『すぐそばに、1/13』作品サンプル


「朋子……好き。ドキドキする……」
 思わず秘密を口に出してから、ギョッとした。
 すぐ隣に志織おるやん!
「………」
 隣を振り向くまでもなく、視界の端っこに志織の驚く顔が見えた。
「えっと、あのっ、そのっ……!」
 必死にごまかそうとして、志織がギョッとしてるわけじゃないのに気がついた。
 気づいたところで、志織がウチに聞いてくる。
「絵里香も、そう思うん?」
「え………?」
 むしろ志織の方がドキドキしながら、おそるおそる、っていう感じ。
「絵里香も…朋子ちゃん見てドキドキするん?」
「…うん」
「朋子ちゃん好きやって…思うん?」
「…志織も?」
「じゃあ、絵里香も?」
 ウチはホッとしながらうなずいた。頭の中が、「ウチだけじゃなかった!」っていう安堵と興奮で一杯になっている。いつもは「揺れすぎだろオイ」と思える電車の揺れがまるで気にならない。

 朋子。銀縁の眼鏡をかけた、短い髪の話し友達。
 男顔でもスラリと背が高いわけでもない。ウチらとは乙女ゲームが共通の話題になってる立派な女子だ。
 なのに一緒にいると、中二の頃に、好きになった男子と話してた時みたいな気持ちになる瞬間がある。
「じゃあねー」
「また明日ー」
 地元に住んでる朋子とは、門の前で別々になる。眼鏡ごしの涼やかな目がウチを見つめてくる。別れたくないって思う。そして別れた後も忘れられない。東福寺の駅まで歩く間も、奈良線に乗って志織としゃべってる時も、話が途切れたりすると、ふと朋子の眼差しが頭をよぎって、たまらない気持ちになる。
 で、今もそうなって、眠気で気が緩んでたせいか、それを口に出しちゃったとこだった。

「まもなくー、宇治ー、宇治でーす…」
 車内の雑音に負けそうな、かすれ気味の放送が聞こえた。志織の降りる駅だ。
「あのさ、降りて、ちょっと話していかへん?」
 スピードを落とす電車の中で、志織が誘ってきた。話し足りない時にはよくあることだし、ウチももっと話したいと思ったから首を縦に振った。なのに一緒にドアの前に並んでても、降りて、黄緑色の電車に沿って駅のホームを歩いてても、ウチらは口を開きかけては閉じてを繰り返すばかりだった。
 夕方になっても外は暑かった。一応まだ五月だけど、入れ違いに駅に入ってくる高校生もみんな夏服だ。
 駅前のお店に入って、頼んだ飲み物を持って席に座った。無言の気まずさに耐えかねたウチは、志織の顔色を探りながら途切れ途切れに口を動かす。
「えっとさ…朋子の目って、ホンマにかわいいよなあ…」
 志織も、ウチを探るように見ながら口を開く。
「ホンマやなあ。でも目ぇ以外も朋子ちゃん、かわいいよなぁ…」
「なんであんなに、かわいいんやろなあ…」
「なんでやろなぁ…」
 そんな会話が延々と続くばかりで、話が先に進まない。さっきは思わず喜んじゃったけど、考えたら、志織がウチと同じ意味で朋子を「好き」って思ってるとは限らなかった。たぶん同じなのは何となく分かるけど、でも、たとえば『恋愛感情って意味で朋子のこと好き?』という質問でもって、それを確かめる勇気はない。万一違ったらウチだけが変ってことになって、志織にどう思われるか分からない…。
 と、志織が急に目を伏せてから、ぎこちない真顔をウチに向けてきた。
「絵里香ってさ…女子相手に、こういう気持ちになったこと…ある人?」
 女子を好きになったことなんて、当然ない。だからこそさっき志織につぶやきを聞かれてギョッとした。
「ないって!志織は?」
「ないない!」
「ホンマ?」
「ないってば!ウチ、だ、男子と付き合ってたことあるし」
「う、ウチだって!」
 実は男子と付き合ったことなんてないけど、好きになったことはあるし、とにかくここは全力で否定すべき場面だった。そして必死に否定し合うことで、志織の気持ちがウチと同じなのがハッキリした。
 考えるような顔で、志織が言う。
「ウチら…おかしくなっちゃったのかな?」
