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ウブロスーパーコピーのコネクテッドウォッチ「ビッグ・バン e」にプレミアリーグとのコラボレーションモデルが登場

ウブロスーパーコピーのコネクテッドウォッチ「ビッグ・バン e」にプレミアリーグとのコラボレーションモデルが登場

ウブロから、コネクテッドウォッチ「ビッグ・バン e」の限定モデル「ビッグ・バン e プレミアリーグ」が登場した。イングランドのプレミアリーグとのコラボレーションモデルであるこの新作は、世界限定200本での販売となる。
ブランド N級 代引き

ウブロ 激安 代引きがオフィシャルタイムキーパーを務める「プレミアリーグ」とのコラボモデル
 サッカーと深い関わりを持つウブロ。イタリアのユヴェントス、イングランドのチェルシーといった名門クラブとパートナーシップを結び、ブランドアンバサダーにパリ・サンジェルマンFCのキリアン・エムバペやサッカー界のレジェンド、ペレを起用している。またFIFAワールドカップのオフィシャルタイムキーパーを務めているほか、欧州サッカー連盟(UEFA)主要大会のオフィシャルウォッチにも採用されている。
ブランド N級 代引き
プレミアリーグは欧州4大リーグのひとつに数えられ、マンチェスター・ユナイテッドやアーセナル、チェルシーといった有名クラブが所属している。

 今回発表された「ビッグ・バン e プレミアリーグ」は、イングランドのサッカー1部リーグ、プレミアリーグとウブロのコネクテッドウォッチ「ウブロ ビッグバンスーパーコピー 代引き e」がコラボレーションした限定モデルだ。同社は昨年からプレミアリーグのオフィシャルタイムキーパーを務めている。コラボレーションモデルではプレミアリーグのカラーであるパープルをストラップにあしらい、新たにパープルのダイアルデザインが用意された。

 もちろんプレミアリーグとのコラボレーションはカラーリングだけではない。新しいアプリケーション「Hublot Loves Football Premier League」によって、プレミアリーグの試合開始時間が通知されるほか、試合中は自動的に「マッチモード」に切り替わり、ゴールやペナルティ、選手交代などをアニメーションで知らせてくれる。またチームメンバーやVAR(ビデオアシスタントレフェリー)判定も表示され、試合が終了すると次の試合までのカウントダウンが開始する。実際にプレミアリーグの審判には、さらに軽量で機能が追加されたこのモデルのスペシャルバージョンが提供されているということだ。なおこのアプリは今作以外の「ビッグ・バン e」でも使用できる。

ブランド N級 代引き
ウブロ「ビッグ・バン e プレミアリーグ」
Wear OS。クアルコム スナップドラゴン・ウェア 3100。Android 6.0+以降、iOS12以降対応。バッテリー駆動時間約1日。Ti(直径42mm、厚さ12.8mm)。3気圧防水。

 ケース素材にはチタンを採用、他モデル同様ストラップは同社独自の「ワンクリック」システムによって簡単に他のストラップと交換することができる。コネクテッドウォッチの特色である変更可能なダイアル表示と組み合わせれば、1本の時計で何通りもの表情を楽しむことができるのも大きな魅力だ。サッカーファンにはたまらない1本となったビッグ・バン e プレミアリーグは、世界限定200本での販売だ。

【関連記事】:日本でも圧倒的な人気を誇る超人気スーパーコピーブランド 代引きの参考と買取。

2月のまとめ

 繰り返しになりますが、次回は4/1・神戸の「そうさく畑」に申し込んでおります。
 今日現在で「満了」「書類不備」などの知らせはありませんので、たぶん通っているんじゃないかと。

 さて、日商簿記検定、ISO認証の監査…と、勤務校で今持っている役目はどれも2月が忙しい。
 年度替わりとかコミケ前とか(笑)が多忙ならあきらめがつくのだが、俗に「泣きのニッパチ」と言うほど世間一般では暇な時期が繁忙期だというのは何とも…。
 おかげで何もない、つまらない月になった。
 ただ、約一月後にイベントを控えて本欄に長い空白を作るのも何なので、なかったなりに出来事をひねり出してみる。

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 12日。日曜出勤を半日こなした後で自宅近くにあるPioへ。
 旧友にそそのかされて「眼鏡時空」なる眼鏡キャラオンリーイベントを見てきた。
(画像はその公式チラシ&ポスター…サイトより引用)
 眼鏡キャラや「眼鏡っ娘萌え」のポピュラーさの割に、今のところは約50スペースという小規模。
 もっと流行ってしかるべきだ!と熱く思った(笑)のはもちろんだが、それよりも、意外な発見に身を震わせる羽目になった。

「眼鏡っ娘の『眼鏡』に変化が生じている」

 眼鏡っ娘キャラの眼鏡と言えば、玉の大小はあれども丸眼鏡。
 …自分自身も世間もそうだと思ってたのだが、ブースに並ぶ創作中心の「眼鏡系著作物」には、四角や超横長の眼鏡が実に多い。
 第一、イベントのチラシからして四角&横長だ。
 しかも縁(ふち)全部ないし上縁が樹脂製で太いヤツ。
 思い起こすと、それは創作だけの話じゃない。場内に漫画やゲームの眼鏡キャラを使ったクロスワードパズルがあったのだが、萌え系でも四角+太縁とかが普通にいる。
 四角眼鏡って、不細工役のアイテムじゃなかったっけか。
 横長眼鏡って、ハイジのロッテンマイヤー女史しか思いつかんかったのだが…。
 あ。
 自分の近作で続けて眼鏡っ娘を出したのだけれど、なぜかどちらの挿絵師さんも太縁や横長の眼鏡を描いてきて、それで丸眼鏡に直してもらったんだった。

「萌えが現実に追いついた、ってことか」
 生徒や卒業生を中心に現実の眼鏡キャラ(?)を思い出してみて、そう気がついた。
 正円に近い楕円を含めても、たしかに丸眼鏡って少ないよな。でも、だから必ず不細工ってことは決してないし。
 ていうか自作の挿絵でも、「つばめと彼と隼」のヒロインの方は、結局丸眼鏡じゃないままOKを出しちゃってるし…。
 結局、自分も「四角や横長」に順応している事実をこの会場で発見。
 でも、どんな眼鏡の眼鏡っ娘がお好みですかと聞かれれば(というか聞かれたのだが)、
「ま、丸眼鏡!玉の大きいのを普通に掛けてるか、でなきゃ小さいのを鼻眼鏡で!」
 これは揺るがないし、譲れない…!

