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『秒速…』アニメ作家S氏来る

 ひょんなことから、その世界では紹介文無用のアニメ作家・S氏が勤め先の学校へ講演にいらした。看板は「進路講演会」。

「期末テスト後の空白を、なんとか有意義そうな中身で埋めねば!」
 そう思案した上司が、『同郷同窓の後輩で、とにかく有名人だそうだから』という理由だけでコンタクトを取ったら叶ってしまったのだ。知らないというのは恐ろしく、そしてスバラシイ。
 ただし我が勤め先は、廃校を控えて生徒二十数名となった下町の夜間高校で、二十数名の中にその種のヲタクは一人もいない。
 が、そんなことは意に介さない上司は、
「『一方的に話すのは苦手だから対談の様な形式にしてほしい』、という希望が先方から出ている」
と語ってから、筆者に向けて言い放った。

「お前ヲタクだから前へ出て対談してくれ」

 小便をちびりそうなほど喜ばしい思いをこらえ、筆者は固辞した。
 自分自身はファンで聞きたいことは山ほどあるけれど、仕事としてやる以上、アニメやゲームと全く無縁な生徒たちとS氏とをつながなければならない。そして、その展望は全くなかった。なにしろ事前学習として氏の名作を二日にわたって上映した際にも、来た生徒ほぼ全員が死んだ魚の様な眼をしており、日頃気安く話をしている私のフォローも全く通じないのだ…ただ、そのことで彼らを非難する気はない。アニメにしろ鉄道にしろ、よほどメジャーな物を除けばマニアと一般人との壁は厚く、そしてS氏の作品群はどちらかというとマニアの側に属している【※】。それを上司は知らず、筆者は知っているというだけの話だ。
 とはいえ知っているために、結局『どうにかしなければ』と引き受けてしまった筆者も筆者だが…。



 だがそれ以上に、当のS氏がそのことをよく知っていた。

「僕が作っているアニメという物は、別に見なくても生きていける物です。だから、楽な気持ちで聞いてて下さいね」

 眠たげな空気に満ちた生徒席に向かって開口一番、S氏は淡々としかし暖かく、そう語りかけた。氏の日頃の講演先といえば、おそらく氏を神とあがめるファンかそれに近い理解者だと思うのだが、そういう状況への慣れから来る慢心などカケラも見えない。
「口下手なので、それ以外の方法で自分が思ったことを表現してきました」
 たいていはそう言いつつ饒舌なものだけれど、S氏は本当に話すのが不得手そうで、何か語るたびに少し考え込む。氏の近作で主役を務める不器用な青年が、そのままそこにいた。ある作品の付録に氏のインタビューが収まっているが、この際も苦心された様だ…ともあれ、これは口下手な生徒には福音だったと思う。
「『25歳までに自分の作品を世に出す』って決めて頑張りました…結局27歳までかかっちゃいましたが(笑)」
「まず、とにかく一つ作品を完結させてみることが大事」
「会社は、タダで社会人に必要なルールや振る舞い方を教えてくれるんですね。だから(ひとまず就職したのは)よかったです」
 対談していく中で、あらゆる「夢の実現」に通じる言葉も頂戴した。が、いかんせん引き出し役が筆者で、おまけにもう一人、同じ校舎にある別の学校から同好の女子生徒が座っていた。その彼女の口が重かったので、『マニアックな話題でもいいよ』と振ったら本当にマニアックな話題になってしまい、机に伏せる生徒はまだしも、教師の目を盗んで席を立つ生徒まで現れる事態に…しまったと思いつつ、話をマニアックにした生徒も席を立つ生徒も、どちらも非難する気にはなれないのだった。
 しかし、それ以上にS氏は何の不満も見せず、出される質問に真剣に向き合い、数人しか聴く者がない生徒の席へ優しげな目を向けつつ答えていく。予定の時間はそれこそ秒速五十メートルぐらいでアッという間に過ぎたが、最後のご挨拶も楽しげに息を弾ませて、
「ありがとうございました。今日は本当に面白かったです!」
 …誰にとってもそこそこ面白い物なんてないのだから、数人とはいえ聴く者がいた以上、まして教師を介して質問を出した生徒や控室へ押しかけた生徒までいた以上は、決して無意味じゃなかったと思う。
 でも、それはそれとして、氏には教育委員会規定の格安な講演料じゃとうてい購えない様な心細い思いをさせたはずで、なんとも申し訳ない限り…。