「そんなことない、と、思うけど…」
 でも現実にウチも志織も、朋子のことが好きだと思っている。そしてそれは志織の言うとおり「おかしなこと」で、他の友達や先生や親に言うなんて絶対に考えられないことだった。心が重たくなるのを感じながら、ウチは同性が好きってことを否定する要素を探した。
「えっとさ…朋子ってさ、ちょっとだけ男の子っぽいとこ…ない?」
「どこが?」
 うつむき加減のままで志織が聞いてくる。
「えーっとなあ………あ、ほら、髪の毛ショートやし…人を見てくる時の目が、ちょっとだけキツめで…」
「…で?」
「そやから、とにかく朋子のどっかに男の子な部分があって…で、ウチらはその部分が好きなんよ!」
「……………」
 志織は顔を上げたけど、目には救われたような色が全然なかった。救いにならないのは当たり前で、言ったウチ自身が「フォローになっとるか?」って疑問に思ってる。男の子にあこがれる気持ちに近いのは事実だったけど、でも朋子が女なことに変わりはない。
「…そういうことに、しよか」
 飲み物を一口吸い上げてから、志織はそう言ってごまかすみたいに微笑んだ。
「うん。そういうことやで、きっと」
 ウチも自分に言い聞かせるみたいに言って、無理に笑った。そんな作ったような笑顔を見せ合いながら、ウチらは何度も「そうやで」「うん、きっとそうや」というセリフを繰り返し続けた。
「ところでさ、ほらこれ!大和守の内番!」
 そのうちに志織がゲームの話題を出して、スマホの画面を見せてくる。ウチも今週とっておきの戦果のスクリーンショットを開いて話に応じた。石切丸、大和守、左文字の兄弟たち…ゲームキャラとはいえウチらは今も、こうしてかわいい男の子の話で盛り上がっている。
「朋子のことだって…やっぱり朋子の中に『男』がいて、ウチはそれに惹かれてるんや」
 話しながら思い返すうちに、自分の立てたその説がしっくり来るようになっていた。どう見ても朋子は女やし、髪が短いのが男の子ってのはやっぱり無理があるけど…そう、目や。あのキュンとさせられる眼差しは、たぶん男の子の目や。そのせいや。せやからウチは変ちゃうんや…。



 次の日もいい天気で、風があって楽だったけど日差しは暑かった。もちろん今日もみんな夏服だ。
「やっぱ流星隊の中でも一番は、翠×仙石やね〜!」
「朋子ちゃん何言うてるん、逆やろ!」
「いやウチは仙石受けも悪ない思うでー」
「あー、絵里香の裏切り者ー!」
 いつもの話題で昼休みをやり過ごしながら、ウチは今日も朋子にドキドキしていた。
 その朋子は、やっぱり女子そのものだった。
 セーラー風の襟と赤いリボンの半袖が、ほっそりした首と白い肌によく似合う。膝まである赤チェックのスカートはちょっと長すぎな気もするけど、でも、それが逆にかわいい…入学して二ヶ月。ウチも含めて、みんな周囲と見比べながら少しずつスカート丈を詰めてるけど、朋子は買った時の長さのままで、詰める気配は全くない。でも彼女にはそれが正解だ。とにかく、うらやましいぐらいに女子の制服が似合ってる。
「ところで絵里香って、いっつもダイヤようけ持っとるよなあ…もしかして課金しとるん?」
 話してくる朋子にまじまじと見つめられて、胸がキュンとときめく。
「な、ないない!そんなセレブちゃうで」
「ほんなら、どうやって…」
「色々方法があるんや。まずはな…」
 昇天しちゃいそうな幸せをひそかに感じながら、それをヤバいことだとウチは思い、そして朋子の何に惹かれているのかを話しながら探ってみる。惹かれてるそこにきっと「男の子」がいるはずだ…高めの、ちょっと抑揚が少ない話し声。眼鏡越しの切れ長な両目。白い肌。細身の体。たいして乱れてもいないショートの黒髪を手でなでつける仕草…
 全部が、好きだった。
 そして朋子の声も姿もやっぱり女そのもので、その朋子がウチは好きだった。
