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「そうさく畑」詳細+とある一周旅行後編

【「そうさく畑66」参加情報確定版】
 
日時=4月1日(日)11:30~15:30
場所=神戸サンボーホール
 (JR「三ノ宮」および阪神・阪急・地下鉄「三宮」より徒歩約12分
  ポートライナー「貿易センター」より至近)
ブース=6丁目12番地

 そうさく畑での新刊は以下の3点です。
★ペーパー兼用の無料配布作品:『園芸戦記』
★山陰発のコメディ:『つばめと彼と隼』
★京都発の少しレトロな本格小説:『夢の途中』
 …要は冬コミと同じラインナップですが、既刊の古い方は残り数冊です。作品紹介をご覧になって気になった方はぜひお早めに。
 年に一度の関西イベント。こちらも楽しみにしております。
 それでは当日まで、下記の駄文「とある一周旅行・後編」をお楽しみ下さい。

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(前回より続く)
(なお「日本海」車中の写真はランダムイメージで、記述の時刻・区間とは無関係です)

 
 結局、1時間以上が過ぎてから、
「いったん、次の大釈迦駅まで運転します」
 という実に心細い案内が流れ、列車はようやく動き出した。
 唱歌の『夜汽車』が似合うような速度でしずしずと走り、次の駅に進入。二本のレールとホームの断面以外のすべてが白い塊に覆われ、そこへさらに雪が降り注ぐ。
 なるほど、ポイントも動かなくなるだろう…といった感じだ。
 ただ、案内に反して止まることなく駅を通過し、あとは軽やかな走りに。津軽平野に出て眺めが広がったせいか、積雪も「重症」といった風には見えなくなった。
 弘前到着。駅の時計は21:43で、ちょうど1時間30分遅れだと知る。それでもホームには少なからぬ乗客がいた。
 向かいの下段に帰省から戻る学生らしき若者が来て、寝台側の窓越しに家族との別れを惜しむ。

「…すでにお休みの方もいらっしゃいますので、緊急の場合を除き、この放送をもちまして、今晩のご案内は終了させていただきます…」
 秋田・青森県境付近、普段より100kmほど手前で案内放送終了。この先の到着予定を定刻で案内するのは仕方がないとして、
「車内販売は、今晩はございません」
 いつもは福井から乗車する旨を知らせるはずなのだが、なぜか意味深長なフレーズに。
 そして寝台側の電気が消え、通路側の蛍光灯が減光した。
 
 大館、鷹ノ巣、東能代、秋田…以降も待ちくたびれただろう客を拾いながら列車は先を急ぐが、遅れは1時間半のまま。
 秋田県に入るあたりから複線区間も出現するものの、新潟県北部まで基本は単線で、予定外の行き違い待ちが入ったりするからだ。
 仕事じゃないとはいえ私にも翌日以降の行程というものがあり、気がかりではある。

 ただ、気がかりではありつつも、夜行列車に揺られていることに無邪気にワクワクしている。
 
 なぜならこの一周旅行は、東京在住の私が「日本海」に惜別乗車するには…という思案から生まれたからだ。
「乗車券だけで18,000円か…」
 券面の金額を見ると自分の物好きさに溜め息が出るが、それほどに夜行列車が私は好きだ。
 というわけで、レールを踏む音を楽しみつつ本を読むのに飽きると、窓際に行ったりデッキに出たり、はたまた隣のA寝台の喫煙ボックス席まで出かけたりするいい年の大人。
「こちら9号車。オーライです」
 デッキを通ると、ドアを閉め、首を引っ込めた車掌が受話器でもう一人と話している。
 本日は2両増しの11両編成。編成が長いとこんな確認をするのか…レアな見聞に心が躍る。

 

 青森~大阪というルートは私には縁遠いのだが、それでも上下合わせて過去に3回ほど、この「日本海」に揺られている。
 しかしそれでも、というか、それだけに名残惜しかった。
 この列車には、拙作『ハイケンスのセレナーデ』(題名はもちろん案内放送のオルゴールから拝借)も生み出させてもらった。弱小個人誌なりに好評を得て、自分の制作スタイルを確立できた一作だった。
 ちなみに三刷を数えたその本も、折しもこの春を以て完売予定だ。
 
 その小説でもそうなっていたが、最初の2回の乗車時には「1号」(大阪→青森)・「4号」(青森→大阪)という号数がついていた。
 つまり「2号・3号」と合わせた2往復体制が割に最近まで残っていたのだ。
 もちろん、この飛行機全盛の時代に青森~大阪15時間を乗り通す需要はそうないだろうけど、区間を限れば「飛行機の最終便より遅く出て、朝一番の便より早く着く」ゾーン、さらには飛行機と競合しないゾーンが割に幅広く存在する。
 特に、福井・石川両県の北陸線沿いには小松しか空港がない上に、小松~秋田・青森という便はない。
 そして、今残された「1号・4号」のダイヤはその「福井・石川~秋田・青森」に照準が合っている。この区間なら夜行高速バスや新幹線と競合することもない。
「JRも、やる気がないなりに考えたんだなあ…」
 だから今しばらくは残ると思っていて、再来年の北陸新幹線開業(直江津~金沢の在来線別会社化)あたりが潮時かと見立てていたのだが、ちょっと早かった。
 …まあ、もしかすると考えもへったくれもなく、たまたまこっちを残しただけかもしれない。

