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「そうさく畑」詳細+とある一周旅行後編

【「そうさく畑66」参加情報確定版】
 
日時=4月1日(日)11:30~15:30
場所=神戸サンボーホール
 (JR「三ノ宮」および阪神・阪急・地下鉄「三宮」より徒歩約12分
  ポートライナー「貿易センター」より至近)
ブース=6丁目12番地

 そうさく畑での新刊は以下の3点です。
★ペーパー兼用の無料配布作品:『園芸戦記』
★山陰発のコメディ:『つばめと彼と隼』
★京都発の少しレトロな本格小説:『夢の途中』
 …要は冬コミと同じラインナップですが、既刊の古い方は残り数冊です。作品紹介をご覧になって気になった方はぜひお早めに。
 年に一度の関西イベント。こちらも楽しみにしております。
 それでは当日まで、下記の駄文「とある一周旅行・後編」をお楽しみ下さい。

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(前回より続く)
(なお「日本海」車中の写真はランダムイメージで、記述の時刻・区間とは無関係です)

 
 結局、1時間以上が過ぎてから、
「いったん、次の大釈迦駅まで運転します」
 という実に心細い案内が流れ、列車はようやく動き出した。
 唱歌の『夜汽車』が似合うような速度でしずしずと走り、次の駅に進入。二本のレールとホームの断面以外のすべてが白い塊に覆われ、そこへさらに雪が降り注ぐ。
 なるほど、ポイントも動かなくなるだろう…といった感じだ。
 ただ、案内に反して止まることなく駅を通過し、あとは軽やかな走りに。津軽平野に出て眺めが広がったせいか、積雪も「重症」といった風には見えなくなった。
 弘前到着。駅の時計は21:43で、ちょうど1時間30分遅れだと知る。それでもホームには少なからぬ乗客がいた。
 向かいの下段に帰省から戻る学生らしき若者が来て、寝台側の窓越しに家族との別れを惜しむ。

「…すでにお休みの方もいらっしゃいますので、緊急の場合を除き、この放送をもちまして、今晩のご案内は終了させていただきます…」
 秋田・青森県境付近、普段より100kmほど手前で案内放送終了。この先の到着予定を定刻で案内するのは仕方がないとして、
「車内販売は、今晩はございません」
 いつもは福井から乗車する旨を知らせるはずなのだが、なぜか意味深長なフレーズに。
 そして寝台側の電気が消え、通路側の蛍光灯が減光した。
 
 大館、鷹ノ巣、東能代、秋田…以降も待ちくたびれただろう客を拾いながら列車は先を急ぐが、遅れは1時間半のまま。
 秋田県に入るあたりから複線区間も出現するものの、新潟県北部まで基本は単線で、予定外の行き違い待ちが入ったりするからだ。
 仕事じゃないとはいえ私にも翌日以降の行程というものがあり、気がかりではある。

 ただ、気がかりではありつつも、夜行列車に揺られていることに無邪気にワクワクしている。
 
 なぜならこの一周旅行は、東京在住の私が「日本海」に惜別乗車するには…という思案から生まれたからだ。
「乗車券だけで18,000円か…」
 券面の金額を見ると自分の物好きさに溜め息が出るが、それほどに夜行列車が私は好きだ。
 というわけで、レールを踏む音を楽しみつつ本を読むのに飽きると、窓際に行ったりデッキに出たり、はたまた隣のA寝台の喫煙ボックス席まで出かけたりするいい年の大人。
「こちら9号車。オーライです」
 デッキを通ると、ドアを閉め、首を引っ込めた車掌が受話器でもう一人と話している。
 本日は2両増しの11両編成。編成が長いとこんな確認をするのか…レアな見聞に心が躍る。

 

 青森~大阪というルートは私には縁遠いのだが、それでも上下合わせて過去に3回ほど、この「日本海」に揺られている。
 しかしそれでも、というか、それだけに名残惜しかった。
 この列車には、拙作『ハイケンスのセレナーデ』(題名はもちろん案内放送のオルゴールから拝借)も生み出させてもらった。弱小個人誌なりに好評を得て、自分の制作スタイルを確立できた一作だった。
 ちなみに三刷を数えたその本も、折しもこの春を以て完売予定だ。
 
