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夏コミ御礼…「かえりみち」完売、新刊と「学校案内」も好評!

 サークル参加・一般参加の皆様、お疲れ様でした。暑かった(熱かった)ですね!
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 さて、当「新嘲文庫」にも大勢の皆様がお越し下さいました。
 昨冬の記録更新とはいかなかったですが、新刊・既刊ともに前年同期比でははるかにプラスです。ありがとうございました。
 おなじみの皆様に加えて、創作文芸自体に来たことがないのに「なんか気になって…」という通りすがりの方や、「『南の町で』を読んで『おっ』と思ったので」という同業者の方など、新たに多くの皆様も…。
 これまで通販やご感想のメールでしか知らなかった何人かの方々とも、初めて直接お会いできました。常連さんも含めて今回は特に会話の多いコミケになり、うれしい限りです。差し入れも猛暑を反映して、定番の飲み物のほかアイスや冷えピタなども頂戴。
 そして急きょ企画した「学校案内」も多くの方々にご注目いただけ、広報委員たちも喜んでおりました。

 残部僅少となっていた既刊「かえりみち」も、めでたく完売。
 この作品は、舞台の雰囲気や主人公について空前の評価をいただいた一方、簿記の初歩についての記述が丁寧でなく、そのせいで多くの方の楽しみを減らしてしまった面がありますので、手直しの上再刊しようと思ってます(その際は初版との交換にも応じようかと)。

 本当にありがとうございました。皆様の支えを糧に、冬に向けて頑張ります!
 次回に100円引きいたしますので、ご感想・アンケートも引き続きよろしくお願いいたします。

コミックマーケット78・新刊など

 待ってた方にはお待たせしました。
 8/15(日)の夏コミ3日目ですが、新刊発行その他のメドが立ちましたので、追加でお知らせいたします。
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【コミックマーケット78】
 ★日時:8月15日(日) 10:00~16:00
 ★場所:東京ビッグサイト
 (りんかい線「国際展示場」、ゆりかもめ「国際展示場正門」下車)
 ★配置:フ-15a(東5ホール)

☆新刊…短編集『エッちゃん』
 詳しくは戻って「最新刊のご紹介」をご覧下さい。
 五周年ということで、モノクロの範囲内ながら表紙のスタイル改良に挑戦。内容も「田舎の中高生&汽車のある風景」という"新嘲文庫"の原点に帰りつつ、描写やストーリーには新しい工夫も。
 もちろん新刊にも「お便り感謝・100円割引券」をご利用いただけます。

☆「南の町で」緊急再版
 昨冬初売り→春先には完売というご好評を頂戴した、リーズナブルな短編「南の町で」。事情により当面増刷を見送る予定でしたが、夏コミで急きょ再版発売開始です。
 こちらも詳細は「最新刊のご紹介」を。

☆その他
 勤務校の広報委員生徒たちと一緒に「学校案内」をします。
 ヲタ率(というか腐女子率)がとても高く、なおかつデザインやCGの授業を通じてヲタスキルを磨けるステキな(笑)全日制高校です。
*生徒制作のマスコットキャラが載った公式パンフレット
*生徒が定期的に発行する学校新聞(連載漫画あり)
 を頒布予定。コミケに来ちゃうような中学生の皆さん、そんな中学生の知り合いがいる皆さん、ぜひのぞいてみて下さい。


【100円割引券について】
 上にも出てきました「お便り感謝・100円割引券」ですが、前回文学フリマ以降にご感想・アンケートご回答を下さった皆様への送信を、昨日から今日にかけて終えました。
 大変遅くなってしまい申し訳ありません。
 お確かめいただき、もし不着の場合はトップページのメールフォームからご連絡を。

コミックマーケット78(夏コミ)、当選

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 お知らせが若干遅れましたが、「新嘲文庫」、無事に夏コミ当選です。
 今回、「創作文芸」は3日目、場所は東5ホールになります。

【コミックマーケット78】
 ★日時:8月15日(日) 10:00~16:00
 ★場所:東京ビッグサイト
 (りんかい線「国際展示場」、ゆりかもめ「国際展示場正門」下車)
 ★配置:フ-15a(東5ホール)

 昨夏とは一味違う「汽車通学もの」の短編集を企画中。
 ほか、勤務先の広報委員会とコラボで、生徒作成の学校新聞(連載漫画を田島が担当)配布を計画中。
 …それが「穴埋め」にならないよう、取材と執筆を頑張ります(汗 

高校に入学するあなたへ

【またもや鉄道旅行とは無関係、それも季節外れな話題ですが、「人生の旅路」ということで以下ご勘弁を】
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 高三の梅雨入り間近のホームルーム。議題は、九月下旬にある文化祭の出し物。
 別に考えはないし、あっても提案者になって目立つのは嫌だし、というかどうでもいいから早く終わんないかなあ…という、よくありがちな空気が教室に流れている。時々、議長役が誰かを指しても、
「なんでもいいでーす」
 その状況に憤り、しびれを切らした僕は、たしか映画だったと思うが、意を決してアイデアを提案した。僕は正しいことをした、という気分だった。だが…
「えぇー、それはやだぁ~!」
クラスの多数を占める女子たちが騒ぎ出し、議論もないまま多数決へ。騒いだ連中は反対、残りの大半は反対にも賛成にも手を挙げず、僕の提案は数分で葬り去られた。僕の方を盗み見ながら「バカじゃないの?」といった風に耳打ちで話す姿がいくつも見える…さらにその直後、
「お餅つきってさぁ、なんでお正月しかやんないのかなー。夏でも秋でもお餅おいしいよねー」
ある女子のグループがふざけ半分で言い出すや議事を仕切り始め、やがて多数決で「お餅つき」に決めてしまった。飲食店は高倍率の抽選があったけれど、それもクリアしてめでたく正式決定…。
 僕がクラスに背を向けても、おかしくはない。
 自分を傷つけ、クラスに居づらくした上、ふざけ半分の案を理不尽なやり方で押しつけた連中への恨み。餅つきだろうが何だろうが、こいつらが言ったことである限り意地でもやるもんか。

