見えてきた。
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切り立った崖の間にその村を見ると、本当にまわりの人里から切り離されたちっぽけな村なのが分かる。そしてそこに立っていた時以上に、今まで住んできた人々へ畏敬と憧憬とを覚えた。
(この時の眺めは、拙著「海が見える駅」で余すところなく活かしたのでお買い上げあれ…笑)
 写真も、思いのほか撮りやすい。それでなくても船の上という条件の中、最後尾の甲板は狭く、相客があると三脚も使えないのだが、シャッタースピードを1/1000以上にしても十分な露出が得られるゆえ、ブレとは無縁!海面が太陽を照り返す力は、ものすごい。
 それを活かし、船の折り返し地点である餘部鉄橋の眺めを見事にパチリ。折よく普通列車が鉄橋を渡る。
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去り際にもう一枚。聞けば列車の時間を考えながら、なるべくその頃合いに着いているとのこと。操船の見事さといい、そして巧みに筆者を乗客にしたことといい、何もかも抜け目がない…もちろん騙されたなどとは全く思わず、むしろ感謝しているけれども。

 帰路もわくわくし続け、気がつくと香住漁港だった。家族連れの客と相乗りで、約束通り軽自動車に迎え入れられる。駅の売店が閉まっていて、車内販売もあったりなかったりだという話をすると、また例のスーパーに筆者を降ろし、家族連れの方を町内の宿まで送ってから再び合流。
「ホンマすんませんでしたなあ…よかったら、ぜひまた」
「いえ、楽しかったですよ。ぜひまた」
 行先のレパートリーが広がらないので、この一帯に来るのはこれで最後にしよう…と思っての旅だったのだが、また遠からず来そうな気がして、筆者は本音でそう挨拶を返した。それは決して、船からの眺めがきれいだったからだけじゃない。
ファイル 1-5.jpg
 来年の夏は、ぜひ香住においでませ。
 いや来夏と言わず、鉛色の波がしぶく冬の遊覧船も面白いかもしれない。


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