 その小説でもそうなっていたが、最初の2回の乗車時には「1号」(大阪→青森)・「4号」(青森→大阪)という号数がついていた。
 つまり「2号・3号」と合わせた2往復体制が割に最近まで残っていたのだ。
 もちろん、この飛行機全盛の時代に青森~大阪15時間を乗り通す需要はそうないだろうけど、区間を限れば「飛行機の最終便より遅く出て、朝一番の便より早く着く」ゾーン、さらには飛行機と競合しないゾーンが割に幅広く存在する。
 特に、福井・石川両県の北陸線沿いには小松しか空港がない上に、小松~秋田・青森という便はない。
 そして、今残された「1号・4号」のダイヤはその「福井・石川~秋田・青森」に照準が合っている。この区間なら夜行高速バスや新幹線と競合することもない。
「JRも、やる気がないなりに考えたんだなあ…」
 だから今しばらくは残ると思っていて、再来年の北陸新幹線開業(直江津~金沢の在来線別会社化)あたりが潮時かと見立てていたのだが、ちょっと早かった。
 …まあ、もしかすると考えもへったくれもなく、たまたまこっちを残しただけかもしれない。

 日付が変わって小一時間もすると、満席の車内もさすがに静まり返っている。
「客車といえば、最後部からの展望!」
 それに思い至って後ろへ行ったら、上りの最後部は電源車なので行き止まり。
(前段落の最後部かぶりつき画像は以前に下りで撮影したもの)
 乗る前に見て分かってたのに、いつの間にか忘れていた。いや、逆に下り最後部が電源車だった「1号・4号」の頃とごっちゃになっている。
 いずれにせよ、さすがに私も寝ぼけてきたらしい。寝台に入ろう。
 
 酒田着1時半過ぎ(所定は0:01)、鶴岡着2時(同0:26)。
 駅は律儀に明かりを灯していたが、さすがにもう乗る客はいない。
 この先に、寝台側に海が見られる区間が続く。だが積雪は以北ほどじゃないものの、遠景は吹雪に霞んでいる。
 おのずと列車の足下に眼が向く。ポイントの通過音とともに隣に線路が現れ、向かいのホームが見え、灯りを落とした小さな駅を通過。
「あ………」
 複線区間だと思いこみ、上述の小説でそのように描いた場所が単線だったのに気づき、ひとり赤面する。
 赤面しつつもさすがに眠気が押してきて、いつしか眠った。
 新津から先は、信越線も北陸線も全部複線だ。そこで遅れは少なからず取り返せる…新潟県を前に湧いたその安心感も私を眠らせた。

 ハイケンスのオルゴールで眼が覚めると、朝一番の放送。
 
「皆様、おはようございます。皆様おはようございます。今日は1月8日、時刻は…」
 ダイヤどおりなら金沢発車後にあるべき放送だが、さて、信越線・北陸線でどれぐらい取り戻しただろうか…?
「列車は先ほど、2時間10分ほど遅れて糸魚川を発車しました。列車が遅れまして申し訳ございません」
 …取り戻すどころか広がってるじゃねーか!
 急ぐ人は手持ちの特急券・寝台券で富山から「サンダーバード」に乗れる、そのまま乗る人は下車駅で特急料金を払い戻す…といった案内が続く。
 そしてこの遅れのせいで、福井からの車内販売は中止とのこと。昨夜の意味深長な案内の訳を知る。
 
 何だよ…と思いつつも、異例の経験にワクワクする方が大きい。
 通路に出て、薄明かりが差す車窓のそばへ。事態の割に、通路にいる他の乗客も静かに座っているだけだった。デッキから車掌と乗客の会話が聞こえるものの、詰め寄るといった感じからはほど遠い。
「やっぱりみんな、急ぐ旅じゃないらしい」
 そう思いながらまた寝台へもぐり、レールを踏む音に意識をゆだねる。
 まだ富山県の東の外れだ。寝不足を補っても、列車を楽しむ時間は十分に取れるだろう…。