 でも、「同性を好きになってる」っていう感覚はやっぱりない。たとえば見られてドキドキする時、ウチは「好きな男の子に見られてる」のと同じドキドキを感じている。やっぱり「朋子の中の『男』が好きなんや」ってホンマに思う。けど朋子は同性で、だったら感覚がどうだろうとウチはやっぱり変なのかも…
「あ、そろそろホールに行かなあかんのちゃう?」
 志織の声に、ウチは顔を上げる。ラウンジを囲む一年生の教室から、お揃いのバインダーを持った同級生たちがパラパラと出てきている。次の「産社」の授業は、今日は学年全員ホールに集合だ。ウチらも教室に戻って産社のバインダーを取ると、一階を目指して階段を降りる。
「分かっちゃいたけど、それにしても女ばっかりやなぁ…」
 階段の人波は、八割が女子の夏服であるセーラー襟。美術やファッションの授業がこの学校の売りの一つなせいもあるけど、制服がカワイイというのが中学時代から女子の間で評判だった。ウチら三人は制服目当てじゃなかったけど、たしかにこの夏上着はかわいらしすぎて、女子がスカートと一緒に着る以外あり得ない。そのせいか、よその高校ではオプションでスラックスもあるのに、ウチの学校にはなかった。
「あ、ちょっとトイレ。先に行っとって」
 階段を降りたとこで、朋子がそう言ってウチらの前に出る。
「朋子ちゃんまたぁ?せやから休み時間に行っとこうよー」
「うん、ゴメン。すぐ行くから!」
 愛おしい後ろ姿がみるみる小さくなっていく。昼休みの後に限らず、朋子はしょっちゅう間際になってから急に「トイレ」って言い出す。しっかりしてるように見えて、意外と天然なのかも。

「先週から『職業調べ』に入りましたが、最終目的は、職業以外の生活や職に就くまでの勉強も含めた『ライフプラン』の作成です。今日はその参考に、何人かの先生方が自分の人生について話してくれます…」
 ウチらがクラスで授業を受けるのは一年の時だけで、二年からは、自分の進路に合わせて選択授業を取っていく。その進路を考えるために、自分の性格やいろんな職業を調べながら、三十歳ぐらいまでの『ライフプラン』を作る…っていうのが産社の授業だった。
 それは分かるんだけど、正直、今日は退屈だった。
 壇上に上がったどの先生も、分厚い参考書の英単語を全部覚えたとか、教員採用試験に一回で合格したとか、前にいた学校で生徒を何人もいい大学に入れたとかいう話をした挙げ句、
「…せやからやっぱり、少しでもええ大学目指して勉強するんは大事やと思うで」
そんな結論を押しつけるばっかりだった。別に学校の先生になろうなんて思ってないウチには全然意味ないし、他の子たちもプリントに落書きしたり、寝ては見回りの先生に起こされたりしていた。
 今も、説教がねちっこくてみんなに嫌われてる先生が、得意げな顔で長話をまとめにかかっている。
「あの時の勉強が今の自分の幸せにつながってる、って言うたら言いすぎかもしれませんが…」
「言いすぎ!自分が幸せってマジで思てるん?」
 誰かのツッコミと、満場の笑い声。先生たちが血眼で犯人を捜して回る…そこだけが唯一面白かった。
 と思ったらもう一つ、面白くて、そしてドキッとさせられることがあった。
「僕は勉強が納豆よりも嫌でなあ…高校出た後も勉強なんかさせられたら死ぬで!って思て、それで必死にええ子のフリして就職したんやけど、一月でクビや。そら十日続けて遅刻したらクビになるわな…」
 最後に立った大山っていう四十過ぎぐらいの先生は、出だしから違った。職を転々としてフリーターにもなって、ウチらでも合格できそうな大学に入って、そこでも留年して…という話を面白おかしく聞かせてくれた。壇上にいる他の先生たちが「マズい…」みたいな顔して目を白黒せさてるけど、リアルな失敗談のおかげで「何をやっちゃいけないか」がよく分かった。
「…もちろん勉強も大事やけど、人生どう転ぶか分からへん。だから『人間力』を身につけてや。たとえば僕の話にも出てきたけど、誰にでも笑うて挨拶できるいうんも、どこでも通用する大事な『人間力』やで」
 笑顔を見せながら、大山先生が話をまとめにかかっていく。
