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田舎教師の眺め

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 昨春から勤めている高校は、山が近い。
 …といっても実は東京都区内で、だから「近く見える」だけなのだが、都心を挟まずに丹沢方面が望める職場は初めてなので、この冬の頭に、渡り廊下で思わず立ち止まってしまった。
 屋上へ駆け上がる。北風が吹きつけるが気にしない。
 街並みの向こうに大きく山がある。それだけを注視していると、東京やその隣接部なんかじゃなく、どこかの地方都市にいる様な心持ちになってくる。富士山がデンと構えているから、「どこかの」と言っても場所は限られるけれど、これがもし連峰をなす白い山々だったら、北陸や近畿北部などの小都市に擬することもできそうだ。わくわくしつつ、ゆったりとした気分を味わう。

 授業で二、三年生を相手に山が見えることを話すと、彼ら彼女らは昨冬以前から見てきているにもかかわらず、
「ね!きれいでしょ!」
と誇らしげに目を輝かせてきた。生徒の多くはごく近場から通っているのだが、校舎の様な高さに住んでいないか、いても他の建物に邪魔されるかで、家から山は見えないらしい。同じくこの地域に住む筆者の自宅もそうだ。
 しかし、「どっかの田舎にいるみたいだねー」という筆者の賞賛にはピンと来ない様子で、不満そうな子もいる。
 聞くと予想通り、地方の町からの眺めという概念がないらしい。高度成長期に東北や北陸から大挙上京してきた世代が、徐々に生徒たちの祖父母になりつつある。つまり親の実家も東京だという子が増えている。修学旅行も中学校は京都奈良、そして高校は沖縄か、この学校もそうだが九州あたりの離島が定番。だから、本州の寒地にある田舎町の景色など知るよしもなく、ぼんやりとしたマイナスイメージだけがある。現に筆者の「田舎みたい」が褒め言葉だと分かってもらうのに、少し時間がかかった。
 …親の田舎がないのは仕方ないにしても、修学旅行は少し考えたい。
 できるだけ遠くに、できるだけ違いが分かる場所に連れて行こうというのは分かる。そして行けばもちろん楽しい。ただ、飛行機でまっすぐ目的地付近に着ける場所は、はたして遠いのだろうか。「東京とは違う場所」として喧伝されている土地は、将来誘われて行く可能性が高くはないだろうか。
 たとえば山を越えて日本海岸へ出るだけでも、そこには違う土地がある。瑠璃色の海と壮大な山並みの組み合わせ、広がる一面の田畑、コンパクトな古きよき町、冬に降る雪、安くておいしい魚、おだやかな人気(じんき)や時間の流れ…。そして、こういう「日本のありきたりな田舎」から発した血が、今の東京を形作る人々の大半に流れている。少なくとも筆者はそこに"心の故郷"を感じる。そこがユートピアじゃないのは分かっているけれど、その良さを知ることなく、東京が一番だと思い、京都奈良や南の島だけを旅先だと思い続けていく人生は実にもったいない。

 授業が終わると昼休み。渡り廊下を通ると、いくらか薄れてきたものの相変わらず山が見える。街並みと山々に目を合わせれば、やはり地方都市にいるかの様だ。
 この眺めに目を輝かせ、そして私がした田舎の話にも無邪気に耳を傾けてくれた生徒たちと、筆者は同じ地域に住んでいる。休みの日に駅前などでバッタリ出会うこともままあって、そこがまた田舎っぽい。
 もう少し暖かくなると山は見えなくなるが、例によってどこかの地方を舞台に、小さな話を書きたくなった。

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