 …遅れどころか、冬場のこの列車は雪や風でちょくちょく運休する。
 奥羽線や羽越線自体は曲がりなりに運行可能な場合も、遅れが他の区間のダイヤを乱すのを避けるため、長距離を走る「日本海」や貨物列車だけは運休という場合もある。
 もちろん、羽越線自体が止まることも少なくない。
「冬はJRさんの仕事があるから、村上のタクシーは新潟市内より稼げるって言われててねぇ」
 以前、山形県境に近い新潟の町で、タクシーの運転手氏が言っていた。村上にはJRの乗務員の拠点があり、羽越線が止まると、酒田へ行ったまま戻れなくなった乗務員の出迎えの仕事が入るという。運転再開時の送り込みもタクシーの仕事だそうな。
 
 つまり、それが結構な稼ぎになるほど羽越線は止まり、一方で道路は常に守られているということだ。
 暮れの山陰旅行といい、鉄道は雪に弱くなった。
 いまや数少ない例外は、新幹線と大都市通勤圏。
 要は道路ともども、「一番必要とされている交通機関」なら是が非でも守るということで、悲しいかな、見ていてとても分かりやすい。

 
 気持ちよく目を覚ますと、福井駅を出るところだった。
 使った布団だけが残る寝台が、車内のそこかしこに見えた。やはり東北~北陸を連絡する手段として、そこそこ機能してきたということか。
 とはいえ乗り続けている客の方が多い。平均年齢は若く、くつろいだ感じ。帰省の帰りや惜別乗車で普段より増えた分の乗客だろう。毎日とは言わずとも、せめて週末ごとにこれぐらい乗っていれば…。
 そんなことを思ううちに速度が下がり、停車駅ではない武生に止まった。
「特急列車を先に通します。少々お待ち下さい」
 
 続いて、無線を使う声が車掌室から届く。えらく長話をしている。好奇心を起こしてデッキへ。
「…じゃあ、トワイライトのスジに乗せちゃう感じですか?…はいはい…」
 ちょうど、こんな会話が聞こえてきた。それを聞いて、見ようとしていた時計をしまう。札幌からの「トワイライトエクスプレス」は「日本海」の2時間半ほど後の列車で、要はその程度に遅れているわけだ。
「福井は所定で7:15頃だから、じゃあ今は10時前後ってとこか…それにしても、複線に入っても遅れは広がるばかりだなあ」
 閉じたままのドアの向こうを、大阪~金沢を3時間足らずで結ぶ「サンダーバード」のスマートな車両が猛スピードで通過した。
 続いて、名古屋行きの「しらさぎ」も。
 …こうやって遅れを広げてきたのだろう。こっちも特急なのだが、最高速度、そして重要度が違うから仕方がない。
 
 洗面所に寄ってから客室に戻る。武生を出ると外は雪に覆われた田園地帯になり、そして山が迫って平地が狭まっていく。
 増えたカーブを曲がるたびに列車の前方が見える。雪野原の中、自分を乗せた長い長い青色の客車の連なりを、くすんだ赤色の機関車が牽いている。その機関車が響かせる汽笛。
「これぞ、汽車だ」
 列車はサンダーバードより遅いなりに目一杯急いでいるのだが、それでも客車だとそう思えてしまう。

 長い北陸トンネルを駆け抜けると、まもなく敦賀。
 10:32着、結局2時間半ちょうどの遅れ。所定なら大阪に着いている時間で、乗車時間は15時間に及んだ。
 当駅で下車する旅程だから、荷物を持ってデッキへ行く。
「あ、敦賀で降りられるんですか?お疲れ様でした。駅で特急料金、払い戻して下さいね」
 頭を下げつつ車掌が声を掛けてくれる。当駅での下車客はあまり多くないらしい。
 が、「当駅で列車から出ようとする人」は多い。
 20分停車しての機関車交換。それが目当てだ。
 
 ドアが開くや、軽装で降り立った乗客がホーム上で交錯し、そして前方を目指す。
 こちらのメインはやはり「ホームに止まる客車」なのだが、ここまで人が多いとは想定外で、上写真は10回シャッター切ってやっと取れた一枚。
 