「予想もできへんことが起こるんは当たり前やし、けど、せやから人生おもろいねんで。職業だけやない。たとえば結婚。今は結婚したい思てても気持ちが変わる人もおるやろし、できへん思てたのにする人もおるやろ。結婚するにしたって、相手が異性とは限らへん。同性やった人と異性として結婚するかもしれへん」
 異性とは限らへん、のところで、小さくざわめきが起こった。
 ウチは、不安と期待が入り交じったような胸騒ぎを感じた。
「先生ー、それってホモとかレズってことー?」
 分かってしてるような質問が飛び出し、声がした方に先生たちが駆け寄る。でも大山先生は、
「いい質問ですねえ!」
池上彰のモノマネで満場の笑いを取ると、少し顔をあらためてから声の主の方を見つめる。
「まず、ホモとかレズとかいう呼び方は汚くてあかんな。ちゃんと『ゲイ』や『レズビアン』て呼ぶべきやし、セクシャルマイノリティちゅう言い方もある。ちゅうのも、たとえば同性を好きになる人は、ごく普通におるからや。確率から言うて、この中にだって十人ぐらいはおる。せやから、知らず知らずのうちに友達を傷つけとるかもしれんで?」
 ホールのところどころから「え〜?!」「ウソー!」というどよめきが上がった。
「…ホンマ?それってホンマなん?」
 どよめきに冷や汗を流し、自分がそうだなんて認めたくないと思いながらも、ウチはその話をもっと詳しく聞きたくて仕方がなかった。
「途中から急に自覚する人も、たくさんおるねんで。せやから今『ウソー』とか言うた人にとっても…」
「大山先生、そろそろ時間なので…」
 渋い顔をしていた壇上の別の先生が割って入って、話を途中で止めてしまった。
「…ホンマなん?ううん!ウチらは絶対ちゃうけど!…でも、もしウチや志織がそうだとしても、女が好きな女は、ホンマにウチらだけちゃうん…?」
 授業の終わりが告げられ、まわりの子たちが席を立ち始めても、ウチは座ったまま頭の中で大山先生のセリフをぐるぐるとリプレイし続けていた。
「あの先生のとこ、行こ」
 帰りのホームルームが終わるや、真顔で志織が誘ってきた。異論はなかった。競い合うような足取りで、ウチらは同じフロアの職員室に向かう。
「すみませーん、大山先生いますかー」
「どこの誰や。鞄は置け!」
 明らかにウチらを知ってる理科の先生が、いきなり無愛想な顔で大声を投げつけてくる。
「…失礼しまぁす!一年三組の伊能と松元です!大山先生はいらっしゃいますか?」
「おらへんな」
 まわりを見回しもしないで、つれない即答。
「……失礼しました!」
 ああアホらしいと思いながらドアを閉めると、志織と目が合った。
「ほな、どこにおるんやろ?」
「準備室…とか?」
「どこの?」
「さあ…」
 ウチらは顔以外に、大山先生のことを知らなかった。よそのクラスの副担任で、ウチらの授業は持ってない。というか選択科目にしかない特殊な教科の先生だから一年生を教えてるはずがなくて、しかもその教科の名前を二人とも思い出せなかった。
 広い校舎の中をぐるぐる回って、最後に一階の廊下を歩いていると、右手のドアが急に開いた。
 そこは校長室で、出てきたのは大山先生だった。ずいぶん不機嫌そうに見えたけど、ウチは思い切って声をかけてみる。
「先生、こんにちは」
「おお、こんちは!」
 ウチと目が合うや、先生はさっきの楽しそうな表情を取り戻してくれた。
「あの…三組の伊能です」
「松元です」
「ああ、たしか…原口と三人でよく一緒におる子らやな」
 原口ってのは朋子のことで、たしかに三人でよく一緒にいる。覚えてもらえてて、なんかうれしかった。
「で、今日はどないしたんや?」
「えっと…さっき産社の時にしてたお話で、ちょっと、聞きたいことがあるんですけど…」
「あの、相手が異性とは限らへん…そういう人は普通におる、って話!」
 志織がしてくれたフォローを聞くと、先生はうなずきながら笑顔を見せた。
「そうかそうか…ええで。けど立ち話もなんやな」