「ねえねえ!ダイスケん家に臼や杵ある?」(ダイスケは筆者の本名)
 だが言い出しっぺたちは何を考えてるのか、なれなれしく肩を叩き、笑って僕に餅つきの話をしてきやがった。特に、「お餅つきってさぁ…」と最初に言い出した女の子がしつこい。返事どころか殴ってやりたいぐらいの相手なのだが、あいにく当時から人を黙殺する勇気もなかった。
「…あるわけないだろ。なんでだよ」
「ほら、ダイスケって何か変わってるじゃん、だから臼とか持ってんじゃないかって!」
「……………」
やがて連中は、自分たちで道具を借りる算段をつけたらしかった。でも、僕には関係のない話だ。
 クラスの「多数」で決めた餅つきだったが、しかし期末テストと梅雨が明けて準備が動き出してみると、やる気のある人間は十人程度。これでは準備はさておき、餅をつき続けながら店を出せる訳がない。ざまあみろ。文化祭の話題を避けてくれていた話友達も、彼女らへの陰口とともに「やっぱお前の案の方がよかったよ」などと言ってくる。
 ただ少数派になった実行側は、しらけた空気をものともせず、毎日うれしそうにメニューや衣装の考案を呼びかけたり、大声でキャッチコピーの案を出し合ったりしていた。そして例の女の子は相変わらず僕に、何かというと質問や相談を振ってくる。
「早めにポスター刷って部屋中に貼ったらクラスも盛り上がると思うんだけどさぁ、ウチら、ちゃんとしたポスターとか描けるヤツいないじゃん。で、ほら、ダイスケって…」
 続けてどんな失礼な表現をされたか思い出せない(ヲタクという言葉はまだなかった)が、漫画を描くヤツということで、ある日そう持ちかけられた。夏休みは終わっていたが、まだ外には入道雲が見えていた。
「……………」
 どうしてかは忘れたけれど、僕はポスターを描いてみた。したいともできるとも思っていなかったが、やってみたらできた。手分けしてそれを貼るのも含めて、楽しかった。メンバーも喜んでくれたし、参加していないクラスメートが目を引かれているのを何度も見た。
 そして当日にはなんと、僕は中心メンバーの一人として、中庭で威勢よく餅をつき続けていた。声をからして見物客を餅つきに誘い、面白おかしく売り声を上げつつ客と掛け合いもする。これも直前までは自信も関心もなかったことだが、でも今はできていて、体がくたくたになってもまだ頑張れるし頑張りたい…最後の何日間かで仲間がドッと戻ってきていたし、なにより僕らの餅つきは圧倒的な注目を受け、人を集めた。見物や杵の順番待ちの人垣は絶えず、そして餅を丸め終えるや横の売場へ客が殺到する。
「こんなことが僕に、僕らにできたんだ…」
 終わった時の充実感と、それを仲間と共有してるという喜びは、どうやっても上手に書けない。
 さらに、クラスは銀賞に輝いた。各学年で一つもらえる賞だが、当時はどの学年も十二組まであった。



「ウチら、最初から餅つきしたかったんだけど…変でしょ?でも、あそこでダイスケがもっと変な提案してくれたから、すっごく楽に言い出せた。だから…」
 打ち上げの席で、言い出しっぺの彼女が教えてくれた。自分たちのせいで傷ついた僕のために、役目を持ちかけて、クラスの中に居場所を作ってあげようとしてくれていたのだ。いつも笑っていたけれど、あの状況でわざわざ僕に話しかけるのは勇気がいったはずだ。そして僕は夏休み明けまで、いやいや返事をするだけだった。それでもしつこく…なんで、そこまでしてくれたのか…。
「ホントにごめんね…でも、ありがと。すっごくうれしかった」
 真剣な眼差しで、あらためて謝罪と感謝の言葉。でも、謝ってくる彼女がすごく大きく見えて、僕の方がドギマギしていた。握られたままの手が、びっしょりと汗をかいている…。
 …僕のためになんて実は後づけで、まんまと利用されただけかもしれない。
 でも利用されたのだとして、それで僕はバカを見ただろうか。
 新しい能力や楽しみの発見。いまだかつてなかった興奮と充実感。仲間。そして銀賞…餅つきに加わったことで、他の仲間とともに、僕もいい思いをした。逆に、いっときプライドを傷つけられたことを理由に、あのまま言い出しっぺたちを悪者にして背を向け続けていたら、僕にはどんな記憶が残っていただろう…。

 殴ってやりたいほど憎かった彼女は、実はほほえむ運命の女神だった。
 そして僕は、握ってくる手に引きずられるようにして、その彼女と付き合い始めた………となっていたらそこで筆を置けるのだが、でも翌週の放課後に、僕の五倍ぐらいいい男と仲むつまじく下校するのを見てしまった。さすがは女神様、文化祭で頑張った程度でそこまで与えてはくれない(笑)。
 ただ、身についた新しい興味や能力、それに自信は僕に残った。
 あとは、与えられた場所や仕事が嫌そうに見えても、嫌だという印象や、与えた人間への恨みにこだわるのをやめられた。「…やってみるか」と思えるようになり、今日までのところ、やってよかったことの方が多い。やるとまた新しいことを知り、素直ないい人に見えるのか周囲も優しくしてくれ、次もまたやってみようと思う。
 …まあ、もしかすると懲りずに誰かに利用されてるのかもしれないけれど、でも、やることで自分が何かしらを得て、他の人にも何かを与えられている限り、それはどうでもいいことでしかない。