 日付が変わって小一時間もすると、満席の車内もさすがに静まり返っている。
「客車といえば、最後部からの展望!」
 それに思い至って後ろへ行ったら、上りの最後部は電源車なので行き止まり。
(前段落の最後部かぶりつき画像は以前に下りで撮影したもの)
 乗る前に見て分かってたのに、いつの間にか忘れていた。いや、逆に下り最後部が電源車だった「1号・4号」の頃とごっちゃになっている。
 いずれにせよ、さすがに私も寝ぼけてきたらしい。寝台に入ろう。
 
 酒田着1時半過ぎ(所定は0:01)、鶴岡着2時(同0:26)。
 駅は律儀に明かりを灯していたが、さすがにもう乗る客はいない。
 この先に、寝台側に海が見られる区間が続く。だが積雪は以北ほどじゃないものの、遠景は吹雪に霞んでいる。
 おのずと列車の足下に眼が向く。ポイントの通過音とともに隣に線路が現れ、向かいのホームが見え、灯りを落とした小さな駅を通過。
「あ………」
 複線区間だと思いこみ、上述の小説でそのように描いた場所が単線だったのに気づき、ひとり赤面する。
 赤面しつつもさすがに眠気が押してきて、いつしか眠った。
 新津から先は、信越線も北陸線も全部複線だ。そこで遅れは少なからず取り返せる…新潟県を前に湧いたその安心感も私を眠らせた。

 ハイケンスのオルゴールで眼が覚めると、朝一番の放送。
 
「皆様、おはようございます。皆様おはようございます。今日は1月8日、時刻は…」
 ダイヤどおりなら金沢発車後にあるべき放送だが、さて、信越線・北陸線でどれぐらい取り戻しただろうか…?
「列車は先ほど、2時間10分ほど遅れて糸魚川を発車しました。列車が遅れまして申し訳ございません」
 …取り戻すどころか広がってるじゃねーか!
 急ぐ人は手持ちの特急券・寝台券で富山から「サンダーバード」に乗れる、そのまま乗る人は下車駅で特急料金を払い戻す…といった案内が続く。
 そしてこの遅れのせいで、福井からの車内販売は中止とのこと。昨夜の意味深長な案内の訳を知る。
 
 何だよ…と思いつつも、異例の経験にワクワクする方が大きい。
 通路に出て、薄明かりが差す車窓のそばへ。事態の割に、通路にいる他の乗客も静かに座っているだけだった。デッキから車掌と乗客の会話が聞こえるものの、詰め寄るといった感じからはほど遠い。
「やっぱりみんな、急ぐ旅じゃないらしい」
 そう思いながらまた寝台へもぐり、レールを踏む音に意識をゆだねる。
 まだ富山県の東の外れだ。寝不足を補っても、列車を楽しむ時間は十分に取れるだろう…。

 …遅れどころか、冬場のこの列車は雪や風でちょくちょく運休する。
 奥羽線や羽越線自体は曲がりなりに運行可能な場合も、遅れが他の区間のダイヤを乱すのを避けるため、長距離を走る「日本海」や貨物列車だけは運休という場合もある。
 もちろん、羽越線自体が止まることも少なくない。
「冬はJRさんの仕事があるから、村上のタクシーは新潟市内より稼げるって言われててねぇ」
 以前、山形県境に近い新潟の町で、タクシーの運転手氏が言っていた。村上にはJRの乗務員の拠点があり、羽越線が止まると、酒田へ行ったまま戻れなくなった乗務員の出迎えの仕事が入るという。運転再開時の送り込みもタクシーの仕事だそうな。
 
 つまり、それが結構な稼ぎになるほど羽越線は止まり、一方で道路は常に守られているということだ。
 暮れの山陰旅行といい、鉄道は雪に弱くなった。
 いまや数少ない例外は、新幹線と大都市通勤圏。
 要は道路ともども、「一番必要とされている交通機関」なら是が非でも守るということで、悲しいかな、見ていてとても分かりやすい。

 
 気持ちよく目を覚ますと、福井駅を出るところだった。
 使った布団だけが残る寝台が、車内のそこかしこに見えた。やはり東北~北陸を連絡する手段として、そこそこ機能してきたということか。
 とはいえ乗り続けている客の方が多い。平均年齢は若く、くつろいだ感じ。帰省の帰りや惜別乗車で普段より増えた分の乗客だろう。毎日とは言わずとも、せめて週末ごとにこれぐらい乗っていれば…。
 そんなことを思ううちに速度が下がり、停車駅ではない武生に止まった。
「特急列車を先に通します。少々お待ち下さい」
 