 そしてもちろん、ここでは前方も見に行く。さらに当駅下車の強みを生かして隣のホームへ。
 
 到着前から待ち構えていた人々も混ぜて、大道芸に人が集まるような大騒ぎ。その中に交替の機関車がゆっくり到着し、連結。
 
 やがてピィッと汽笛が鳴り、そのあと野球場のウェーブみたいな、時間差を伴った歓声が上がる。動き出したのに気づいた人から順に声を出すからで、長い客車列車はそれほど静かに発車し、ゆっくりと加速する。
  
 動き出してから上写真の位置に来るまで、1分以上かかった。11両の客車を機関車1両で引き出すのだから無理もなく、そしてその重厚な走り出しが長距離列車らしくていい。
 前出の小説『ハイケンスのセレナーデ』で、この鈍い走り出しを列車最後部の窓から描いたところ、ある若い読者から、
「加速中の列車からホームに立つ人の顔の特徴なんて見えるはずがない!主人公はどれだけ動体視力がすごいんだ?!」
 鼻息も荒くといった調子で、そんなご指摘を頂戴した。無理もないことで、車両や車内の様子は写真で後追いできても、そうした感覚は経験がなければ分からない。それは私が丁寧に描き続けて伝えて行くしかないのだけれど、
「そうしなければいけない時代になった」
 というのは淋しくもある。

 さて、次の行程である。
 別に切符を買って北陸トンネルの東側へ戻り、南今庄か今庄で雪景色と撮り鉄を…という予定だったが、その後のことを考えると、行っても向こうには1時間ほどしか滞在できない。
 仕方がないので、とりあえず構内を撮って歩く。
 
 屋根や標記類に古めかしい物が残る。エレベーター付きの跨線橋を建設中だが、完成後もホームに古いままの部分は残るようだ。
 そして11時過ぎに、駅の外へ。
 途中下車を告げて乗車券を出す。と、改札の若い女性駅員氏は神妙な顔になって、文字を指で追いながら20秒ばかり券面を確かめ続けた。
 お手数を掛けたが、生真面目そうなお嬢さんゆえ、よい勉強をしたと思ってくれていれば幸いだ。
 
 改築中の狭い駅舎前は、待ち合わせで大混雑。そりゃ「駅でね」って言って待ち合わせたら入口か改札の前になるわな。
 …その駅舎改築についての看板が駅前広場に【↓クリックで拡大表示】。
 ファイル 51-1.jpg
 なかなかのセンスらしいけど、「平成22年度完成」って…間に合ってないじゃないですか。
 隣は北陸新幹線の建設促進【↓クリックで拡大表示】。
 ファイル 51-2.jpg
 描かれてる車両がJR西日本にケンカ売ってる…並行在来線問題という課題を知らないのでしょうか(笑)。

 駅付近は、よく言えば小ぎれいで悪く言えばガランとしている。
 
 要はよくある「街の中心からやや離れた地方都市の駅前」。
 ただ、両側の歩道にチェーンではない食堂やレストランがチラホラ見え、土地の人がぼちぼち入っている。
 駅前通りに散在する「宇宙戦艦ヤマト」と「銀河鉄道999」のキャラの石像を見て歩く。
 松本零士は福岡出身のはずだが…と思いきや、港と鉄道の町で売り出すべくご協力をいただいてるとのこと。でも、駅を出て最初に立ってるのがなんで佐渡酒造なんだろう…?
 ただ、早くも時間切れが近づき駆け足だったため、それらの写真は残念ながらない。
 次の予定とは食事。あとで駅弁という手もあるが、「日本海」の車販がなかったので朝飯抜きなのだ。
 
 駅を出て右手に「昔の駅前」みたいな一角があり、いかにも「駅前大衆食堂」な店が二軒ほど健在。うち駅に近い方へ。
 
 奮発して「お造り定食」1,200円。さすがは日本海岸でイカが絶品だった。
 なお、値段から中瓶だと思って気軽に頼んだビールは大瓶。
 しかも居合わせた十人ほどの中高年男性ご一行様と注ぎつ注がれつになり、昼からいい気分になってしまった。先方は「青春18きっぷ」で金沢から大阪へ帰る途中だとか。