 最後に、文化祭の後日談。やってみて、この時期に餅つきを見ない理由を僕らは学んだ。
 暑いからだ。マジで死ぬかと思った。
 その晩から、水を飲んではひたすら眠り続けた。代休が明けると、窓の外はもう秋の空。僕らは抜け殻みたいになっていたが、けれども眼だけは微笑んでいる。あの深い深い眠りの気持ちよさも、忘れられない。
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 …季節外れの話ですが、高校って何?と聞かれて最近、僕がまず思い出すことを書きました。
 友達がいる範囲も広がるし、アルバイトもできるようになるので、中学までとは比べものにならないぐらい、学校の外でも、いろいろなことができるようになります。
 でも、勉強は当然するとして、学校の中で、他にもう一つか二つ「荷物」をしょって、長い時間を費やして下さい。僕のように文化祭の中心になってもいいですし、部活動でもかまいません。人とかかわる中で何かをなしとげる…荷物とは、そういうことです。
 やれば、プライドを傷つけられる場面や、相手を殴りたいぐらいの理不尽な思いをする場面が、たぶんあります。でもそこで、相手を悪者にして陰口を言うんじゃなく、自分が変わることで問題を解決してみて下さい。
 それを覚えられるかどうかで、大人になってからの人生が違ってきます。よほど幸運な人を除けば、高校がたぶん、最後のチャンスですよ。

妄春~コミケとデフレの関係

ファイル 14-4.jpg(終了後、ようやく水上バスで脱出の図。気分は難民)

 コミケに出るたび、準備会の段取りと東京ビッグサイトの収容力には頭が下がる。
 三日間でのべ50万人=一日あたり十数万人を集めながら、たいした渋滞もなく自分のブースと知人友人のブース、喫煙所やトイレ
とを往来できる。食堂や売店では多少待つものの、詰めかけている人数からすれば本当にスムーズだ…。

 しかし今回、ついにそれが通じないほどの人出になった。
 完全に詰まりこそしないものの、廊下とホール内の廊下寄りが移動する人波で埋まり、自由に動けない。ところによっては往復の流れが無秩序になっている。そんな中を、廊下の端で座り込む人々をよけ、それを禁じる放送を聞きつつ、ブースから百メートルあまりの喫煙所まで片道五分以上…筆者の節煙には貢献したものの、人のブースも訪ねるつもりだった小休止がタバコで終わってしまう。
 まあ、『東方』などの人気ジャンルがますます盛り上がっている、と聞いていたから驚かない。
 事実、筆者の『新嘲文庫』が店を出す"創作文芸"の一帯は普段通り。前後の遠方には話に聞く人気ジャンル、廊下側には移動の人波…自分たちの周囲だけくっきりと穴が空いている。これが格差ってヤツか(←違う)。
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 と思っていたら、終わってみると前回の倍近い冊数を売りさばいている(『新嘲文庫』の「イベント情報」を参照)。
 そういえば心なしか、いつもより人とたくさん話をしたような…でもなんで急に…??
 うれしさよりも、疑問がまず頭をもたげた。

 新刊で、固定のファンがついている絵師さんに挿絵をお願いしたからか。
 実は三年前の冬にも同レベルの繁盛を経験していて、この時も今回と同じ絵師さんに挿絵をお願いした(ただしサブの短編)。
 このコミケも会場全体で人が多く、その後の反響もそこそこ多かったけれど、一方で、あらかじめ目星をつけていた様にいきなり買って去っていく"手練れ"が大量出現したのだった。筆者の駄文が、そんな風に目星をつけられるはずがない。
「○○さん(絵師さんの名前)の本、これですか!」
と聞いてくる分かりやすい猛者まで登場…ちなみに売り物はすべて筆者の本なのだが(笑)。
 今回も、それらしき人がいたにはいたけれど、それで多くを説明するには程遠い数。もちろん初めて見る方々は多かったが、大半は立ち読みしたり趣向を尋ねたりした上で買う「普通の人」(?)だった。だから前と違い、人と多く話した楽しい記憶が残っている。

 では、本が薄く、常連さんが楽しみの一つにしてるだろう「鉄分」も薄いので、ふだん200~300円のところを100円で売ったことか。
 前に寄ったことがある人からすれば、値段半分。
 そして、このジャンルに並ぶ品々を見回してみると、300~500円という値段をつけたカラー表紙のオフセット本と、100円程度~タダという手製のコピー本にほぼ二分されている。その中で白黒コピーとはいえ業者製本をかけ、表紙・本文ともできるだけ本格的っぽくした物が100円というのは、初めての方々に値ごろに見えたかもしれない。薄さも「もし全部読んでハズレでもダメージが少ない」という方に作用しただろうか。
 デフレと賃下げが続く昨今だし、買う立場を想像して周囲を見渡すと挿絵説よりは説得力がある。
 ここで話を終えられれば、タイトル通りのオチでめでたしめでたし…。
 しかし、200~300円をつけたままの既刊も比較的よく売れた。「新刊が安いからついでも増えた」で済ませてもいいのだが、同じジャンルにいる何人かの知人も、倍ではなさそうだが手応えはよかったという。



 そうなると、決定的な原因は外に求めるしかない。
 こんなところか。
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①実は『東方』などが目当ての人だけでなく、ただコミケ自体を目指して来た人も相当数増えていた。
②比例して"創作文芸"に来る人も、実は増えていた(元の数が少ないから、定率で増えても増加数自体は小さい)。
③比例して筆者のところに寄る人も増え、人々の懐具合もあって筆者のつけた100円がより多くの人目を引いた。
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 たしかに、私が店を出した2日目だけなら「東方」で説明がつくのだけれど、知人友人の情報を総合する限り3日とも同様だったらしい。
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 結局、「どうして今回、コミケを目指して来る人間が増えたのか」ということを考えなきゃならなくなった。
 ここで筆者に、評論家じみた世相論や文化論を考えてみせる気力は残ってない。
 ただ、一つだけ思い出すことがある。
「前に繁盛した頃も、『物価下落』が言われてたような…」
 そこで、ちょっと消費者物価の推移を見てみる。
 上の2つのグラフがそれ(出典:「社会情勢データ図鑑」、なお「総務省統計局ホームページ」にて数値を検証)。
 左のグラフは対前年同月比の推移で、すべてを含んだ「総合」の折れ線に注目してほしい。水準や下げ幅が今回とは比較にならないものの、06年の冬コミも、しばらく物価が下がり続けた後に位置している。両者の間にあった物価高騰はまだ記憶に新しい。
 ただ、09年は夏コミの頃で底を打ち、反転しているように見える。けれども右の指数化した絶対値を見ると、冬コミ、つまり現在も緩やかに下落を続ける状態なのが分かる。それに実感としてどうだろう。政府が「デフレ宣言」をし、出血覚悟の値下げ合戦が私たちの間で共有されつつあるのは今現在のことだ。
 そして企業の収益が削られるから賃金が下がり、賃金が下がるから消費者が安値を求める…。