「いやホントに面白かったですよ。学校の先生みたいな体験ができるなんて…」
 けれども、互いに仕事が終わって席を移した先で、なお感慨深そうにS氏はそう繰り返す。もちろん、割り引いて受け取らなければいけない台詞だとは今でも思っているが、しかし少なくとも、学校という場所を苦々しく思うどころか、かえって関心を増されたのは確かな様子だった。



 さて、S氏作品のファンで、なおかつ鉄ならば、必ず尋ねたいことがあると思う。
 言うまでもない。近作に出てくる近郊型電車(それも作中の年代相応の形式)を筆頭に、鉄道アイテムがリアルで、かつ鉄道自体も作品に頻出する件。外観が通勤電車で中がボックスシートなどという漫画やアニメが多い中、いいのかと思うぐらいの厚遇である。
「あの、作品を見ていると…何と言うか、輸送機器にずいぶん関心をお持ちな様に思えるんですが…」
 杯が進んできたところで、ロケットの搬入車やカブの描写なども引き合いに出しつつ、控え目にそのことを聞いてみた。

「僕が描く話は…人を選ぶっていうか、好き嫌いがすごく分かれる話なんで、それ以外の部分は文句が出ないように、と思って…」

そして鉄道がよく出てくるのは、故郷でも現住地でも身近な場所にあるので「よくあるもの」として目に留まる、というだけだった。
 …ほのかな期待は外れたけれども、期待外れどころの騒ぎじゃない。
 それだけのために、あんなに完璧に描き、そして描けるだけの材料集めをするなんて…。
「そんなに細かくは取材してないですよ。そうですね…」
むろん謙遜だと思うけれど、もし言葉通りだったとしたら、それはそれで天才だ。
 なお、旅行好きという訳でもないとのこと。
「何人かで取材に行くんですけど、自分が退屈してたら他の人に頑張ってもらえなくなりますから、まず自分が一生懸命見て回って…そのうちに、その土地にあるいろんな物が好きになりますよね」
「……………」
 文句が出ないように…って、あなたの作品に文句が出ますか?
「いろいろ来ますよ。村上春樹のパクリだろうとか(笑)。だいたい親がいまだにいい顔しないですし…『みんなのうた』で少し良くなったかな…やっぱり田舎はNHKですね」
横に座られている、これも親がいい顔をしないというプロデュース会社の担当者氏が付け加える。
「その点Sはタフだよね。叩きが一通来たらしばらく落ち込む、っていう作家さんもいるのに」
 文句といえば、鉄から唯一出ている『新宿駅が新しすぎる』というケチ(というより好意的なネタ)については、
「あそこは、今の新宿駅を描かないと新宿駅だって分からないでしょう?」
…何もかも、考え抜かれていたのである。



「失礼します!今日はホントに楽しかったです!」
 気恥ずかしさに酔いが混じって、ずいぶんと趣味丸出しな応対をしてしまったと思う。かたや氏に湧いた学校という世界への興味には十分応えられなかったはずで、とんだ失礼の上塗りだった。
 にもかかわらず、別れの挨拶から伝わってくる爽やかな心は、どういう訳だろう…。

 とりあえず、プロの作家というのは以下の様なものであるらしい。
*謙虚であること。
*マイナスの出来事や反応に、いちいちめげないこと。
*出くわすことすべてに関心を持ち、簡単に失わないこと。
 …筆者と正反対である。夢を持つ若い皆様はぜひ参考にされたい。



【※…あくまでも現状の話で、氏の作風は十分に一般社会を惹きつけられると筆者は確信する次第】

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