3日の「そうさく畑」にいらっしゃった皆様、ありがとうございました!
報告は次回のイベント=5/5(木・祝)の「Little"T"Star!」と一緒にしますが、一言で言うと、あわただしいながら楽しい一日を過ごさせていただきました。会場付近に穴場な宿も見つけましたし…。
さて東京に帰ってきたところで、以下、イベントと無関係な東京の話題を思ったままに。
(すぐ下の画像はもちろん東京のじゃなく、あくまでもイメージです…笑)
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先月の東京都内。仕事帰りにバスを降りて夜の街を歩き出すと、なんだか、以前よりもくたびれない。
「…なんだろ?」
通り道にあるコンビニエンスストアに入ろうとしたところで、気がついた。コンビニだけでなく、ファストフード、居酒屋、電器屋…そこかしこの看板が消えていて、むやみに表が明るくないのだ。
いつか見た、北欧の古い街並みのような気分。
中に入ってみても、蛍光灯を間引いてあったり飲み物のケースが暗かったりして、とにかく店内がまぶしくない。
「ああ、落ち着く…」
慣れてから言っているんじゃなく、これは体験した初日の感想だ。
津波が押し寄せた土地からすれば天国のような環境に自分はいるけれど、それでも、あれから勤め先の高校でも落ち着かない日が続き、心が痛むようなことも起きた。普段の通勤経路上に繁華な場所はないのだが、駅ビルに用があって、終点でバスを降りた次の瞬間、明かりの少ない眺めに癒される思いがした。
それは今日まで変わらないし、まぶしいのが苦手な私一人の思いでもないと信じている。
店を目立たせる。中を明るくしたりショーケースを照らしたりして店内や商品の見栄えよくする。
小学校でも教えていそうな客商売の工夫だが、じゃあ今、看板の明かりが消えた店に人が入らず、物も売れないかというと、そうじゃないのはここで例を書くまでもない。愚かな買いだめ騒動が落ち着いたとしても、それは変わらないだろう。
よそが明るい看板・明るい店内である以上、ウチだけやらないわけにいかない。
もはや工夫でも何でもなく、つまり、そういうことだったのだ。
今も横並びでその逆をしている、と皮肉ることもできるけれど、あえてそれはしない。
それよりも、無駄な横並びはまだある。
間引き運転をしている首都圏の鉄道では、朝晩の混雑が以前より激しさを増している。でも事務系の業種で言えば、全員揃って、あるいは各社揃って八時半や九時に始業する必要がどれほどあるのか。小売やサービス業で言えば、いわゆる正社員が全員揃って、開店前から詰めきりになる以外に店の回しようがないのか。私は高校ですら工夫次第だと思うのだけれど。
かたや日中は見事に不要不急の外出が控えられ、路線や区間によっては上りの終電間際みたいな空き具合も見ることができる。つまり、一日を通せば相当な輸送量を持つ交通機関なのに、社会がわざわざ限られた時間帯に人を集中させることで、極端なピークを作っている。
さらに労働時間が特定の場所に集中する限り、家庭や業務向けの電気使用量だって集中する。
かくして、多くの人々にとって大事な時ほど停電の可能性が高まる。
そして、これも説明不要だけれど、こうした横並びによる集中は、リスクを他の土地に押しつけて成り立っていた。
店が煌々と灯す明かりも、ジャケットが暑くなるような暖房も、数百万人が特定の時間帯に移動してもビクともしない交通機関も…かねて分かってはいたが、こうなるまで、省みることは私もロクにしなかった。
深刻な被害を受けた人々が癒され、その住む土地が復興することを切に祈る。
そして首都圏も、停電におびえるような状況からは復してほしいが、でも元に戻ってほしくはない。
元の、不要な明かりが煌々と灯る街や店に、何かメリットがあっただろうか。元の、今よりいくぶん楽な通勤ラッシュが、幸せだったろうか…。
街灯と建物の薄明かりだけの、落ち着いた宵の街並み。
日中や夜遅くの、以前よりも空いて落ち着いた電車の中。
これは、このままでよくはないか、と私は思う。
私の素直な気分なのと同時に、これが他の土地を犠牲にしないで可能な、首都圏の「実力」なのだ。