「デフレになるとコミケの来場者が増える!」
 一挙にそう言ってしまいたいところだが、資料が少なすぎるし理由も説明できない。手取りも下がって外出が近場に…という理屈が使えそうだけれど、懐が淋しいからって外出先をココにする人間がいるのか?って気がする。それに06年の物価下落は限定的なもの(三つの折れ線のずれから推測されたい)で、大きな賃下げは伴っていない。
 それを押して「デフレ=コミケ来客増」が合っているとすると、今、筆者が自分のブースの客を増やそうと思うことは、デフレのさらなる進行(→賃金や労働条件の低下)を願うことになってしまう。
 趣味の本のために日本中の働く人々を敵に回すのは、ちょっと無理。自分も賃下げじゃないか。
 そこで戻って「100円だから売れた」説を採ったら採ったで、何を書いていくらかかっても100円で売らなきゃいけなくなる。まあそれが今の世間なんだが。
 …というわけで結局、今回はまぐれだと結論づける。
 その前に、作品が良かった・悪かったとは全く考えない時点で、今年もこの筆者には期待しない方がよさそうです(笑)。



 あ、申し遅れました。新年明けまして、おめでとうございます。
 旅行記じゃない上に続き物を放置してますが、まあそのうちに。

岡山県東部…前編「なぜか駆け足な旅」

【切符・列車・駅弁や食事の情報はこちらをご覧下さい】


 仕事帰りの足でサンライズ(上記リンク参照)の「ノビノビ座席」に乗り、夏休み初日の朝六時半頃、岡山着。
 ここから、三泊四日の岡山滞在。
 あいにくの曇り空、しかも線路の砂利がしっとり濡れているが、構わない。
「こりゃひょっとして、もう一雨来てくれるかな?」
 そんな展開を、むしろ期待している。
 鞄をコインロッカーに預け、駅ビルでアイスコーヒー。さすが無理やりとはいえ指定都市の中心駅で、この時間に着いても過ごし方に困らない。メモの整理をしてから駅前広場を眺める。大都市圏の主要駅では考えられないほど広く取られた歩行者スペースの先に、あまり車が溜まっていない車溜まり。その向こうの市街地は背が低くて、これまた大都市圏じゃないのが一目で分かるけれども、駅前から出ていく大通りの両側にだけ、現代的な高いビルがにょきにょき集まっている。
 その高いビルの麓に、ぽつりと路面電車。岡電の駅前停留所だ(下写真の奥の方)。
「やっぱ、路面電車で通学だよな…」
 思うが早いか、もう停留所に向かって歩き出している…もちろん筆者が通学するんではない。
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 夏コミを翌月に控えて大方書き終えた短編『かえりみち』、そのヒロインの下校の足取りを、七月下旬の今頃になって追いかけに来た。追いかけてみて、もし深刻な矛盾があったら書き直しだ。段取りが悪いどころか順序が正反対なのだが、学期中に三泊四日の旅などできないので仕方がない。それにまあ、舞台にしようと思う以上は全く初めて踏む土地でもないから…。

 東山行きの路面電車に乗ると、中心部と言えそうな市街地は十分もせずに尽きる。尽きてからの沿線が、いい。
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 片側一車線の道に入って旭川を渡ると、空が広がり、県庁や岡山城を載せた丘陵が川に浮かぶようにして見える。そして渡った先では木造家屋や石造りの銀行が細い道を囲み、電車はそれらの軒先をかすめつつ蛇行していく。その軒先を抜けると、行く手を山の緑に阻まれるようにして終点…駅からわずか十五分前後の一角。観光名所は何もないが、レトロな町並み好きにはたまらないゾーンだ。古い家屋ばかりとはいかないが、狭い道を行く路面電車がいいアクセントになっている。
 そのあたりを中心に見て回り、雨に降られつつ下校を急ぐ主人公を景色の中に置いてみる。と、本当に雨。瓦葺きの軒や塀の向こうの緑が、濡れるにつれて色を濃くする。
「思った通り、雨もいいもんだね…こんな町に住みたいな」

 …などと感激したくせに昼前にはさっさと駅へ戻ってしまい、食事しながら写真とメモの整理をすると、そそくさと山陽線に乗って東へ。パイプじゃなしに金網でできた網棚、青い布地が張られたボックスシートに薄緑色の内壁…子どもの頃にわくわくしながら乗った「東海道線の車内」をそのまま残した電車が、まだ走っている。やがて景色は田園から山村になり、線路も登り勾配になっていくが構わず乗り続け、吉永(写真右)、そしてヒロインの行程にしたがって県境の手前・三石(写真左)で下車。
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 どちらもホームには木造の屋根柱が並び、そして無人駅になってもおかしくない乗降数ながら、業務上の都合で駅員がいる。掃き清められた構内。田舎のガランとした木造駅舎にして、窓口に明かりがある眺め…乗ってきた電車といい、気分は国鉄時代。その景色を楽しむだけで二十分はつぶれる。
(写真のように窓口を閉めている時間もあるが、それでも窓口の周囲や駅舎が原形のままよく整備され、職員の気配を感じさせる)

 ひっそりとした中、みずからも煉瓦造りの耐火煉瓦工場だけが動きを見せる山あいの町をちょこまかと探索してから、また東へ。傾きかけた陽を見ながら電車は船坂峠を越え、兵庫県の西端の町・上郡を目指す…。
 おい。

 岡山県から出ちゃったじゃないか。
 お前は岡山に三泊するんじゃなかったか?

