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伊予灘と内子、大洲(下)

★長浜回り―――来夏に向けてということで(汗

【切符と往復の旅程については末尾に記載】

 去年も同じ様なことをしたが、夏の続きをサボるうちに冬になってしまった。誰も読んでないだろうけれど、申し訳ないことをした。
 東京の空は、ツンと澄んでいる。もちろん現地も、今時分はずいぶん違った景色のはずだ。

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 ホームの向こうは、一面の海………駅名標にある通り、ここは「下灘」という駅。前回の巻頭の写真も、ここで撮った。

 高松から愛媛県・宇和島へと向かう予讃線は、松山の先、伊予市で二手に分かれて、それぞれに伊予大洲(前回参照)を目指す。ひとつは内陸に入り、山をトンネルで抜けていく「内子回り」、もう一方は伊予灘~肱川と水辺の低いところを這っていく「長浜回り」だ。
 長浜回りが元々の予讃線だが、国鉄時代の最末期にショートカットの内子回りができて、特急や急行(当時はあった)が全部そちら経由になってしまった。よそ者が時刻表を読む限り内子回りが圧倒的に本線に見えるけれど、にもかかわらず、普通列車の数は今もほぼ五分五分。腐ってもなんとやら、長浜という港町もあることだし、やはり元からのルートの方が開けているのだと踏んで、「本線」から引込線の様に枝分かれする長浜回りに乗った。

 列車は、二時間に一本ほどある。
 午後三時。休み中だからもう下校時間帯のはずだが、座席を半分ほど埋めた乗客に制服姿は少ない。
 山を分け入って最初の一駅を出ると、あとは一段低いところに伊予灘を見たままトコトコ西へ進む。一度海が隠れて上灘、ふたたび現れて一番間近になったところが、下灘だ。
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 筆者の他には誰も降りない。行き違いの線路を埋めた跡。山側にオーソドックスな「田舎の駅舎」。駅前の小径もひっそりとしていて、雑木林と古びた家屋が、緩い坂道とともに日を浴びている。線路をくぐって海際の国道へ出たものの、垂直に護岸がされていて降りるべき磯や砂浜はなかった。
 結局、ホームのすぐ先に大海原がある様を眺めるしかない場所だったが、これほど海岸に寄った駅というのは案外少なく、その眺めだけで十分だった。筆者の体感ではあっという間に一時間が過ぎ、誰もいない駅に上り列車の時刻が近づいた。
「真っ青な水面をバックに、のどかな乗降風景を…」
 ということで三脚を立てる。立てたらレールが車輪の音を伝え始めた。列車が着いて人影が見えたらシャッターを切るだけだと決め、指をシャッターボタンに添えて立ったまま待つ。西日が差す中、一両きりの列車がアイドリングを響かせつつ止まりかけたところで、中学生が二人駆け込んできた。ぎこちなく手をつなぐ男女の体操服姿。子どもっぽい不器用さが、いかにもひなびた土地らしい…。
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 …と思ったら、海辺の村だろうが何だろうが、やはり今の中学生は今の中学生だった。
 決め込んだ通りにシャッターボタンを押した瞬間の出来事で、どうしようもなかった。
 ただ、このすがすがしい眺めの中で見ると、それすら爽やかであどけなく思えた。小走りに乗り込む女の子、見送る男の子。彼はドアが閉まってもなおせつなげに立ち続け、列車が動き出しても顔が窓の内側を追っている…。

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 その次の下りで、串、喜多灘と西へ進む。まっすぐな海岸線が続き、時々、寄り添って風に耐えるかの様な集落。ただ、気候に厳しさは少ないらしく、家々は古きよき木造瓦葺きが多く残る。
 人口は希薄だけれど、さびれて家が減ったというのではなく、元々あまり大きくない農漁村だった様だ。すぐ後ろまで山が迫っているし、さりとて漁港に向いた入り江がある訳でもない。山でミカンが獲れるものの、各駅をざっと眺める限り、かつて繁盛していたと言える様な貨物扱いの痕跡は見えなかった。
 海辺と山中の違いがあるだけで、昔とて、こちらを通ろうが内子回りにしようが、沿線人口はあまり違わなかったかもしれない。次の伊予長浜は古い港町だが、内子も予讃線が通った頃には林産物の集積地として大変栄えていたし、今の内子回りに沿って街道もあった。できるだけトンネルや高低差の少ないルートで、という教科書通りの理由だけが長浜回りを作ったのだと、あらためて知る。

 まばらに工場や倉庫を載せた埋立地が見え、やや内陸に寄って海に別れを告げると、その伊予長浜。
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 途中の駅よりは大きいが、それでも写真の通り、かつて特急や急行がすべて停まった駅にしては小さく、寂しい。もう列車が来ることのない錆びた待避線を、家路を急ぐ中学生が越えていく…。
 日をあらためて訪ねたところ、この町だけは「さびれて静かになった場所」だった。
 ただ、駅はもとから町はずれにあって、駅前に何もないのは昔かららしい。
 港町ということで地図の「フェリー乗り場」を目指すと、コンクリートの建物は閑散としていて、乗船券売場だったらしい窓口が板で塞がれている。隅に食堂があったので入って聞くと、かつては対岸の本州や関西とを結ぶ便が毎日来ていたものの、今は近くの島へ行く船が二便あるだけだという。そもそも港が狭く、貨物船の姿も少ない。食堂では、おすすめだということでチャンポンを食べた。この町とは何の関係もないけれど、春に修学旅行先の長崎で食べたものよりもうまかった。
 いきなり寂しいものを見たが、最初に港へ行き、食事をしたのは正解だった。町の目抜き通りは櫛の歯が欠けたごとくに店が閉まり、ちょっと昼食をという様な店は見あたらなかったからだ。
「これが話に聞く『シャッター通り』か…」
 ただ、目抜き通り以外を含め、建物の中には古い家屋敷が少なからずあって、町に歴史があることを静かに物語っている。その中の一つに「紙製品」と書かれた店を見つけた。そう書かれてはいるが実態はほぼ煙草屋で、買い物をして、写真を撮らせてもらった後に一服。
「…それでも最近まではな、夏は、近くの浜へ海水浴に来る人が結構あったんですけどなあ…」
 煙草屋としては無駄に広い店の中で、店主がのんびりと語る…。
 収穫はフェリー乗り場のチャンポンと、あとは、さびれた町というのを久しぶりに見た。田舎を目指すあまり林業や漁業で栄えた跡にばかり目が行き、商工業や港湾でにぎわったなれの果てというのを丁寧に見てこなかったと思った。



 東京との往復と現地の移動には、周遊きっぷの「四万十・宇和海」ゾーンを使った。松山・高知以西のJR全線が特急自由席まで乗り放題だが、現地で二泊もできれば、今回の様に伊予市~伊予大洲をウロウロするだけで元が取れる。
 往復運賃は2割引。割引はないが、自分で航空券を買って片道のみ飛行機にもできる。今回は復路を飛行機にした。
 往路が2割引で9,520円、プラス特急料金10,500円(「サンライズ瀬戸」ソロ+「しおかぜ」自由席)。乗り放題で4,260円。復路は飛行機で25,400円(特便割引1)………しめて49,680円。

 宿は、内子に取った。当然、タイトルにもある通り「内子回り」の内子も見て回ったのだが、今回は割愛する。
 たいしたことがなかったのではなく、むしろ逆で、筆者にもこの欄の読み手各位にも、心地のよい眺めがたくさんあった。それゆえまた、いま少しゆっくり訪ねようと思っているからだ。

 …ホンマやぞ。手抜きちゃうぞ(苦笑)。

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