 
 12時50分頃、次に乗る列車が着くホームへ。
 ほどなく隣のホームに、福井からの普通列車が着いた。
 
 が、2両編成の電車に人がこんなに入るのかというほど乗客がゾロゾロ降りてくる。
 その折り返しが来る場所にも、そして大阪方面の新快速が来る乗り場にも、人がホームの反対側まで届くほど並んでいた。
 当地の若者らしき人もいるにはいるが、荷物がやや大きめの人が多く、そして私服の地元高校生にしては年齢が高い。
「ああ、18きっぷか…」
 昼食の時のご一行様を思い出す。シーズンなのはもちろん、使用期間終了が二日後に迫っていた。
 もし予定どおり今庄の方へ行っていたら、私もあの阿鼻叫喚の普通列車に乗る羽目だったわけだ。それも往復で。

 定刻どおりの13時16分、「しらさぎ8号」に乗って敦賀を離れる(下の写真は別の機会に別の場所で撮ったもの)。
 特急は特急で帰省の戻りらしき親子連れが多いが、指定席に立ち客があふれてくるほどではない。
 
 …一周乗車券は、敦賀を出た時点でまだ500km以上も残っている。今夜の宿はどこなのか。
 深い山を越えて滋賀県に入り、車窓が平地になってしばらくすると、長浜という、琵琶湖沿いのいい町がある。
 が、そこでは降りない。
 それどころか、米原で方向転換に合わせて座席を動かした以外、私は座ったまま終点・名古屋まで行ってしまう(14:48着)。
 ただし、ここでおもむろに途中下車をする。今夜の観光先&宿は名古屋か…と思いきや、いきなりまず土産物を購入。
 なぜか土産物屋がことごとくデパートの初売り並みに混んでいたが、どうにか15分ほどで購入完了。
 そして、また改札に入ってしまう。その内側でさらに新幹線の改札を抜ける。
 15:40発「のぞみ234号」。もちろん上り。
 自宅に近いのは品川だが、より厳密に「一周」にするため、17:23に東京着。
 帰ってきてしまった。

 約29時間半で、本州東半分を一周。
 それも地上ゼロ泊。宿泊どころか、駅前より遠くへ行ったのは敦賀の約1時間だけ。
 さらに、普通列車に全く乗っていなかった。
 …達成感はないし、まして記録だなどと言って自慢する気はない。
「ああ、もったいない」
 それに尽きる。なにしろ乗車券は12日間使えたのだ。
 絶対真似しちゃいけない。仕事の都合がなければ私だって絶対やらない。
 ただ、「日本海」はよかった。
 寝台のある夜行列車は、定期列車と事実上の定期列車を合わせてまだ7本残るが、豪華個室や二階建て車両だったり、扉が普通の引き戸になっていたり、さらには電車だったりと、何かと手が加わっている。
 その意味で最後の「ただの寝台列車」。
 それをもう一度味わえたことは無意味じゃなく、そしてラッキーだった。
 このあと1月末から2月なかばにかけて、豪雪のため「日本海」はほぼ毎日運休し、多くの惜別乗車組が悔し涙を流した。なので、前に書いたとおり世間が暇な2月が忙しく、1月上旬に辛うじて隙間があった私は幸せだったのだ。

 忘れていた。「本日の駅弁」。
 
 敦賀駅「鯛鮨」(1,000円)。見た目よりも食べでがあり、味もしっかりしている。
 敦賀の駅弁は鯛・鯖・カニの寿司中心。ちらしもあったが、買った時は昼食直後だったもんで淡白そうなものを選択。

 …これを書き終えた時点で、「日本海」はすでに廃止されている。
 ただ、編成は短くなり、ダイヤもさらに遅くなるものの、旅行客向けの臨時列車としてハイシーズンに運転される。
 しかしこの春の運転日を見る限り、走るのはゴールデンウィークや暮れ正月といった超ハイシーズンだけらしい。
 なので競争率は高そうだが、機会があればぜひ「昔ながらの夜行列車」をご体験あれ。

(完)

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