 誰かが何か言っているが、構わず上郡で降り、智頭急行という私鉄のディーゼルカーで北上。この翌月に大水害に見舞われた佐用町に入り、長いトンネルでその町域から出ると、また岡山県に入る。「入る」というよりは、上郡から鳥取へ直線を引くと岡山県域北東の突き出た部分をかすめざるを得ない、と言った方が正しいのだが、ともあれ岡山県内だ。
 その山深い一角のさらに一番北のはずれ、次の駅はもう鳥取県下という場所に「あわくら温泉」という小さな駅がある…。

(つづく)

不思議なロープウェー

 同人誌イベント「そうさく畑」参加のため、神戸へ。本番は日曜だけれども、親戚づきあいを除けば一年ぶりの関西。空いているなら前日から出かけない手はない。
「さぁて、どこへ遊びに行ってやろうかな~!」
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 …が、勇んで降り立った昼過ぎの新神戸駅は、激しい雨が満開の桜を叩き落とす悪天候。濡れネズミで三宮の宿へ着くともう出かける気にはならず、しかも書きかけの作品と間違えて仕事の書類を開くや、いつの間にかそちらに集中してしまう………そして気づくと外は夜。東京にいるのと変わらず、休日ですらないじゃないか…。
 ただし、雨は上がっていた。宿の前の通りを渡ると、六甲の山上にある建物の灯が間近にくっきりと見える。
「やっぱり、神戸にいるんだ…」
 現金にも今度は浮かれて歩くうち、北に山手幹線、西に生田神社の森という一角に入り込み、柄にもなくバーのような場所へ寄って散財してしまった。バーテンを務めるお嬢さんに声を掛けられるまま、たわいのない話が進んでいく。
「温泉があるような深い山がすぐそばに見えるってのは、いいよねー…おかげで夏暑いけど」
 東京から来たいい年の迷子を珍しがってくれたお礼に、さっき見て思い出した神戸のよさを褒めると、まだ学生だというお嬢さんは、そらそうや!とばかりに快活そうな目を見開いて答える。
「うん、山近いで!東京はずーっと街ばっかやもんなぁー」
そこで少しだけ間を置いてから、思い切ったように笑って、もう一言。
「東京は一週間いたら、それでもうええって感じ!」
 よくぞ言ってくれた。東京には空が、もとい、山がない。神戸と言えばやっぱり、目の前に山がある景色だ。そしてこの近さなら、明日イベントが終わってからでも…。
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 果たして翌日の十五時半にイベントが終わるや、快晴の空の下へ筆者は飛び出した。同じく三宮で十八時から打ち上げだが、余裕である。目指すは地下鉄で北へ一駅、山裾のどん詰まりの新神戸駅から山上へと延びる、その名も「新神戸ロープウェイ」。駅前から観光ロープウェイが出ているとは、実に効率がいい。

 しかし、駅前ではなかった。
 車寄せで見つけた案内板にならい、人通りの少ないデッキを南へ。山頂は北側だから方角的におかしいのだが、デッキの向こうはランドマークと言えそうな新しめの巨大建築で、なんとなく信用して進む。しかし、どう見ても裏口みたいな位置からその建物に入ると、中は駅ビルの食堂街をうんと狭くしたような一角で、おまけに静まり返っている。
「…数日遅れのエイプリールフールか?」
と思いきや、そこでまた案内板を発見。従うままに歩くとやがて吹き抜けのショッピングモールが現れ、アイスクリームをなめる普段着の家族連れを横目に階段を下りるうち、とうとうビルを通り抜けてしまった。さらにビルを回り込むようにして歩くと、ようやく「ロープウェイ入口」。なるほど、北向きに伸びた遊歩道を帰り客らしい人々が下ってくる。けれども道の先にロープウェイ乗り場など見えない。登ってカーブを曲がり、さらに斜面を上がっていくと、ようやくゴンドラを吐き出す駅舎が見えた。
 つごう十分あまり。時間を食い、発車時刻が合うかどうか心配になっていたが、幸いスキー場にあるような四人乗りのゴンドラが連なったタイプで、かつ夕方のせいか空いていた。
「文句言ったら、『新神戸』じゃなくて『新・神戸』なんです、とか言うんだろうか?」
 …急ぎじゃなければ十分歩くぐらい構わないのだが、道順が観光施設のそれじゃない。客が集まるのか?
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 でも見晴らしは乗ったそばから素晴らしく、恐ろしいほどだった。
 …いや、高所恐怖症の筆者は本当に恐ろしかった。上で書いたビルは約四十階建てなのだが、そのてっぺん【写真左】が一分ほどで目の高さに来て、しかもビル付近の地上が同時に目に入る。うわ恐っ!と思って身を沈めると、小さなゴンドラがグラリと揺れて余計に恐い。
「ひぃー……。ロープウェイって、こんなに恐かったっけか?」
 視界の真正面が一面の平地。しかも市街地だから、高さを感じさせる物体が嫌というほど見える。ロープウェイのキャッチコピーで「空中散歩」というのをよく聞くが、たいていは視界の正面には隣の山があって、下を見下ろさないと宙に浮いた気にはなれない。でも、ここは正面を向いたままで空中散歩ができる。
 …とはいえ三分ほどすると傾斜がやや緩み、山も深くなってきて眺めが落ち着く【写真右】。山の緑と百万都市が、両方同時に見える。これもロープウェイの眺めとしては珍しい。
 見とれて、あれやこれやと写真を撮っているうち、途中駅「風の丘」(右写真下部)。途中駅というのも珍しかったが、周囲には何もない。ただ下り乗り場には人の姿があって、係員の手で開けられたドアから乗り込むグループを見た。どこへ何しに行ってきたんだ…?
 ともあれ全部で十分ほどで、山上の終点「布引ハーブ園」駅へ。
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「うわ、もう五時近くか…」
 でも心配は無用だ。山上には見晴らしのための小さな広場と軽食堂、それにハーブのグッズを並べた店があるだけで、その外側にある森林へは行こうとしても行けない。下に向かってだけ道があり、ハーブ園とやらに続いているようだが、とにかく周囲の人影は多くなかった…静かなのは好きだし、見る場所の少なさは時間がない筆者には好都合だけれども、往復1,200円のロープウェイに客が集まっているのか心配になる。
 眺めて写真を撮って、一服してから下りに乗車。
「せめてハーブ園の外観だけでも見てやろう」
 下を眺め、山頂からの小径を目でたどる。ほどなくハーブ園の建物は見えたが、屋外に草花が見えるわけじゃなく、そして小径はハーブ園を過ぎてもなお続き、ロープウェイの右になったり左になったりしながら一緒に山を降りていく…その、日が傾いて緑が濃くなった道を、家族連れやアベックが三々五々歩いている。見ているうちに先ほどの途中駅。前のゴンドラのドアを係員が開け、道を降りてきた人々が乗ってきた…。
「ああ…このロープウェイって、市民の散歩道だったんだ」
 なるほど、それなら上にたいしたものがなくても構わない(ハーブ園に失礼だな…)。そしてショッピングモールの脇から出ているのも、むしろ目的に沿っている。遠方からの客も絶無じゃないだろうけど、人々はいずれも普段着の軽装で、市内か、遠くても明石や大阪からといったところ。どちらにせよ、ロープウェイで登る深い山が気軽な散歩道だなんて、東京の人間にはうらやましい限りだ…。
「やっぱり山がすぐそばにあるって、いい街だなあ…」
 水平線とその下に見える臨海部、そして、山の続きで傾斜しているのが分かる幅の狭い街を見下ろしながら、筆者は神戸を見直していた。