 このイベント、次回は土曜夕方から開催という異例の試みをするそうです。5月26日、会場は今回と同じく蒲田のPioだとか。
「生じた迷いの答えを見つけるためには、やはりサークル参加しかないのでは…」
 なんて思ってる今日この頃。
 答え云々はさておき、この一日で私のダメ人間度が向上したことは確かだった。
 
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 14日。バレンタインデー。
 商売柄、例年義理チョコをいくばくか入手する。
 以下、今年出会った義理チョコの渡され方から秀逸なのをチョイス。

★金賞
「別に先生にあげるんじゃなくて、たくさん作りすぎて余っただけなんだから」

 台詞棒読みの上に途中で笑っちゃってたのだが、一授業担当者にすぎない私の趣向をここまで的確に把握してるとは末恐ろしい女子(おなご)。

★銀賞
「先生!はい、これ!」

 …学年集会後の人ごみの中から投げてよこさないで下さい。豆まきじゃないんだから。
 袋の中身は手が込んでいて、それだけに大事にされてるのか公園のハト扱いなのかが余計に分からない。

★銅賞
「先生、あの、今年もお世話になりました…」

 頬の赤みを強めて小声でそう言いつつ、彼女は思い切ったように、手にしていた品を私に差し出した。
 …のはいいのだが、包装がスーパーのビニール袋。
 聞けば本人は素でやった模様。大事な男の子に同じ待遇をかましていないことを祈る。
 逆に「リボン付きのかわいい紙袋で中身がチロルチョコ1個」というのもあって笑えたが、過剰包装なのでエコの視点から却下。

★グランプリ
 いきなり現れて無言同然で紙袋を押しつけるや、爆弾でも仕掛けたみたいにダッシュで退散。
 唖然としながら袋を開けると、決して上手とは言えない手作りのお菓子プラス「三年間、本当にお世話になりました」という手紙が…。
 …「刺される!」と思って一瞬身構えた私がヤボでした。

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 某日。若い友人の車に乗って千葉県は房総へ。

 いずれもJR最後の生き残りだったキハ30・37・38が近々撤退、そんな久留里線の撮り収め。来月のダイヤ改正までの命だと小耳に挟んでいる。
 葬式鉄じみた真似はしたくないものの、旅先に大雪を降らせるのが得意な私のせいで、1月なかばの当初予定が順延になってた次第。
 どれぐらい得意かは前回までの連載記事のとおりだが、それが房総半島にまで通用するとは思わなかった。

 一番の目当ては、塗色を四十年ほど前の姿に戻した3両のキハ30。塗色もそうだが、コイツには「外吊りドア」という特色もあり、それが見納めになる。
 ただし車両運用にルールはなく、会えるかどうかは運次第。
 で、三十キロ足らずの沿線を朝から行ったり来たりしたのだが、果たしてやって来るのは他の形式ばかり。
 やがて線内にいるのが日中のダイヤをこなす2編成だけになり、その中に目当てが組み込まれていないのを把握。
「運がなかったね。さよならキハ30」
 …以降は、気軽なドライブになった。
 田んぼの真ん中を走るロケーションが多いので、ただ走ったり散歩したりしてても気分はいいし、そして撮影場所に困らない。




 そんな中で、馬来田の木造駅舎をのんびり撮ったり、普段なら選ばない場所やアングルであえて狙ってみたり、車を止めた道端でおばあさん達と話し込んだり…とさまざまに遊んだ。
 それにしても来月で終わりだというのに、同趣味の方々が群がるどころか誰一人として見かけない。とても不思議だったけれど、邪魔が入らないのはいいことだ。

 …そんな半日を過ごして、あっという間に昼下がり。
 よさげなカーブなのに、カーブ内側のど真ん中に立派な墓が…という場所で「いかに墓を写さずに撮るか」に挑戦すべく列車を待ってたら、あきらめていた朱色とクリームのツートンカラーが。

 行ったり来たりの片方が、まさかの車両交換。
 本当は2両とも同色という方が美しいのだが、まさかの車両交換がもう一度あるとは思えない。
 それに、なんとなく満足してしまった。車両数には余裕があり、キハ30が一両も出てこなくても不思議はなかったのだ。
「もう、行こうか。帰りに何か、うまいものでも食べたいなあ」
 友人もうなずく。彼は列車がカーブを曲がり切るまで引きつけ、うまくキハ30だけを絵にしていたので、私以上に満足なはずだ。
 少しだけ留まり、今の列車の戻りを後ろから撮ってから、あっさり帰路につく。
 馬来田の駅舎がよかったので、もう一度寄ってブラブラ。外の日がみるみる傾くのを感じながら、木枠の窓口を眺める。
 と、外に列車が入ってくる音…。

 まさかのもう一度が、あったらしい。しかも2両お揃い。


 これが外吊りドア。久しぶりだが、むき出しの自動ドアが動く様はやっぱり不思議。
 そして何より、いつ見ても懐かしい気分になる、古びた田舎駅の乗降風景と旧車との組み合わせ。
 名だたる旧車ながら、通勤用ゆえ車内はロングシート…そのせいで乗る気がいまいち起こらず、今回の撮影行が最初で最後と思っていたのだが、この眺めを見るや、乗りに来なかったことを後悔した。
「残念なことしたけど、でも、とにかく会えてよかった。ありがとう」
 それが、私とキハ30の別れだった。

 …となるはずが、小耳に挟んでいた情報に間違いがあり、他の2形式ともども、この秋口まで久留里線の主役を務めるとのこと。
 なあんだ。道理で誰もいないわけだよ…。
 でもおかげで、あらためて乗りに行く猶予ができた。駅でもいい写真が撮れるので、他の趣味者の皆さんもぜひ乗り鉄で。
 なんといっても途中にある町・久留里はちょっとした酒どころ。
 そして「帰りに何かうまいものでも」と書いたが、当地名物という意味のそうした物は車からは見あたらず、こちらも始発駅・木更津においしい駅弁があるらしい。