 続いて、無線を使う声が車掌室から届く。えらく長話をしている。好奇心を起こしてデッキへ。
「…じゃあ、トワイライトのスジに乗せちゃう感じですか?…はいはい…」
 ちょうど、こんな会話が聞こえてきた。それを聞いて、見ようとしていた時計をしまう。札幌からの「トワイライトエクスプレス」は「日本海」の2時間半ほど後の列車で、要はその程度に遅れているわけだ。
「福井は所定で7:15頃だから、じゃあ今は10時前後ってとこか…それにしても、複線に入っても遅れは広がるばかりだなあ」
 閉じたままのドアの向こうを、大阪~金沢を3時間足らずで結ぶ「サンダーバード」のスマートな車両が猛スピードで通過した。
 続いて、名古屋行きの「しらさぎ」も。
 …こうやって遅れを広げてきたのだろう。こっちも特急なのだが、最高速度、そして重要度が違うから仕方がない。
 
 洗面所に寄ってから客室に戻る。武生を出ると外は雪に覆われた田園地帯になり、そして山が迫って平地が狭まっていく。
 増えたカーブを曲がるたびに列車の前方が見える。雪野原の中、自分を乗せた長い長い青色の客車の連なりを、くすんだ赤色の機関車が牽いている。その機関車が響かせる汽笛。
「これぞ、汽車だ」
 列車はサンダーバードより遅いなりに目一杯急いでいるのだが、それでも客車だとそう思えてしまう。

 長い北陸トンネルを駆け抜けると、まもなく敦賀。
 10:32着、結局2時間半ちょうどの遅れ。所定なら大阪に着いている時間で、乗車時間は15時間に及んだ。
 当駅で下車する旅程だから、荷物を持ってデッキへ行く。
「あ、敦賀で降りられるんですか?お疲れ様でした。駅で特急料金、払い戻して下さいね」
 頭を下げつつ車掌が声を掛けてくれる。当駅での下車客はあまり多くないらしい。
 が、「当駅で列車から出ようとする人」は多い。
 20分停車しての機関車交換。それが目当てだ。
 
 ドアが開くや、軽装で降り立った乗客がホーム上で交錯し、そして前方を目指す。
 こちらのメインはやはり「ホームに止まる客車」なのだが、ここまで人が多いとは想定外で、上写真は10回シャッター切ってやっと取れた一枚。
 
 そしてもちろん、ここでは前方も見に行く。さらに当駅下車の強みを生かして隣のホームへ。
 
 到着前から待ち構えていた人々も混ぜて、大道芸に人が集まるような大騒ぎ。その中に交替の機関車がゆっくり到着し、連結。
 
 やがてピィッと汽笛が鳴り、そのあと野球場のウェーブみたいな、時間差を伴った歓声が上がる。動き出したのに気づいた人から順に声を出すからで、長い客車列車はそれほど静かに発車し、ゆっくりと加速する。
  
 動き出してから上写真の位置に来るまで、1分以上かかった。11両の客車を機関車1両で引き出すのだから無理もなく、そしてその重厚な走り出しが長距離列車らしくていい。
 前出の小説『ハイケンスのセレナーデ』で、この鈍い走り出しを列車最後部の窓から描いたところ、ある若い読者から、
「加速中の列車からホームに立つ人の顔の特徴なんて見えるはずがない!主人公はどれだけ動体視力がすごいんだ?!」
 鼻息も荒くといった調子で、そんなご指摘を頂戴した。無理もないことで、車両や車内の様子は写真で後追いできても、そうした感覚は経験がなければ分からない。それは私が丁寧に描き続けて伝えて行くしかないのだけれど、
「そうしなければいけない時代になった」
 というのは淋しくもある。

 さて、次の行程である。
 別に切符を買って北陸トンネルの東側へ戻り、南今庄か今庄で雪景色と撮り鉄を…という予定だったが、その後のことを考えると、行っても向こうには1時間ほどしか滞在できない。
 仕方がないので、とりあえず構内を撮って歩く。
 
 屋根や標記類に古めかしい物が残る。エレベーター付きの跨線橋を建設中だが、完成後もホームに古いままの部分は残るようだ。
 そして11時過ぎに、駅の外へ。
 途中下車を告げて乗車券を出す。と、改札の若い女性駅員氏は神妙な顔になって、文字を指で追いながら20秒ばかり券面を確かめ続けた。
 お手数を掛けたが、生真面目そうなお嬢さんゆえ、よい勉強をしたと思ってくれていれば幸いだ。
 
 改築中の狭い駅舎前は、待ち合わせで大混雑。そりゃ「駅でね」って言って待ち合わせたら入口か改札の前になるわな。
 …その駅舎改築についての看板が駅前広場に【↓クリックで拡大表示】。
 ファイル 51-1.jpg
 なかなかのセンスらしいけど、「平成22年度完成」って…間に合ってないじゃないですか。
 隣は北陸新幹線の建設促進【↓クリックで拡大表示】。
 ファイル 51-2.jpg
 描かれてる車両がJR西日本にケンカ売ってる…並行在来線問題という課題を知らないのでしょうか(笑)。