 ちなみに、春・秋の土曜休日と夏休み中の全部は、夜九時前まで山頂に滞在できるようロープウェイが動いている。夜景もきれいだろう。
 もう一つ。下の駅へ戻った後、遊歩道にあるカーブを曲がらず直進して先出のビルに沿うようにして歩くと、ビルと新神戸駅とを結ぶデッキにあっさりたどり着いた。いったい何だったんだ…。

田舎教師の眺め

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 昨春から勤めている高校は、山が近い。
 …といっても実は東京都区内で、だから「近く見える」だけなのだが、都心を挟まずに丹沢方面が望める職場は初めてなので、この冬の頭に、渡り廊下で思わず立ち止まってしまった。
 屋上へ駆け上がる。北風が吹きつけるが気にしない。
 街並みの向こうに大きく山がある。それだけを注視していると、東京やその隣接部なんかじゃなく、どこかの地方都市にいる様な心持ちになってくる。富士山がデンと構えているから、「どこかの」と言っても場所は限られるけれど、これがもし連峰をなす白い山々だったら、北陸や近畿北部などの小都市に擬することもできそうだ。わくわくしつつ、ゆったりとした気分を味わう。

 授業で二、三年生を相手に山が見えることを話すと、彼ら彼女らは昨冬以前から見てきているにもかかわらず、
「ね!きれいでしょ!」
と誇らしげに目を輝かせてきた。生徒の多くはごく近場から通っているのだが、校舎の様な高さに住んでいないか、いても他の建物に邪魔されるかで、家から山は見えないらしい。同じくこの地域に住む筆者の自宅もそうだ。
 しかし、「どっかの田舎にいるみたいだねー」という筆者の賞賛にはピンと来ない様子で、不満そうな子もいる。
 聞くと予想通り、地方の町からの眺めという概念がないらしい。高度成長期に東北や北陸から大挙上京してきた世代が、徐々に生徒たちの祖父母になりつつある。つまり親の実家も東京だという子が増えている。修学旅行も中学校は京都奈良、そして高校は沖縄か、この学校もそうだが九州あたりの離島が定番。だから、本州の寒地にある田舎町の景色など知るよしもなく、ぼんやりとしたマイナスイメージだけがある。現に筆者の「田舎みたい」が褒め言葉だと分かってもらうのに、少し時間がかかった。
 …親の田舎がないのは仕方ないにしても、修学旅行は少し考えたい。
 できるだけ遠くに、できるだけ違いが分かる場所に連れて行こうというのは分かる。そして行けばもちろん楽しい。ただ、飛行機でまっすぐ目的地付近に着ける場所は、はたして遠いのだろうか。「東京とは違う場所」として喧伝されている土地は、将来誘われて行く可能性が高くはないだろうか。
 たとえば山を越えて日本海岸へ出るだけでも、そこには違う土地がある。瑠璃色の海と壮大な山並みの組み合わせ、広がる一面の田畑、コンパクトな古きよき町、冬に降る雪、安くておいしい魚、おだやかな人気(じんき)や時間の流れ…。そして、こういう「日本のありきたりな田舎」から発した血が、今の東京を形作る人々の大半に流れている。少なくとも筆者はそこに"心の故郷"を感じる。そこがユートピアじゃないのは分かっているけれど、その良さを知ることなく、東京が一番だと思い、京都奈良や南の島だけを旅先だと思い続けていく人生は実にもったいない。

 授業が終わると昼休み。渡り廊下を通ると、いくらか薄れてきたものの相変わらず山が見える。街並みと山々に目を合わせれば、やはり地方都市にいるかの様だ。
 この眺めに目を輝かせ、そして私がした田舎の話にも無邪気に耳を傾けてくれた生徒たちと、筆者は同じ地域に住んでいる。休みの日に駅前などでバッタリ出会うこともままあって、そこがまた田舎っぽい。
 もう少し暖かくなると山は見えなくなるが、例によってどこかの地方を舞台に、小さな話を書きたくなった。

伊予灘と内子、大洲(下)

★長浜回り―――来夏に向けてということで(汗

【切符と往復の旅程については末尾に記載】

 去年も同じ様なことをしたが、夏の続きをサボるうちに冬になってしまった。誰も読んでないだろうけれど、申し訳ないことをした。
 東京の空は、ツンと澄んでいる。もちろん現地も、今時分はずいぶん違った景色のはずだ。