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 …なんだ。何もなかったって言ったけど、結構いろいろ楽しんでたなあ。
 むしろ精選してこの数で、そうさく畑までにあと一回ぐらいは、イベント予告以外の記事も一緒に載せられそうです。お楽しみに。

虹よりも・・・

 9月24日(土)、「本の杜」なるイベントに出展します(イベントの詳細はリンク先を参照)。
 夏コミでお会いできず、次の文学フリマ(11/3)も行けそうにない…という方はよろしければ。

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 激しい通り雨の後、絵に出てくるような見事な虹が出た。

 それに気づいたのは、空を見たからではない。
 駅ビル沿いにびっしりと固まった人々の群れが、一斉に同じ方へ向けて携帯電話をかざしていたからだ。
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 雨宿りに見えるのは写真がヘタなせいで(汗、雨はすでに止んでいる。
 そして、虹は他の場所からも十分に見える。というより、見るだけなら駅前広場の中央(画面右手)に出た方がより間近に見られるのだが、虹に注目する人全員が撮影上のベストポジションにひしめき、レンズを向けている…。
 便利な時代ゆえの、不思議な光景。
 虹よりもその光景の方が目を惹いたので、虹は記憶に焼きつけることにし、そちらにレンズを向けた。

 人々はカメラのプレビューに満足するや、順に立ち去る。
 どよめきすら聞こえていた割に人々の散りは早く、あっという間に、消えゆく虹を眺めているのは私だけになった。
「きれいだったな…」
 鮮やかな七色の架け橋と、それが少しずつ消えていく記憶を私はその日一杯楽しんだが、風呂でそれを思い浮かべていて、ハッとした。
「写真に撮っていても、自分は消えるまで眺めていただろうか?こうして思い浮かべていただろうか?」
 たとえば旅先での景色や車内の様子、弁当の彩り…写真に撮ることに執着して、そして撮ったことに満足して、じっくりひたることや、過ぎた後の余韻を楽しむことを粗末にしてはいまいか。
 思い返すと、「熱心に取材した」と思った時ほど、いざそれを素に何か書こうとすると、感覚の記憶を手元に引き寄せられなくて苦労する。
 むやみな枚数が残っている物ほど、写真を見ても、その時の暑さや寒さ、触覚、揺れ、匂い、味…そういった事どもの微妙な部分はよみがえってこないのだ。

 ちょっと反省。虹を撮り終えるや去っていった人たちを笑えない。
 今後も写真は撮るとして、とりあえずあの虹は記憶だけにとどめて正解だった。

このままで、よくはないか

 3日の「そうさく畑」にいらっしゃった皆様、ありがとうございました!
 報告は次回のイベント=5/5(木・祝)の「Little"T"Star!」と一緒にしますが、一言で言うと、あわただしいながら楽しい一日を過ごさせていただきました。会場付近に穴場な宿も見つけましたし…。
 さて東京に帰ってきたところで、以下、イベントと無関係な東京の話題を思ったままに。
 (すぐ下の画像はもちろん東京のじゃなく、あくまでもイメージです…笑)

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 先月の東京都内。仕事帰りにバスを降りて夜の街を歩き出すと、なんだか、以前よりもくたびれない。
「…なんだろ?」
 通り道にあるコンビニエンスストアに入ろうとしたところで、気がついた。コンビニだけでなく、ファストフード、居酒屋、電器屋…そこかしこの看板が消えていて、むやみに表が明るくないのだ。
 いつか見た、北欧の古い街並みのような気分。
 中に入ってみても、蛍光灯を間引いてあったり飲み物のケースが暗かったりして、とにかく店内がまぶしくない。
「ああ、落ち着く…」
 慣れてから言っているんじゃなく、これは体験した初日の感想だ。
 津波が押し寄せた土地からすれば天国のような環境に自分はいるけれど、それでも、あれから勤め先の高校でも落ち着かない日が続き、心が痛むようなことも起きた。普段の通勤経路上に繁華な場所はないのだが、駅ビルに用があって、終点でバスを降りた次の瞬間、明かりの少ない眺めに癒される思いがした。
 それは今日まで変わらないし、まぶしいのが苦手な私一人の思いでもないと信じている。

 店を目立たせる。中を明るくしたりショーケースを照らしたりして店内や商品の見栄えよくする。
 小学校でも教えていそうな客商売の工夫だが、じゃあ今、看板の明かりが消えた店に人が入らず、物も売れないかというと、そうじゃないのはここで例を書くまでもない。愚かな買いだめ騒動が落ち着いたとしても、それは変わらないだろう。
 よそが明るい看板・明るい店内である以上、ウチだけやらないわけにいかない。
 もはや工夫でも何でもなく、つまり、そういうことだったのだ。
 今も横並びでその逆をしている、と皮肉ることもできるけれど、あえてそれはしない。

 それよりも、無駄な横並びはまだある。
 間引き運転をしている首都圏の鉄道では、朝晩の混雑が以前より激しさを増している。でも事務系の業種で言えば、全員揃って、あるいは各社揃って八時半や九時に始業する必要がどれほどあるのか。小売やサービス業で言えば、いわゆる正社員が全員揃って、開店前から詰めきりになる以外に店の回しようがないのか。私は高校ですら工夫次第だと思うのだけれど。
 かたや日中は見事に不要不急の外出が控えられ、路線や区間によっては上りの終電間際みたいな空き具合も見ることができる。つまり、一日を通せば相当な輸送量を持つ交通機関なのに、社会がわざわざ限られた時間帯に人を集中させることで、極端なピークを作っている。
 さらに労働時間が特定の場所に集中する限り、家庭や業務向けの電気使用量だって集中する。
 かくして、多くの人々にとって大事な時ほど停電の可能性が高まる。