 駅付近は、よく言えば小ぎれいで悪く言えばガランとしている。
 
 要はよくある「街の中心からやや離れた地方都市の駅前」。
 ただ、両側の歩道にチェーンではない食堂やレストランがチラホラ見え、土地の人がぼちぼち入っている。
 駅前通りに散在する「宇宙戦艦ヤマト」と「銀河鉄道999」のキャラの石像を見て歩く。
 松本零士は福岡出身のはずだが…と思いきや、港と鉄道の町で売り出すべくご協力をいただいてるとのこと。でも、駅を出て最初に立ってるのがなんで佐渡酒造なんだろう…?
 ただ、早くも時間切れが近づき駆け足だったため、それらの写真は残念ながらない。
 次の予定とは食事。あとで駅弁という手もあるが、「日本海」の車販がなかったので朝飯抜きなのだ。
 
 駅を出て右手に「昔の駅前」みたいな一角があり、いかにも「駅前大衆食堂」な店が二軒ほど健在。うち駅に近い方へ。
 
 奮発して「お造り定食」1,200円。さすがは日本海岸でイカが絶品だった。
 なお、値段から中瓶だと思って気軽に頼んだビールは大瓶。
 しかも居合わせた十人ほどの中高年男性ご一行様と注ぎつ注がれつになり、昼からいい気分になってしまった。先方は「青春18きっぷ」で金沢から大阪へ帰る途中だとか。

 
 12時50分頃、次に乗る列車が着くホームへ。
 ほどなく隣のホームに、福井からの普通列車が着いた。
 
 が、2両編成の電車に人がこんなに入るのかというほど乗客がゾロゾロ降りてくる。
 その折り返しが来る場所にも、そして大阪方面の新快速が来る乗り場にも、人がホームの反対側まで届くほど並んでいた。
 当地の若者らしき人もいるにはいるが、荷物がやや大きめの人が多く、そして私服の地元高校生にしては年齢が高い。
「ああ、18きっぷか…」
 昼食の時のご一行様を思い出す。シーズンなのはもちろん、使用期間終了が二日後に迫っていた。
 もし予定どおり今庄の方へ行っていたら、私もあの阿鼻叫喚の普通列車に乗る羽目だったわけだ。それも往復で。

 定刻どおりの13時16分、「しらさぎ8号」に乗って敦賀を離れる(下の写真は別の機会に別の場所で撮ったもの)。
 特急は特急で帰省の戻りらしき親子連れが多いが、指定席に立ち客があふれてくるほどではない。
 
 …一周乗車券は、敦賀を出た時点でまだ500km以上も残っている。今夜の宿はどこなのか。
 深い山を越えて滋賀県に入り、車窓が平地になってしばらくすると、長浜という、琵琶湖沿いのいい町がある。
 が、そこでは降りない。
 それどころか、米原で方向転換に合わせて座席を動かした以外、私は座ったまま終点・名古屋まで行ってしまう(14:48着)。
 ただし、ここでおもむろに途中下車をする。今夜の観光先&宿は名古屋か…と思いきや、いきなりまず土産物を購入。
 なぜか土産物屋がことごとくデパートの初売り並みに混んでいたが、どうにか15分ほどで購入完了。
 そして、また改札に入ってしまう。その内側でさらに新幹線の改札を抜ける。
 15:40発「のぞみ234号」。もちろん上り。
 自宅に近いのは品川だが、より厳密に「一周」にするため、17:23に東京着。
 帰ってきてしまった。

 約29時間半で、本州東半分を一周。
 それも地上ゼロ泊。宿泊どころか、駅前より遠くへ行ったのは敦賀の約1時間だけ。
 さらに、普通列車に全く乗っていなかった。
 …達成感はないし、まして記録だなどと言って自慢する気はない。
「ああ、もったいない」
 それに尽きる。なにしろ乗車券は12日間使えたのだ。
 絶対真似しちゃいけない。仕事の都合がなければ私だって絶対やらない。
 ただ、「日本海」はよかった。
 寝台のある夜行列車は、定期列車と事実上の定期列車を合わせてまだ7本残るが、豪華個室や二階建て車両だったり、扉が普通の引き戸になっていたり、さらには電車だったりと、何かと手が加わっている。
 その意味で最後の「ただの寝台列車」。
 それをもう一度味わえたことは無意味じゃなく、そしてラッキーだった。
 このあと1月末から2月なかばにかけて、豪雪のため「日本海」はほぼ毎日運休し、多くの惜別乗車組が悔し涙を流した。なので、前に書いたとおり世間が暇な2月が忙しく、1月上旬に辛うじて隙間があった私は幸せだったのだ。

 忘れていた。「本日の駅弁」。
 
 敦賀駅「鯛鮨」(1,000円)。見た目よりも食べでがあり、味もしっかりしている。
 敦賀の駅弁は鯛・鯖・カニの寿司中心。ちらしもあったが、買った時は昼食直後だったもんで淡白そうなものを選択。

 …これを書き終えた時点で、「日本海」はすでに廃止されている。
 ただ、編成は短くなり、ダイヤもさらに遅くなるものの、旅行客向けの臨時列車としてハイシーズンに運転される。
 しかしこの春の運転日を見る限り、走るのはゴールデンウィークや暮れ正月といった超ハイシーズンだけらしい。
 なので競争率は高そうだが、機会があればぜひ「昔ながらの夜行列車」をご体験あれ。