 大山先生に連れられて中庭に出て、すすめられるまま一緒にテーブルを囲んだ。
「ほな、君らの聞きたいことを聞こか。何でも聞いてええで」
 穏やかな目をした先生が、軽く身を乗り出してくる。二人で顔を見合わせてから、ウチが切り出した。
「あの…女のこと、好きになっちゃう女って…ホンマに、普通におるんですか?」
「ああ、普通におるで」
 即答してから、先生はゆっくり言葉を続けた。
「さっき言うた『セクシャルマイノリティ』いうんは、十三人に一人ぐらいの割合でおるんや」
「十三人に一人!ホンマ?!」
「うん。十三分の一や。まあ、その中には女が好きな女以外も色々入っとるんやけど、同性愛者…同性を好きになる人はその中でもメジャーな方や。せやから…そうやな、二十分の一って考えたとして、君らの学年に十二人ぐらいおることになるやろ。左ぎっちょよりも多いで」
「ふぅん…」
「せやから、君らがそうでも僕は変や思わへん。その上で聞くけど、君ら、そうなんか?」
 ドキッとしたウチよりも一瞬早く、志織があわてて答える。
「えっとあの、そうじゃなくて!…そうかもしれん子が、友達におるから」
「そうか。もしそうやったら…今のこの学校におったら、その子は辛いやろなあ…」
 先生はしんみりした目で答えてから、すぐに明るい表情に戻って続ける。
「でも今言うたけど、おかしなことでも何でもないんや。それに友達の君らが『ウソー!』とか言わんで理解しようとしとる。セクシャルマイノリティのこと色々勉強して、もしその子がそうやったら、その子のホンマの友達になってあげたらええ。相談したいことあったら僕に、いつでも言うてや」
「で、でもウチ…の友達は、男子好きになったこともあるんですよ?」
 だったら違うか、という答えが聞きたくてウチは言ったけど、先生の答えは違った。
「女が男を好きになるんは、たとえば友達とコイバナしたり漫画読んだりしてく中で『女は男を好きになるんが当たり前』ってすり込まれるせいでもあるんや。で、それにしたがって異性と恋愛するんやけど、どうもしっくり行かへん。そのうちに同性に惹かれて、そこで初めて気がつく…そういう気づき方の方が、むしろ普通やねんな」
「……………」
 否定したかったけど、否定する言葉を吐くための自信がウチになかった。途中から急に自覚する人もたくさんおる…さっきも先生がそう言ってて、そこでもウチはドキリとしたんだった。
 ウチら二人は、そのまま黙ってしまった。
「とりあえず今日は、こんなとこでええかな」
 モジモジする私たちを見つめながら、先生が優しく声をかけてきた。
「あ!はーい先生!」
 何か思い出したらしい志織が、小学生みたいな声で手を挙げる。
「ん?どうした?」
「女が好きな女以外にも色々おる、って先生さっき言うたやろ?他に、どんな人がおるん?」
「ああ…」
 すぐに思い出して、先生は答えをくれる。
「それこそ色々やけど、たとえば…『トランスジェンダー』いう人はわりかし多い。女の体で生まれてきたけど心は男とか、その反対やとか…そういう人やな」
「どういうこと?」
「体のせいで女扱いやけど、意識は生まれつき男で、なんぼ頑張っても自分は男やとしか思えへんねん。せやから、たとえば学校の制服はめっちゃキツい。風呂やトイレもそうやし、男として女の子を好きになっても誰にも言えへん…そういう人も、実はホンマにようけおるんや」
「…なんか、大変そう」
「かわいそう…」
「大変やけど、かわいそうちゃう。大変なのも本人のせいやなくて、まわりが『気持ち悪い』思て理解も協力もしようとせえへんからや。それは、同性愛でも同じやろ?」
 先生が、心の奥を覗き込むような目でウチらを見た。
 朋子が好きなのを認めたくないのは、たしかに、人にキモいって思われたくない…というのが大きい。
「ほな、ちょっと会議があるから、今日は失礼するで。けど、また何かあったらすぐ相談に来てや」
 大山先生が中庭を後にして、ほどなくウチらも校舎内に戻った。