 そして、これも説明不要だけれど、こうした横並びによる集中は、リスクを他の土地に押しつけて成り立っていた。
 店が煌々と灯す明かりも、ジャケットが暑くなるような暖房も、数百万人が特定の時間帯に移動してもビクともしない交通機関も…かねて分かってはいたが、こうなるまで、省みることは私もロクにしなかった。

 深刻な被害を受けた人々が癒され、その住む土地が復興することを切に祈る。
 そして首都圏も、停電におびえるような状況からは復してほしいが、でも元に戻ってほしくはない。
 元の、不要な明かりが煌々と灯る街や店に、何かメリットがあっただろうか。元の、今よりいくぶん楽な通勤ラッシュが、幸せだったろうか…。
 街灯と建物の薄明かりだけの、落ち着いた宵の街並み。 
 日中や夜遅くの、以前よりも空いて落ち着いた電車の中。
 これは、このままでよくはないか、と私は思う。
 私の素直な気分なのと同時に、これが他の土地を犠牲にしないで可能な、首都圏の「実力」なのだ。

高校に入学するあなたへ

【またもや鉄道旅行とは無関係、それも季節外れな話題ですが、「人生の旅路」ということで以下ご勘弁を】
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 高三の梅雨入り間近のホームルーム。議題は、九月下旬にある文化祭の出し物。
 別に考えはないし、あっても提案者になって目立つのは嫌だし、というかどうでもいいから早く終わんないかなあ…という、よくありがちな空気が教室に流れている。時々、議長役が誰かを指しても、
「なんでもいいでーす」
 その状況に憤り、しびれを切らした僕は、たしか映画だったと思うが、意を決してアイデアを提案した。僕は正しいことをした、という気分だった。だが…
「えぇー、それはやだぁ~!」
クラスの多数を占める女子たちが騒ぎ出し、議論もないまま多数決へ。騒いだ連中は反対、残りの大半は反対にも賛成にも手を挙げず、僕の提案は数分で葬り去られた。僕の方を盗み見ながら「バカじゃないの?」といった風に耳打ちで話す姿がいくつも見える…さらにその直後、
「お餅つきってさぁ、なんでお正月しかやんないのかなー。夏でも秋でもお餅おいしいよねー」
ある女子のグループがふざけ半分で言い出すや議事を仕切り始め、やがて多数決で「お餅つき」に決めてしまった。飲食店は高倍率の抽選があったけれど、それもクリアしてめでたく正式決定…。
 僕がクラスに背を向けても、おかしくはない。
 自分を傷つけ、クラスに居づらくした上、ふざけ半分の案を理不尽なやり方で押しつけた連中への恨み。餅つきだろうが何だろうが、こいつらが言ったことである限り意地でもやるもんか。

「ねえねえ!ダイスケん家に臼や杵ある?」(ダイスケは筆者の本名)
 だが言い出しっぺたちは何を考えてるのか、なれなれしく肩を叩き、笑って僕に餅つきの話をしてきやがった。特に、「お餅つきってさぁ…」と最初に言い出した女の子がしつこい。返事どころか殴ってやりたいぐらいの相手なのだが、あいにく当時から人を黙殺する勇気もなかった。
「…あるわけないだろ。なんでだよ」
「ほら、ダイスケって何か変わってるじゃん、だから臼とか持ってんじゃないかって!」
「……………」
やがて連中は、自分たちで道具を借りる算段をつけたらしかった。でも、僕には関係のない話だ。
 クラスの「多数」で決めた餅つきだったが、しかし期末テストと梅雨が明けて準備が動き出してみると、やる気のある人間は十人程度。これでは準備はさておき、餅をつき続けながら店を出せる訳がない。ざまあみろ。文化祭の話題を避けてくれていた話友達も、彼女らへの陰口とともに「やっぱお前の案の方がよかったよ」などと言ってくる。
 ただ少数派になった実行側は、しらけた空気をものともせず、毎日うれしそうにメニューや衣装の考案を呼びかけたり、大声でキャッチコピーの案を出し合ったりしていた。そして例の女の子は相変わらず僕に、何かというと質問や相談を振ってくる。
「早めにポスター刷って部屋中に貼ったらクラスも盛り上がると思うんだけどさぁ、ウチら、ちゃんとしたポスターとか描けるヤツいないじゃん。で、ほら、ダイスケって…」
 続けてどんな失礼な表現をされたか思い出せない(ヲタクという言葉はまだなかった)が、漫画を描くヤツということで、ある日そう持ちかけられた。夏休みは終わっていたが、まだ外には入道雲が見えていた。
「……………」
 どうしてかは忘れたけれど、僕はポスターを描いてみた。したいともできるとも思っていなかったが、やってみたらできた。手分けしてそれを貼るのも含めて、楽しかった。メンバーも喜んでくれたし、参加していないクラスメートが目を引かれているのを何度も見た。
 そして当日にはなんと、僕は中心メンバーの一人として、中庭で威勢よく餅をつき続けていた。声をからして見物客を餅つきに誘い、面白おかしく売り声を上げつつ客と掛け合いもする。これも直前までは自信も関心もなかったことだが、でも今はできていて、体がくたくたになってもまだ頑張れるし頑張りたい…最後の何日間かで仲間がドッと戻ってきていたし、なにより僕らの餅つきは圧倒的な注目を受け、人を集めた。見物や杵の順番待ちの人垣は絶えず、そして餅を丸め終えるや横の売場へ客が殺到する。
「こんなことが僕に、僕らにできたんだ…」
 終わった時の充実感と、それを仲間と共有してるという喜びは、どうやっても上手に書けない。
 さらに、クラスは銀賞に輝いた。各学年で一つもらえる賞だが、当時はどの学年も十二組まであった。