(完)

とある一周旅行・前編

 くどいようですが、次回イベントは4/1、神戸の「そうさく畑」です。
 日付の予告ばかり繰り返してますが、次あたりでブースなどを明らかにできるのではないかと…。

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 ファイル 50-1.jpg
 思いつきで、こんなことしちゃいました【上写真はクリックで拡大表示】。 
 …といっても、しちゃったのは去る1月上旬のこと。前回書いたとおり2月以降にこんな真似できません。
 全長2,489km、そして12日間有効の一周乗車券。
 私はいったい、何日かけてどこをどう回るのやら…。

 
 1月7日の11:56、東京から東北新幹線「はやて+こまち」に乗って北上。
「4列座席な車内の方が在来線の旅っぽくていい」
 というわけで、秋田へ行くわけじゃないのに「こまち」の方。
 ちなみに以前ここに書いたが、会津へ行く時も郡山までなのに「つばさ」をご指名している。そちらの場合は相方が窮屈な二階建て車なので、なおさらの話。
 とはいえ速いので、通過する駅名を読んでも実感がない。
 東北に来ている、という感じを覚え始めたのは、仙台を出て雪が目に入り出してから。

 
 岩手県に入ったあたりで一面の雪景色になり、そして吹雪に。
「例によって、旅先に雪を降らせるのが得意な私」
 この時はそのぐらいにしか思わなかったのだが、先日お会いした当地の人によると、岩手県内の東北線沿いも、この冬は異例の大雪だったそうな。
 ただそれは1月末以降の話で、この時期の真っ昼間に右写真みたいな降りというのは、やはり私のせいだったらしい。
 やがて吹雪が収まり、続いて盛岡の町が近づく。
 盛岡は14:22着。目指すは青森なのだが、「こまち」だもんで当駅で車外へ。
 
 切り離しシーンを見物し、先発の「こまち」を見送るのはいいとして、後部の青森行き「はやて」も見送ってしまう。
 もちろん、後続の「はやて」の特急券が懐中に…新幹線では乗り継ぎの特急券【下写真…クリックで拡大表示】が通し料金で買える。
 ファイル 50-2.jpg
 ただし、その後続は1時間後。でも私は意に介さない。
「なに、1時間ぐらい簡単につぶれるさ」
 そう踏んでいたとおり、ほどなく反対側のホームに東京行き「はやて」接近というアナウンス。
 
 なんと「はつね」になるはずだった(笑)「はやぶさ」用の新車がやってきた。
 続いて、そいつと当駅で併結する「こまち」も到着。
 
 両者が出て行くと、上下左右を見渡しながらホームをうろつく。
 重厚な感じの上屋と柱、ガラス張りの防風壁…これぞ国鉄設計の「東北新幹線のホーム」。
 
 他にも回送列車の到着だとか、見るものはボチボチあるのだが………
 寒い。
 風は遮断されていても空気自体が冷たく、体はまだしも手がどうにかなりそうだ。30分耐えてから、たまらず階段を降りて待合室兼喫茶室へ。
 ちなみに乗り継ぎ特急券の場合、新幹線改札から外へは出られないので在来線見物は不可能。
 切り離しシーンだけが目当てなら、あわただしいけど通しで「はやて」に乗った方が楽です。
 私のように真の目的がタバコ休憩なら、「はやて+こまち」の30分後に着く盛岡止まりの「やまびこ」と組み合わせる方法もございました…(苦笑)。

 
 後続の「はやて」に乗ること1時間少々で新青森。
 ここでしばし一周乗車券のルートから外れるので、途中下車扱いで改札を出る。
 あらためて在来線口へ行き、隣の青森までの切符を買う。小さな改札口の横に券売機が1台あるだけ。新幹線がなければ野中の一軒駅(?)だから仕方ないが、私みたいなのが何十人もいたら行列になってしまう(←余計な心配)。
「新青森~青森間に限り、乗車券だけで特急の普通車自由席に乗れます」
 のルールを遠慮なく行使して、函館行き「スーパー白鳥」に乗車。
 
 列車は写真手前側へと進んでいるのだが、なぜか誰一人として座席の向きを変えようとしない。
 青森で進行方向が変わるからだけれど、青森までしか乗らない私には非常にシュールな5分間だった。

 青森到着は17:02。もう「雪景色」というか「雪まみれ」である。
 
 外に出て、駅舎入口の並びにある食堂兼居酒屋で晩ご飯。
 駅前広場から見て右の端の方…名前を控えてくるの忘れた(汗
 
 イカ刺し400円。ホタテ焼き2個で300円。
 おおむね「立ち食いソバ屋<●<町の定食屋」といった価格水準で、麺類やカレーなどはヘタなファミレスより安いのだが、生のホタテがからむメニューだけが高い。
 唯一「利き酒セット」というのが700円で生ホタテを出していた。利き酒というからには日本酒だ。ビールと炭酸割り以外は後に残る体質で、味も苦手なのだが…。
 