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 ホームの向こうは、一面の海………駅名標にある通り、ここは「下灘」という駅。前回の巻頭の写真も、ここで撮った。

 高松から愛媛県・宇和島へと向かう予讃線は、松山の先、伊予市で二手に分かれて、それぞれに伊予大洲(前回参照)を目指す。ひとつは内陸に入り、山をトンネルで抜けていく「内子回り」、もう一方は伊予灘~肱川と水辺の低いところを這っていく「長浜回り」だ。
 長浜回りが元々の予讃線だが、国鉄時代の最末期にショートカットの内子回りができて、特急や急行(当時はあった)が全部そちら経由になってしまった。よそ者が時刻表を読む限り内子回りが圧倒的に本線に見えるけれど、にもかかわらず、普通列車の数は今もほぼ五分五分。腐ってもなんとやら、長浜という港町もあることだし、やはり元からのルートの方が開けているのだと踏んで、「本線」から引込線の様に枝分かれする長浜回りに乗った。

 列車は、二時間に一本ほどある。
 午後三時。休み中だからもう下校時間帯のはずだが、座席を半分ほど埋めた乗客に制服姿は少ない。
 山を分け入って最初の一駅を出ると、あとは一段低いところに伊予灘を見たままトコトコ西へ進む。一度海が隠れて上灘、ふたたび現れて一番間近になったところが、下灘だ。
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 筆者の他には誰も降りない。行き違いの線路を埋めた跡。山側にオーソドックスな「田舎の駅舎」。駅前の小径もひっそりとしていて、雑木林と古びた家屋が、緩い坂道とともに日を浴びている。線路をくぐって海際の国道へ出たものの、垂直に護岸がされていて降りるべき磯や砂浜はなかった。
 結局、ホームのすぐ先に大海原がある様を眺めるしかない場所だったが、これほど海岸に寄った駅というのは案外少なく、その眺めだけで十分だった。筆者の体感ではあっという間に一時間が過ぎ、誰もいない駅に上り列車の時刻が近づいた。
「真っ青な水面をバックに、のどかな乗降風景を…」
 ということで三脚を立てる。立てたらレールが車輪の音を伝え始めた。列車が着いて人影が見えたらシャッターを切るだけだと決め、指をシャッターボタンに添えて立ったまま待つ。西日が差す中、一両きりの列車がアイドリングを響かせつつ止まりかけたところで、中学生が二人駆け込んできた。ぎこちなく手をつなぐ男女の体操服姿。子どもっぽい不器用さが、いかにもひなびた土地らしい…。
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 …と思ったら、海辺の村だろうが何だろうが、やはり今の中学生は今の中学生だった。
 決め込んだ通りにシャッターボタンを押した瞬間の出来事で、どうしようもなかった。
 ただ、このすがすがしい眺めの中で見ると、それすら爽やかであどけなく思えた。小走りに乗り込む女の子、見送る男の子。彼はドアが閉まってもなおせつなげに立ち続け、列車が動き出しても顔が窓の内側を追っている…。

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 その次の下りで、串、喜多灘と西へ進む。まっすぐな海岸線が続き、時々、寄り添って風に耐えるかの様な集落。ただ、気候に厳しさは少ないらしく、家々は古きよき木造瓦葺きが多く残る。
 人口は希薄だけれど、さびれて家が減ったというのではなく、元々あまり大きくない農漁村だった様だ。すぐ後ろまで山が迫っているし、さりとて漁港に向いた入り江がある訳でもない。山でミカンが獲れるものの、各駅をざっと眺める限り、かつて繁盛していたと言える様な貨物扱いの痕跡は見えなかった。
 海辺と山中の違いがあるだけで、昔とて、こちらを通ろうが内子回りにしようが、沿線人口はあまり違わなかったかもしれない。次の伊予長浜は古い港町だが、内子も予讃線が通った頃には林産物の集積地として大変栄えていたし、今の内子回りに沿って街道もあった。できるだけトンネルや高低差の少ないルートで、という教科書通りの理由だけが長浜回りを作ったのだと、あらためて知る。

 まばらに工場や倉庫を載せた埋立地が見え、やや内陸に寄って海に別れを告げると、その伊予長浜。
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 途中の駅よりは大きいが、それでも写真の通り、かつて特急や急行がすべて停まった駅にしては小さく、寂しい。もう列車が来ることのない錆びた待避線を、家路を急ぐ中学生が越えていく…。
 日をあらためて訪ねたところ、この町だけは「さびれて静かになった場所」だった。
 ただ、駅はもとから町はずれにあって、駅前に何もないのは昔かららしい。
 港町ということで地図の「フェリー乗り場」を目指すと、コンクリートの建物は閑散としていて、乗船券売場だったらしい窓口が板で塞がれている。隅に食堂があったので入って聞くと、かつては対岸の本州や関西とを結ぶ便が毎日来ていたものの、今は近くの島へ行く船が二便あるだけだという。そもそも港が狭く、貨物船の姿も少ない。食堂では、おすすめだということでチャンポンを食べた。この町とは何の関係もないけれど、春に修学旅行先の長崎で食べたものよりもうまかった。
 いきなり寂しいものを見たが、最初に港へ行き、食事をしたのは正解だった。町の目抜き通りは櫛の歯が欠けたごとくに店が閉まり、ちょっと昼食をという様な店は見あたらなかったからだ。
「これが話に聞く『シャッター通り』か…」
 ただ、目抜き通り以外を含め、建物の中には古い家屋敷が少なからずあって、町に歴史があることを静かに物語っている。その中の一つに「紙製品」と書かれた店を見つけた。そう書かれてはいるが実態はほぼ煙草屋で、買い物をして、写真を撮らせてもらった後に一服。
「…それでも最近まではな、夏は、近くの浜へ海水浴に来る人が結構あったんですけどなあ…」
 煙草屋としては無駄に広い店の中で、店主がのんびりと語る…。
 収穫はフェリー乗り場のチャンポンと、あとは、さびれた町というのを久しぶりに見た。田舎を目指すあまり林業や漁業で栄えた跡にばかり目が行き、商工業や港湾でにぎわったなれの果てというのを丁寧に見てこなかったと思った。