「ウチら、最初から餅つきしたかったんだけど…変でしょ?でも、あそこでダイスケがもっと変な提案してくれたから、すっごく楽に言い出せた。だから…」
 打ち上げの席で、言い出しっぺの彼女が教えてくれた。自分たちのせいで傷ついた僕のために、役目を持ちかけて、クラスの中に居場所を作ってあげようとしてくれていたのだ。いつも笑っていたけれど、あの状況でわざわざ僕に話しかけるのは勇気がいったはずだ。そして僕は夏休み明けまで、いやいや返事をするだけだった。それでもしつこく…なんで、そこまでしてくれたのか…。
「ホントにごめんね…でも、ありがと。すっごくうれしかった」
 真剣な眼差しで、あらためて謝罪と感謝の言葉。でも、謝ってくる彼女がすごく大きく見えて、僕の方がドギマギしていた。握られたままの手が、びっしょりと汗をかいている…。
 …僕のためになんて実は後づけで、まんまと利用されただけかもしれない。
 でも利用されたのだとして、それで僕はバカを見ただろうか。
 新しい能力や楽しみの発見。いまだかつてなかった興奮と充実感。仲間。そして銀賞…餅つきに加わったことで、他の仲間とともに、僕もいい思いをした。逆に、いっときプライドを傷つけられたことを理由に、あのまま言い出しっぺたちを悪者にして背を向け続けていたら、僕にはどんな記憶が残っていただろう…。

 殴ってやりたいほど憎かった彼女は、実はほほえむ運命の女神だった。
 そして僕は、握ってくる手に引きずられるようにして、その彼女と付き合い始めた………となっていたらそこで筆を置けるのだが、でも翌週の放課後に、僕の五倍ぐらいいい男と仲むつまじく下校するのを見てしまった。さすがは女神様、文化祭で頑張った程度でそこまで与えてはくれない(笑)。
 ただ、身についた新しい興味や能力、それに自信は僕に残った。
 あとは、与えられた場所や仕事が嫌そうに見えても、嫌だという印象や、与えた人間への恨みにこだわるのをやめられた。「…やってみるか」と思えるようになり、今日までのところ、やってよかったことの方が多い。やるとまた新しいことを知り、素直ないい人に見えるのか周囲も優しくしてくれ、次もまたやってみようと思う。
 …まあ、もしかすると懲りずに誰かに利用されてるのかもしれないけれど、でも、やることで自分が何かしらを得て、他の人にも何かを与えられている限り、それはどうでもいいことでしかない。

 最後に、文化祭の後日談。やってみて、この時期に餅つきを見ない理由を僕らは学んだ。
 暑いからだ。マジで死ぬかと思った。
 その晩から、水を飲んではひたすら眠り続けた。代休が明けると、窓の外はもう秋の空。僕らは抜け殻みたいになっていたが、けれども眼だけは微笑んでいる。あの深い深い眠りの気持ちよさも、忘れられない。
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 …季節外れの話ですが、高校って何?と聞かれて最近、僕がまず思い出すことを書きました。
 友達がいる範囲も広がるし、アルバイトもできるようになるので、中学までとは比べものにならないぐらい、学校の外でも、いろいろなことができるようになります。
 でも、勉強は当然するとして、学校の中で、他にもう一つか二つ「荷物」をしょって、長い時間を費やして下さい。僕のように文化祭の中心になってもいいですし、部活動でもかまいません。人とかかわる中で何かをなしとげる…荷物とは、そういうことです。
 やれば、プライドを傷つけられる場面や、相手を殴りたいぐらいの理不尽な思いをする場面が、たぶんあります。でもそこで、相手を悪者にして陰口を言うんじゃなく、自分が変わることで問題を解決してみて下さい。
 それを覚えられるかどうかで、大人になってからの人生が違ってきます。よほど幸運な人を除けば、高校がたぶん、最後のチャンスですよ。

妄春~コミケとデフレの関係

ファイル 14-4.jpg(終了後、ようやく水上バスで脱出の図。気分は難民)

 コミケに出るたび、準備会の段取りと東京ビッグサイトの収容力には頭が下がる。
 三日間でのべ50万人=一日あたり十数万人を集めながら、たいした渋滞もなく自分のブースと知人友人のブース、喫煙所やトイレ
とを往来できる。食堂や売店では多少待つものの、詰めかけている人数からすれば本当にスムーズだ…。

 しかし今回、ついにそれが通じないほどの人出になった。
 完全に詰まりこそしないものの、廊下とホール内の廊下寄りが移動する人波で埋まり、自由に動けない。ところによっては往復の流れが無秩序になっている。そんな中を、廊下の端で座り込む人々をよけ、それを禁じる放送を聞きつつ、ブースから百メートルあまりの喫煙所まで片道五分以上…筆者の節煙には貢献したものの、人のブースも訪ねるつもりだった小休止がタバコで終わってしまう。
 まあ、『東方』などの人気ジャンルがますます盛り上がっている、と聞いていたから驚かない。
 事実、筆者の『新嘲文庫』が店を出す"創作文芸"の一帯は普段通り。前後の遠方には話に聞く人気ジャンル、廊下側には移動の人波…自分たちの周囲だけくっきりと穴が空いている。これが格差ってヤツか(←違う)。
ファイル 14-1.jpg
 と思っていたら、終わってみると前回の倍近い冊数を売りさばいている(『新嘲文庫』の「イベント情報」を参照)。
 そういえば心なしか、いつもより人とたくさん話をしたような…でもなんで急に…??
 うれしさよりも、疑問がまず頭をもたげた。

 新刊で、固定のファンがついている絵師さんに挿絵をお願いしたからか。
 実は三年前の冬にも同レベルの繁盛を経験していて、この時も今回と同じ絵師さんに挿絵をお願いした(ただしサブの短編)。
 このコミケも会場全体で人が多く、その後の反響もそこそこ多かったけれど、一方で、あらかじめ目星をつけていた様にいきなり買って去っていく"手練れ"が大量出現したのだった。筆者の駄文が、そんな風に目星をつけられるはずがない。
「○○さん(絵師さんの名前)の本、これですか!」
と聞いてくる分かりやすい猛者まで登場…ちなみに売り物はすべて筆者の本なのだが(笑)。
 今回も、それらしき人がいたにはいたけれど、それで多くを説明するには程遠い数。もちろん初めて見る方々は多かったが、大半は立ち読みしたり趣向を尋ねたりした上で買う「普通の人」(?)だった。だから前と違い、人と多く話した楽しい記憶が残っている。