 口に入れると見た目以上にボリューム感があって、美味。
 当地の日本酒3種類がそれぞれお猪口に2杯分ほど、小さなお椀に入ってついてくる。苦手なはずが結局飲んでしまった。
 ちなみに店内禁煙だが奥に喫煙所がある。喫煙者にとってもその方が気楽だ。

 買い物を済ませ、新青森までの切符を買って18時すぎにホームへ。
  
 上野行き「あけぼの号」がすでに入線していた。
 鉄必見な列車なのだが、電気機関車のブロアー音が大きく響くばかりで人の気配が少ない…。
 
 と思ったら向かいのホームに。ご苦労様です。
 私は機関車や編成写真よりも、青い客車が止まる昔ながらのホームがメイン。
 
 発車は18:25。当駅始発の長距離列車といえども、いまや列車を20分以上も待機させてくれるターミナル駅は希少だ。おかげで、時期柄ほぼ満席のはずなのにホームの人影は適量に収まっている。

 18時半過ぎ、やや遅れて発車した「あけぼの」を黙って見送る。
 …ええ、私の一周旅行はそんなルートじゃありません。
(というか「あけぼの」だと「東京→東京」の切符にならない)
 寒さがさらに強まり、いったん弱まった雪がふたたび増え始めたところで…
 
 本日のメインイベント、大阪行き「日本海」入線。
 写っている機関車は車両基地からの回送用で、こちらは後ろ側。先頭側は大騒ぎのはずだ。
 懐には9号車の寝台券。1号車から続くB寝台の一番後寄り。
 そして、この列車も20分ばかり止まっていてくれる。
 ただ、こちらは
「3月で定期列車としての運転は終了」
 というだけあって、ホームといえども撮影者の人影がなかなか途切れない。
 十数回シャッターを押して、比較的マシに撮れたのは以下のみ。
 
 
 
 
 発車まで撮ってばかりになるのは嫌なので、後半は眺めて雰囲気を胸に刻む。
 カウントダウンを迎えた今頃は、それすら不可能な阿鼻叫喚の人だかりになってるんだろうな…。
 
 そして、車内へ。
 デッキから客室に入って寝台に荷物を置き、通路側の腰掛けを引き出す。
 
 なんか陰気な写真になっちゃったけど、逆側にはやはり窓際に座る人々の姿と、談笑する声がある。
 途中からの乗車も含め、本日は満席とのこと。帰省からの戻りといった「普通の人」(笑)が中心で、撮影者数の割に惜別乗車のファンはまだ少数派だった。
 反対列車が遅れているとかで、定刻になっても発車しない。
 10分ほど遅れた19:40頃、「まもなく発車」の放送が繰り返されてから、ガクン、と列車は動き出す。
 倍増した撮り鉄諸兄に見送られて青森出発。ハイケンのセレナーデと呼ばれるオルゴールに続き、車内放送。
「今日は、寝台特急『日本海』をご利用いただき、ありがとうございます。発車が遅れまして申し訳ございません…」
 さっきの「あけぼの」も下りの到着待ちで遅発していた。今から走る奥羽線・羽越線は基本的に単線で、加えてこの雪だ。暮れの山陰旅行を思えば10分遅れなんて御の字である。
「まあ急ぐ旅じゃないし、これぐらいなら途中で回復するだろ」

 ゆっくりと走って、すぐ隣の新青森に停車。乗り継ぎ客が意外にいた。
 
 最寄りのデッキに車掌室があり、客室にいながら無線のやりとりが聞こえる。
「こちら4002レ車掌。運転士さんどうぞー」
「はい、こちら4002レ運転士ー」
「4002レ、発車ぁ」
 彼方から応答がわりの汽笛が聞こえ、カクン、という客車ならではの走り出し。
 
 ここから一周ルートに戻った。検札も無事に済み、そして列車は次の弘前を目指して特急らしい走りへ。雪の夜景を見ながらビールを開ける。うまい。自販機はなく車内販売も翌朝まで来ないけれど、飲み物も食料も十分に仕入れてあるし…。

 …と思いきや、二駅ほど通過したところで速度が落ち、足下を探りつつ進むような走りを続けて、やがて止まった。
「停止信号です。恐れ入りますが少々お待ち下さい」
 トンネルの中なのが落ち着かないけど、よくあることだ。
 というわけで、この間を使って「本日の駅弁」の撮影。
 
 「八戸いいとこどり弁当」(1,050円)
 なぜ青森駅で売る?と突っ込もうとしたら、八戸名物のちらし寿司に青森のホタテを足して「いいとこどり」らしい。イクラの弁当も初めてだったが、生ジャケと生鯖もおいしかった。
 
 「青森むつ湾・ほたて三昧」(900円)
 味噌焼き・照り焼き・塩バターが2枚ずつ。「ご飯のおかず」が少ないものの、下が「それだけでイケる」ような炊き込みご飯。上物をつまみにして締めにご飯を、という趣旨かも。
 …他もホタテ物がいくつもあったが、青森の駅弁屋さんにはぜひ生ホタテに挑戦してほしい。
 あと、青森駅は、改札内の施設の閉店が早い。その場合は改札前の横にある商業施設に入り、その中の売店兼土産物屋へ。