 東京との往復と現地の移動には、周遊きっぷの「四万十・宇和海」ゾーンを使った。松山・高知以西のJR全線が特急自由席まで乗り放題だが、現地で二泊もできれば、今回の様に伊予市~伊予大洲をウロウロするだけで元が取れる。
 往復運賃は2割引。割引はないが、自分で航空券を買って片道のみ飛行機にもできる。今回は復路を飛行機にした。
 往路が2割引で9,520円、プラス特急料金10,500円(「サンライズ瀬戸」ソロ+「しおかぜ」自由席)。乗り放題で4,260円。復路は飛行機で25,400円(特便割引1)………しめて49,680円。

 宿は、内子に取った。当然、タイトルにもある通り「内子回り」の内子も見て回ったのだが、今回は割愛する。
 たいしたことがなかったのではなく、むしろ逆で、筆者にもこの欄の読み手各位にも、心地のよい眺めがたくさんあった。それゆえまた、いま少しゆっくり訪ねようと思っているからだ。

 …ホンマやぞ。手抜きちゃうぞ(苦笑)。

伊予灘と内子、大洲(上)

 夏休みの最後の週に、ようやく三日ばかり休みが取れた。
 あれこれ迷った挙げ句、古い町並みや海沿いの線路を求めて、愛媛県の中予地方西部(内子、大洲、伊予灘沿岸)を列車で旅した。

 なお切符や往復の旅程については(下)の末尾で示す。

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★伊予大洲―――昔を残すということ
(右下写真は伊予大洲城趾。孤立した山城みたいだが左手に大洲市街がある)

 いきなり、東京へ帰るべく大洲の街を後にする場面から書く。
 駅へ向かうタクシーで立ち寄り先を聞かれ、海沿い、内子と回ってここへ来たと伝えると、
「内子はよかったでしょう」
初老の運転手氏は開口一番、よその町をほめた。ただし口ぶりに嫌味はない。
「ええ。でも古い建物のある町が目当てなんで、ここもよかったです」
「ああ………じゃあ、赤煉瓦館は行かれましたか?」
 筆者はその前を通りはしたが、下調べの段階で黙殺を決めていた。銀行として使われていた明治築の洋館なのだが、横浜や函館の煉瓦倉庫同様に原形をとどめていない。外壁には塗装が施され、中は特産品の販売コーナーや飲食店。本来その敷地ではなかっただろう場所に、広場や、カフェテリアのある庭園をしつらえて隣接させている。
「自慢の『新名所』なんだろうけど、そういうものを喜ぶ趣味はないんだよな…」
 運転手氏の問いかけに失望しながら、筆者は「はい」と返事した。
 が、運転手氏の真意は筆者の予想と違っていた。
「前はあのあたりに、油屋いう、大きな古い家がありましてなあ…」
「昔の商家か、なんかですか」
「ええ。そりゃもう、あのあたりじゃ一番大きな、昔っからの立派な建物でしたがなあ」
「やっぱり、維持しきれなくて売りに出して…ですか」
「いや、市が管理することになったんですけどな、管理するどころか壊してしまって、あんな風に…みんな呆れてますわ」
「……………」
 つまり、赤煉瓦館の広場や中庭がその跡地だった。木造家屋が建て込む中、そこだけが妙に開けていて不自然だったのだが、不自然なのは無理もない。運転手氏の回想を聞くほどに、町並みに混じってその旧家が建っている風景、それが原形のままの煉瓦建築と並んでいる風景が見たくなった。「角を矯めて牛を殺す」という言葉を思い出す。いや、煉瓦館の姿を思い出すと、角すら矯めていない。
 市にも、言い分はあるだろう。人の使わなくなった建物を何でもかんでも取っておけというのか、こちらも食べていかなければならないんだ、と。
 でも、平日とはいえ旅行シーズンなのに、巨費をかけて改装しただろうその新名所は静かだった。少し東側にある、土壁や連子窓の建物がそのまま使われている町並みの方がそこよりも旅行客を集めていた。
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 右手にそれらの町並みがある地区、左手に大洲城趾を囲む中心街を見ながら、タクシーは橋に差しかかる。渡っていく肱川の水面に、白い天守閣を載せた城山がゆらゆら映っている。
「天守閣を復元する時も、みんな反対しましてなあ…」
 わりに最近、作られたのだという。城山には登ったが、予讃線の鉄橋を撮るためだったので天守閣はよく見なかった。
「…雨降ると川があふれるとこがあるのに、それ直さんで天守閣建てて」
「あった方が人寄せになる、ってとこですかねえ…」
 みんな反対、というのはいくらか割り引くとして、油屋の話のおかげで筆者は運転手氏のセンスを信用している。四国の城趾の中では有名な方だから、見に来る人々を意識して復元を急いだのだろうか。
「それがね、城跡を見て回っとる人に言わせると、残ってるままで別にいいそうで…それだったら何かの土台が残っとったんですけどねえ…」
 似た様なことを、前にもやっているのだった。

 …とはいえ、上の二点を除けば大洲の町並みはすばらしい。市街の東端にある、明治大正頃の商家の建物が並ぶ通りもそうだが、そこに向かって東西に走る街路も、窓枠や扉まで木造のままの商店や古い洋風建築の医院が町をなしている。
 建物があるだけでなく、どちらも大部分が店舗や住居として現役で、土地の人々が通ったり立ち寄ったりする生きた町並みだ。だから残っているのだろうし、もし無人の場所に古い建物が保存されているだけなら映画のセットと同じで、それだけのために遠くから人が大勢来たりはしないだろう。
 逆に言えば、ひとたび使われなくなった建物を残すことや、一度壊した建物を意味ある形で復元することは難しい、ということらしい。
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「それじゃ、お気をつけて」
 タクシーが駅に着いた。運転手氏の声に見送られて駅舎に入る。
 一つ忘れていた。この駅のホームも、「一昔前の田舎の駅」を残している。

(つづく)

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