 では、本が薄く、常連さんが楽しみの一つにしてるだろう「鉄分」も薄いので、ふだん200~300円のところを100円で売ったことか。
 前に寄ったことがある人からすれば、値段半分。
 そして、このジャンルに並ぶ品々を見回してみると、300~500円という値段をつけたカラー表紙のオフセット本と、100円程度~タダという手製のコピー本にほぼ二分されている。その中で白黒コピーとはいえ業者製本をかけ、表紙・本文ともできるだけ本格的っぽくした物が100円というのは、初めての方々に値ごろに見えたかもしれない。薄さも「もし全部読んでハズレでもダメージが少ない」という方に作用しただろうか。
 デフレと賃下げが続く昨今だし、買う立場を想像して周囲を見渡すと挿絵説よりは説得力がある。
 ここで話を終えられれば、タイトル通りのオチでめでたしめでたし…。
 しかし、200~300円をつけたままの既刊も比較的よく売れた。「新刊が安いからついでも増えた」で済ませてもいいのだが、同じジャンルにいる何人かの知人も、倍ではなさそうだが手応えはよかったという。



 そうなると、決定的な原因は外に求めるしかない。
 こんなところか。
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①実は『東方』などが目当ての人だけでなく、ただコミケ自体を目指して来た人も相当数増えていた。
②比例して"創作文芸"に来る人も、実は増えていた(元の数が少ないから、定率で増えても増加数自体は小さい)。
③比例して筆者のところに寄る人も増え、人々の懐具合もあって筆者のつけた100円がより多くの人目を引いた。
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 たしかに、私が店を出した2日目だけなら「東方」で説明がつくのだけれど、知人友人の情報を総合する限り3日とも同様だったらしい。
ファイル 14-2.jpg ファイル 14-3.gif
 結局、「どうして今回、コミケを目指して来る人間が増えたのか」ということを考えなきゃならなくなった。
 ここで筆者に、評論家じみた世相論や文化論を考えてみせる気力は残ってない。
 ただ、一つだけ思い出すことがある。
「前に繁盛した頃も、『物価下落』が言われてたような…」
 そこで、ちょっと消費者物価の推移を見てみる。
 上の2つのグラフがそれ(出典:「社会情勢データ図鑑」、なお「総務省統計局ホームページ」にて数値を検証)。
 左のグラフは対前年同月比の推移で、すべてを含んだ「総合」の折れ線に注目してほしい。水準や下げ幅が今回とは比較にならないものの、06年の冬コミも、しばらく物価が下がり続けた後に位置している。両者の間にあった物価高騰はまだ記憶に新しい。
 ただ、09年は夏コミの頃で底を打ち、反転しているように見える。けれども右の指数化した絶対値を見ると、冬コミ、つまり現在も緩やかに下落を続ける状態なのが分かる。それに実感としてどうだろう。政府が「デフレ宣言」をし、出血覚悟の値下げ合戦が私たちの間で共有されつつあるのは今現在のことだ。
 そして企業の収益が削られるから賃金が下がり、賃金が下がるから消費者が安値を求める…。

「デフレになるとコミケの来場者が増える!」
 一挙にそう言ってしまいたいところだが、資料が少なすぎるし理由も説明できない。手取りも下がって外出が近場に…という理屈が使えそうだけれど、懐が淋しいからって外出先をココにする人間がいるのか?って気がする。それに06年の物価下落は限定的なもの(三つの折れ線のずれから推測されたい)で、大きな賃下げは伴っていない。
 それを押して「デフレ=コミケ来客増」が合っているとすると、今、筆者が自分のブースの客を増やそうと思うことは、デフレのさらなる進行(→賃金や労働条件の低下)を願うことになってしまう。
 趣味の本のために日本中の働く人々を敵に回すのは、ちょっと無理。自分も賃下げじゃないか。
 そこで戻って「100円だから売れた」説を採ったら採ったで、何を書いていくらかかっても100円で売らなきゃいけなくなる。まあそれが今の世間なんだが。
 …というわけで結局、今回はまぐれだと結論づける。
 その前に、作品が良かった・悪かったとは全く考えない時点で、今年もこの筆者には期待しない方がよさそうです(笑)。



 あ、申し遅れました。新年明けまして、おめでとうございます。
 旅行記じゃない上に続き物を放置してますが、まあそのうちに。

田舎教師の眺め

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 昨春から勤めている高校は、山が近い。
 …といっても実は東京都区内で、だから「近く見える」だけなのだが、都心を挟まずに丹沢方面が望める職場は初めてなので、この冬の頭に、渡り廊下で思わず立ち止まってしまった。
 屋上へ駆け上がる。北風が吹きつけるが気にしない。
 街並みの向こうに大きく山がある。それだけを注視していると、東京やその隣接部なんかじゃなく、どこかの地方都市にいる様な心持ちになってくる。富士山がデンと構えているから、「どこかの」と言っても場所は限られるけれど、これがもし連峰をなす白い山々だったら、北陸や近畿北部などの小都市に擬することもできそうだ。わくわくしつつ、ゆったりとした気分を味わう。