 さて、駅弁を撮り終わっても列車は動かない。
 
 この先の駅で、ポイントが凍って切り替わらなくなっているとの案内。
 時々、車掌室からあわただしい無線のやりとりが聞こえてくる。
 止まっているのは青森と津軽平野の間にある、大釈迦峠というちょっとした山越え区間だ。そりゃ雪害も他より起こりやすいだろうが…。
「ただいま係員が現地へ向かっております」
 何度目かの案内放送で、そんな情報が加わった。
「こりゃ、時間がかかるなあ…」
 向かうのが隣の駅からだとしても、何十分かかるだろう…さっき元通りにした弁当の一つを開けて食べ始め、結局2つとも食べてしまった。
 
 ただ、私は急がないから何ともない。むしろ台風を前にした子どもみたいにワクワクしている。
 そして意外にも、他の乗客も車掌室に押しかけたりせず、「まだかねえ」などと話題にしつつも席で談笑していた。
「明日仕事だとか、翌朝他の特急に乗り継ぐとかいった人は乗っていない」
 どうも、そういうことらしい。そして言い方を換えると「もはや用事で移動する人にはアテにされてない列車」ということでもあり、複雑な気分がする。
 …でもとにかく、空気が平穏なのはいいことだ。窓の外がトンネルの壁なのが少し残念だけど。

(つづく)
(なお「日本海」車中の写真はランダムイメージで、記述の時刻・区間とは無関係です)

富山から金沢~来冬はぜひ北陸へ

【切符・宿・弁当のご紹介がこちらにあります】


 金曜の夜11時。仕事を終えた足で上野駅の長距離ホームへ。青い客車が待っている。
 手には「北陸フリーきっぷ」、そしてそれと一緒に発行された、値段の書かれていない寝台券。
 同じ料金で何にでも乗れ、そこに寝台列車が走っているなら迷うことはない。
 今年の春も何本かの寝台列車が消えていったが、この寝台特急「北陸」はフリーきっぷのおかげか、少なくとも週末は割合混んでいる。一番取りやすいだろうB寝台喫煙車で七割方の乗車。「カーテン一枚じゃちょっと…」という人に応えて個室のB寝台も多数あるけれど、そこなどは当然埋まっているはずだ。
 はしゃいだ子どもがウロウロし、随所で小声の酒宴が開かれている…まだ飛行機が高嶺の花で、高速バスも目立たなかった頃のにぎわいを追体験できるが、切符が取れなければ元も子もない。

 目が覚めると長岡で、まだ三時前。しかし、西へ向けて動き出した頃から周囲がもそもそと起き始める。
「雪だ!…やっぱ北陸だねー」
「でも降ってないね。昨日は晴れだったらしいよ」
 ゆうべ一時近くまで杯の音がしてたのに、元気だなあ…(人のことは言えないが)。ただ必ずしも無駄な早起きではなく、列車は五時前後から富山県内の駅へ停車をし始める。


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 高岡着、五時五三分。小雪が舞う闇の中を、一番電車でもと来た方(東)へ戻る。日の出前のしびれる様な寒さの中、各駅とも売店が開き、複数の乗客が列車を待つ。終点の富山に至っては特急の乗車位置に行列ができ、老若男女が湯気の中で立ち食いソバをすすっている。首都圏の様に遠距離通勤する必要がないことを考えれば、意外なほど早起きだ。

 朝食の三角寿司を片手に、富山平野を高山線で南へ。夜が明けた空は、曇天ながら雪が止んでいる。
 一両きりの列車に揺られること約四十分、両側に真っ白な山が迫ってきたところで下車。その笹津という駅の周囲は何もない小さな町だが、どっしりした古い造りの駅前旅館が残っていて、三十分ほど時間を作って見にいく程度の価値はある。

 そこに小一時間ほどいて、折り返しは旧式のディーゼルカー(右写真)。高山線もステンレス製のおもちゃみたいな新型車が占めるようになったが、朝六時前に富山発、折り返し猪谷を八時過ぎに出る便は昔ながらだ。カランカランカランカラン…遅いサイクルのエンジン音をバックに学生が乗り込む。向かい合わせの椅子が並ぶ車内は暖かみがあり、出入口と客室が仕切られているから実際に暖かい。コトコト進むうちに車窓はまた平野になる…このあたりから日が射し始めて気温も上がり、雪景色が消えてしまうのを危ぶみすらしたのだが…


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 高岡へ戻ると、前方の見通しが効かないほどの雪。そして手がちぎれるぐらいに寒い。よりによって「ここで一時間ほど潰そう」という計画だ。さらに、車でこちらに向かっている関西の友人たちから「大雪で速度規制です!」「福井県突入、前が見えません!」といった知らせが届き、滞在時間は延びていく…。
 しかし旅行客にとっては異常事態でも、土地の人々はホーム側線で、黙々と日常の営みを続ける。その風景に筆者もつい夢中になる。