 授業で二、三年生を相手に山が見えることを話すと、彼ら彼女らは昨冬以前から見てきているにもかかわらず、
「ね!きれいでしょ!」
と誇らしげに目を輝かせてきた。生徒の多くはごく近場から通っているのだが、校舎の様な高さに住んでいないか、いても他の建物に邪魔されるかで、家から山は見えないらしい。同じくこの地域に住む筆者の自宅もそうだ。
 しかし、「どっかの田舎にいるみたいだねー」という筆者の賞賛にはピンと来ない様子で、不満そうな子もいる。
 聞くと予想通り、地方の町からの眺めという概念がないらしい。高度成長期に東北や北陸から大挙上京してきた世代が、徐々に生徒たちの祖父母になりつつある。つまり親の実家も東京だという子が増えている。修学旅行も中学校は京都奈良、そして高校は沖縄か、この学校もそうだが九州あたりの離島が定番。だから、本州の寒地にある田舎町の景色など知るよしもなく、ぼんやりとしたマイナスイメージだけがある。現に筆者の「田舎みたい」が褒め言葉だと分かってもらうのに、少し時間がかかった。
 …親の田舎がないのは仕方ないにしても、修学旅行は少し考えたい。
 できるだけ遠くに、できるだけ違いが分かる場所に連れて行こうというのは分かる。そして行けばもちろん楽しい。ただ、飛行機でまっすぐ目的地付近に着ける場所は、はたして遠いのだろうか。「東京とは違う場所」として喧伝されている土地は、将来誘われて行く可能性が高くはないだろうか。
 たとえば山を越えて日本海岸へ出るだけでも、そこには違う土地がある。瑠璃色の海と壮大な山並みの組み合わせ、広がる一面の田畑、コンパクトな古きよき町、冬に降る雪、安くておいしい魚、おだやかな人気(じんき)や時間の流れ…。そして、こういう「日本のありきたりな田舎」から発した血が、今の東京を形作る人々の大半に流れている。少なくとも筆者はそこに"心の故郷"を感じる。そこがユートピアじゃないのは分かっているけれど、その良さを知ることなく、東京が一番だと思い、京都奈良や南の島だけを旅先だと思い続けていく人生は実にもったいない。

 授業が終わると昼休み。渡り廊下を通ると、いくらか薄れてきたものの相変わらず山が見える。街並みと山々に目を合わせれば、やはり地方都市にいるかの様だ。
 この眺めに目を輝かせ、そして私がした田舎の話にも無邪気に耳を傾けてくれた生徒たちと、筆者は同じ地域に住んでいる。休みの日に駅前などでバッタリ出会うこともままあって、そこがまた田舎っぽい。
 もう少し暖かくなると山は見えなくなるが、例によってどこかの地方を舞台に、小さな話を書きたくなった。

銚子電鉄~忙中閑あり

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 銚子電鉄、という小さな私鉄については、いまさらあえて説明しない。
 知らない人は、ぜひ検索を。いっとき廃線の危機に見舞われたローカル線なのだが、危機脱出までの経緯が大変面白い。

 夏みたいに晴れた連休の最終日、日帰りでそこへ行った。
 再建をめぐる騒動を機に、名勝・犬吠埼の近くを走る「かわいい電車」であることや、会社謹製の濡れ煎餅・たい焼きの味が広く知られるようになっていて、この日もバスツアー数団体を含む多数の旅行客で大盛況。
 ただ、かといって幻滅する様な大混雑でもなく、広い青空の下をゆくオモチャみたいな電車、漁港の先に広がる群青の太平洋、そこで食べた安価にして豪勢な刺身定食、そして大人気の濡れ煎餅やたい焼きを満喫できた。

 …と、そんな事どもを伝えようとしてたのに、思わず選んだのは、日が傾いてきて誰もいなくなった後の、名所も何もない途中駅での写真。
 そして一言。
「やっぱ都会から離れた場所には、静けさが一番似合う!」
 にぎわってるのを褒めておいて、実に身も蓋もない。

 この春、小さな夜間高校から、いきなり七百数十名いる昼間の高校に移った。イラスト部の部員が前の学校の全校生徒より多かったりする。話してみれば子どもはどこでも同じだし、多ければ多いで授業も部活も行事も楽しいのだけれど、一日終わってふと気づくと、人の多さにどっと疲れた自分がいる。
 あとは、子どもたちの物分かりが良すぎて、かなり丁寧にやってるのに授業が従来の五倍ぐらいのスピードで進む…いいことに聞こえるが、つまり授業の支度もこれまでの五倍増しになった。
「忙しかろうけど、休日に出ることも多くなろうから、代休でもって『日・月』とかで休んだりできるかも♪」
 …私がバカでした、ハイ。土日も代休も真面目に勉強、祝日でようやく日帰り旅行…先月末に三泊四日したけど、それは修学旅行。
「でも、通勤が片道1時間強からチャリで20分ぐらいになったし…たまった写真の整理ぐらいは♪」
 …12時間近く職場にいるんで差し引きマイナス。放課後に何もない日も多数あるのだが、なぜか常時誰かしらと向かい合っていて、結局下校時刻までデスクワークができない。

 そんな訳で、この小旅行の中で一番静かな、一番ゆったり時間が流れていそうな眺めを思わず選んだ。
 結果として、「近場以外どこにも行けないよ~」という近況の報告も兼ねている。

『秒速…』アニメ作家S氏来る

 ひょんなことから、その世界では紹介文無用のアニメ作家・S氏が勤め先の学校へ講演にいらした。看板は「進路講演会」。

「期末テスト後の空白を、なんとか有意義そうな中身で埋めねば!」
 そう思案した上司が、『同郷同窓の後輩で、とにかく有名人だそうだから』という理由だけでコンタクトを取ったら叶ってしまったのだ。知らないというのは恐ろしく、そしてスバラシイ。
 ただし我が勤め先は、廃校を控えて生徒二十数名となった下町の夜間高校で、二十数名の中にその種のヲタクは一人もいない。
 が、そんなことは意に介さない上司は、
「『一方的に話すのは苦手だから対談の様な形式にしてほしい』、という希望が先方から出ている」
と語ってから、筆者に向けて言い放った。

「お前ヲタクだから前へ出て対談してくれ」

 小便をちびりそうなほど喜ばしい思いをこらえ、筆者は固辞した。
 自分自身はファンで聞きたいことは山ほどあるけれど、仕事としてやる以上、アニメやゲームと全く無縁な生徒たちとS氏とをつながなければならない。そして、その展望は全くなかった。なにしろ事前学習として氏の名作を二日にわたって上映した際にも、来た生徒ほぼ全員が死んだ魚の様な眼をしており、日頃気安く話をしている私のフォローも全く通じないのだ…ただ、そのことで彼らを非難する気はない。アニメにしろ鉄道にしろ、よほどメジャーな物を除けばマニアと一般人との壁は厚く、そしてS氏の作品群はどちらかというとマニアの側に属している【※】。それを上司は知らず、筆者は知っているというだけの話だ。
 とはいえ知っているために、結局『どうにかしなければ』と引き受けてしまった筆者も筆者だが…。



 だがそれ以上に、当のS氏がそのことをよく知っていた。

「僕が作っているアニメという物は、別に見なくても生きていける物です。だから、楽な気持ちで聞いてて下さいね」

 眠たげな空気に満ちた生徒席に向かって開口一番、S氏は淡々としかし暖かく、そう語りかけた。氏の日頃の講演先といえば、おそらく氏を神とあがめるファンかそれに近い理解者だと思うのだが、そういう状況への慣れから来る慢心などカケラも見えない。
「口下手なので、それ以外の方法で自分が思ったことを表現してきました」
 たいていはそう言いつつ饒舌なものだけれど、S氏は本当に話すのが不得手そうで、何か語るたびに少し考え込む。氏の近作で主役を務める不器用な青年が、そのままそこにいた。ある作品の付録に氏のインタビューが収まっているが、この際も苦心された様だ…ともあれ、これは口下手な生徒には福音だったと思う。
「『25歳までに自分の作品を世に出す』って決めて頑張りました…結局27歳までかかっちゃいましたが(笑)」
「まず、とにかく一つ作品を完結させてみることが大事」
「会社は、タダで社会人に必要なルールや振る舞い方を教えてくれるんですね。だから(ひとまず就職したのは)よかったです」
 対談していく中で、あらゆる「夢の実現」に通じる言葉も頂戴した。が、いかんせん引き出し役が筆者で、おまけにもう一人、同じ校舎にある別の学校から同好の女子生徒が座っていた。その彼女の口が重かったので、『マニアックな話題でもいいよ』と振ったら本当にマニアックな話題になってしまい、机に伏せる生徒はまだしも、教師の目を盗んで席を立つ生徒まで現れる事態に…しまったと思いつつ、話をマニアックにした生徒も席を立つ生徒も、どちらも非難する気にはなれないのだった。
 しかし、それ以上にS氏は何の不満も見せず、出される質問に真剣に向き合い、数人しか聴く者がない生徒の席へ優しげな目を向けつつ答えていく。予定の時間はそれこそ秒速五十メートルぐらいでアッという間に過ぎたが、最後のご挨拶も楽しげに息を弾ませて、
「ありがとうございました。今日は本当に面白かったです!」
 …誰にとってもそこそこ面白い物なんてないのだから、数人とはいえ聴く者がいた以上、まして教師を介して質問を出した生徒や控室へ押しかけた生徒までいた以上は、決して無意味じゃなかったと思う。
 でも、それはそれとして、氏には教育委員会規定の格安な講演料じゃとうてい購えない様な心細い思いをさせたはずで、なんとも申し訳ない限り…。

「いやホントに面白かったですよ。学校の先生みたいな体験ができるなんて…」
 けれども、互いに仕事が終わって席を移した先で、なお感慨深そうにS氏はそう繰り返す。もちろん、割り引いて受け取らなければいけない台詞だとは今でも思っているが、しかし少なくとも、学校という場所を苦々しく思うどころか、かえって関心を増されたのは確かな様子だった。



 さて、S氏作品のファンで、なおかつ鉄ならば、必ず尋ねたいことがあると思う。
 言うまでもない。近作に出てくる近郊型電車(それも作中の年代相応の形式)を筆頭に、鉄道アイテムがリアルで、かつ鉄道自体も作品に頻出する件。外観が通勤電車で中がボックスシートなどという漫画やアニメが多い中、いいのかと思うぐらいの厚遇である。
「あの、作品を見ていると…何と言うか、輸送機器にずいぶん関心をお持ちな様に思えるんですが…」
 杯が進んできたところで、ロケットの搬入車やカブの描写なども引き合いに出しつつ、控え目にそのことを聞いてみた。

「僕が描く話は…人を選ぶっていうか、好き嫌いがすごく分かれる話なんで、それ以外の部分は文句が出ないように、と思って…」

そして鉄道がよく出てくるのは、故郷でも現住地でも身近な場所にあるので「よくあるもの」として目に留まる、というだけだった。
 …ほのかな期待は外れたけれども、期待外れどころの騒ぎじゃない。
 それだけのために、あんなに完璧に描き、そして描けるだけの材料集めをするなんて…。
「そんなに細かくは取材してないですよ。そうですね…」
むろん謙遜だと思うけれど、もし言葉通りだったとしたら、それはそれで天才だ。
 なお、旅行好きという訳でもないとのこと。
「何人かで取材に行くんですけど、自分が退屈してたら他の人に頑張ってもらえなくなりますから、まず自分が一生懸命見て回って…そのうちに、その土地にあるいろんな物が好きになりますよね」
「……………」
 文句が出ないように…って、あなたの作品に文句が出ますか?
「いろいろ来ますよ。村上春樹のパクリだろうとか(笑)。だいたい親がいまだにいい顔しないですし…『みんなのうた』で少し良くなったかな…やっぱり田舎はNHKですね」
横に座られている、これも親がいい顔をしないというプロデュース会社の担当者氏が付け加える。
「その点Sはタフだよね。叩きが一通来たらしばらく落ち込む、っていう作家さんもいるのに」
 文句といえば、鉄から唯一出ている『新宿駅が新しすぎる』というケチ(というより好意的なネタ)については、
「あそこは、今の新宿駅を描かないと新宿駅だって分からないでしょう?」
…何もかも、考え抜かれていたのである。



「失礼します!今日はホントに楽しかったです!」
 気恥ずかしさに酔いが混じって、ずいぶんと趣味丸出しな応対をしてしまったと思う。かたや氏に湧いた学校という世界への興味には十分応えられなかったはずで、とんだ失礼の上塗りだった。
 にもかかわらず、別れの挨拶から伝わってくる爽やかな心は、どういう訳だろう…。

 とりあえず、プロの作家というのは以下の様なものであるらしい。
*謙虚であること。
*マイナスの出来事や反応に、いちいちめげないこと。
*出くわすことすべてに関心を持ち、簡単に失わないこと。
 …筆者と正反対である。夢を持つ若い皆様はぜひ参考にされたい。



【※…あくまでも現状の話で、氏の作風は十分に一般社会を惹きつけられると筆者は確信する次第】

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