 昼頃、止まない雪の中を西へ進んで倶利伽羅(くりから)峠を越し、加賀の国へ。
 金沢の西郊・松任で友人の車と待ち合わせだが、着く頃にはウソの様に晴れてきた。
「あったかいね~」
「雪が止んでよかった」
 が、昼飯を済ませ「さあ撮影地へ!」と勇んで店を出ると、またもや鉛色の空から白いものがチラホラと…
 加賀笠間駅そばの撮影地に着く頃には、下の様な状態に。

 自販機などなく、頻繁に列車が来るため車で暖を取るのもままならない。仕方なく、道路標識や人の三脚などを的に雪玉を投げまくって体を温める一行。ワインドアップ、サイドスロー…もうタダのアホにしか見えない。
 滞在二時間あまり。引き上げる頃になってようやく茜色の夕空が姿を見せた。
「おい………」
 ちなみに北陸という場所は、「日本海岸」という言葉が持つイメージに反し、実はダダッ広い平野が多い。この撮影地はその「真の姿」がよく伝わる場所の一つだ。そして北陸本線はその平野の真ん中を走っており、これまたイメージに反して車窓から海はあまり見えない。
 だからという訳ではないが、宿は松任近郊の海沿いにした。しょっぱい温泉が湧き、新しめの日帰り温泉と宿とが一つずつある。雪がなくとも美しい眺めなのだろうが、砂浜に雪が積もっているという光景がとても不思議だった。
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 一晩中ずっと降ったり止んだりしていたが、翌朝はきれいに晴れた…と思いきや出かけるなり降ってきた。なぜか一行がどこかへ着くと降り始め、車に乗ると晴れるの繰り返し。おかげで、横なぐりの雪の向こうに青空が見えるという奇景も。
 東へ戻り、倶利伽羅峠の山中へ。もちろん降っていて、そして滞在時間の後半になってから晴れた。

 静かな山の中だが、振り返ると倶利伽羅駅が見え、列車でも来られる。線路沿いの一角には竹藪に囲まれた小径があり、いい雰囲気だ…そこを重厚な貨物列車や、手加減なしの高速運転をする特急列車が駆け抜け、静寂を適度に破っていく。もっとも列車が通らずとも、我々一行のバカ騒ぎが山にこだましていたが…。

 峠を東へ越えて、石動(いするぎ…富山県小矢部市)から帰りの列車に乗る。ようやく固定して晴れるようになってきたので滞在を延ばそうとしたが、当初予定より一本後の「はくたか」はあいにく満席だった。
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 平野の向こうに見える雪山をしっかり目に焼き付け、高岡までの普通列車に乗る。高岡からは越後湯沢まで「はくたか」で二時間、そこから新幹線に一時間半乗ると東京だ。値段はフリーきっぷのおかげで、往路や現地の行ったり来たりとあわせ二万円あまり。
 これほどまでに景色が違うのに、近すぎ、そして安すぎる。

雪男の旅・予告編

1月26日、雪。
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前の日までよく晴れてたんだけど…とのこと。そして翌日の帰り際になって、空が晴れてくるのを見た。


2月2日、雪。
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小さな町の小さな雪祭りを楽しみに出かけたものの、あいにくの高温で雪灯籠が解け始めていた。
が、ひとまず宿に荷物を置いた頃から粉雪が斜めに降り始め(左)、夜には見事な雪祭り(右)に。翌日も午前中、雪。



 冬の旅先に雪を降らせるのは、これで四年連続七回目ぐらいになるだろうか。
 とにかく、冬から春先にかけて筆者がどこか遠くへ行くと、そこに雪が降る。
 …断っておくが、どの旅先も寒いとはいえ、決して豪雪地帯ではない。昨年この「近況報告」に書いた信州・諏訪地方も、今回行った北陸沿岸部や山陰の川沿いの町も、地名からイメージされるほど雪は頻繁に降らないのだ…筆者も後になって初めて知ったのだけれど。

 もちろん、田舎の雪景色という、日常生活で見られない光景に出会えるのは大歓迎だ。
 しかし、何事にも程度というものがある。
「先生、少しは加減して下さい!」
 降り始めてから仲間が筆者にそう叫ぶ状態になるまで、さほど時間を要しない。そのまま大粒のヤツが横なぐりに降り続け、写真撮影をしている間ずっと止まないのだ。
 被写体ではなく、その手前の雪粒にピントが合ってしまう。
 長めのレンズフードをつけているにもかかわらず、レンズに雪が入ってくる。
 一面真っ白…被写体が色の濃い列車だったりすると露出で死ぬ。
 そして、全員雪ダルマ。
「かなわん、引き上げよう」
 すると小止みになる。が、灰色の雲がついてきて、行動再開とともにドバーッ。

「こりゃ、地元の皆さんにもいい迷惑かもしれんな…」
 いや、逆に活用してもらおうか。雪祭り系の行事ができなくて困っている町、スキー場の雪が少なくて困っている村、ラッセル車の出動が見たくて困っている鉄道マニア諸兄…汽車賃と宿さえ用意してもらえれば、どこなりと喜んで参上いたしますよ~!
 …ってお前、喜んでるじゃん。

 ともあれ、そんな筆者が見てきた景色・触れてきた人々に、次回からしばしお付き合いあれ。

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