「ウチら、変ちゃうんやね」
「そう、らしいね…」
「けどウチら、女が好きな女なんやろか?」
「そう、思いたくない、けど……」
 そんなやりとりを繰り返しながら、二階のラウンジまで戻る。と、鞄を持った朋子が教室から出てきた。
「志織、絵里香、お先ー」
 思わず足が止まって、それから志織が朋子に駆け寄る。
「あ、朋子ちゃんちょっと待って!一緒に帰ろ!」
「え…?帰るって、志織たちとは門のとこでサヨナラじゃん」
「せやから門まで帰ろ!すぐ鞄持ってくるから!」
 ウチも朋子を引き留めると、志織を追って教室に駆け込んだ。たとえ門までだって、ここでサヨナラして明日まで会えないより百万倍うれしい。



 二日後。
 土曜日だけど、月に一度の土曜授業の日だから学校があった。
 でも今日は授業じゃなくて実力テスト。午前中でおしまいだ。
「じゃ、解散。次のテストは半からやから、二十五分には席に着いてるように」
 答案を持った先生が出ていく。休み時間は普段よりも五分長いし、それに昼で帰れる。そのせいか、おしゃべりする子たちも一人でスマホをいじってる子も、いつもより表情がのんびりしてた。
「なあ。ウチらが変かどうか、思い切って相談してみようよ」
 スマホを出そうとしてたら、いきなり志織が耳打ちしてきた。
 あわてて周囲を見回す。幸いまわりの子たちは席を外してて、人に聞かれる気遣いはなさそうだった。
「相談って、誰に?大山先生?」
「ううん。朋子ちゃんに!」
「はぁ?」
 ウチはビックリして振り向いたけど、志織は明るく目を見開いて「どう?」って顔をしてた。
「な、何言うてるんや志織!」
「だって、朋子ちゃんに気持ちを伝えたいし…絵里香もそう思うやろ?」
「せやけど、言えるわけないやんか!」
「朋子ちゃんも、女が好きな女かもしれへんし…」
「アホか!そんな都合のええ展開あるわけないやろ!」
「二十分の一って先生言うてたやんか!てことは半々やで!」
「小学校で算数やり直してこーい!」
 一クラスあたり二人。しかもその枠はウチと志織で埋まっている。
「まぁまぁ…別にいきなり『ウチら朋子ちゃん好きなんやけど、変?』とか聞くんちゃうよ」
「じゃあ、どうやって?」
「たとえばさ、『なんか朋子ちゃんとおると、かわいい男の子みたいな気分になるんよねー』とか」
「あ……」
 そうだった…ウチらは同性に恋してるんじゃない。朋子の中にいる「男の子」に惹かれてるんだった。
「で、その線で話してって、『好き』のギリギリ一歩手前ぐらいまで、言えたら言うてみようよ」
「それぐらい、やったら…」
「やろ。朋子ちゃんはウチらと同じじゃないかもしれへんけど…ウチな、朋子ちゃんは、とりあえず受け止めはてくれるっていうか…頭ごなしに変態扱いしたりせぇへん気がするんや」
 言われてみると、そんな気もする。もしその場でそう思えなければ、途中でその話題をよせばいい…
「…で、いつ?」
「今日これから!」
「えぇ?」
 ウチが驚くと、志織は目を見開くのをやめて真顔を見せた。
「引き延ばしたら、言えなくなる気がする。ウチ今、めっちゃ勇気出してやっと言うてるんやで?」
「……………」
「それに今日は、この後英語のテスト済んだら終わりやろ?ちょっとどっか遊び行って、なんか食べたりしながらゆっくり話せるやんか」
 ウチはうなずいた。その方が学校よりもずっと、話しやすそうな気がした。
「…そやな」
「というわけで絵里香、朋子ちゃん誘ってこい!ゴー!」
「え?…志織が誘ってくれるんちゃうの?ウチ嫌や」
「だってウチ、そんな勇気ないしー」
「ウチだって同じや!志織は朋子のこと『ちゃん』で呼んでるんやからウチより親しいんやろ!」
「絵里香こそ、入学式の日から朋子ちゃんと話してたやんか!そやから絵里香行け!」
「やだ!志織行ってよ!」
「絵里香のケチ!行ったって別になんにも減らんやろ!」
「だったら志織が自分で行ったらええやろ!」
「…じゃあ、ジャンケンで決めよ!」
「な、なんでや?!」
「時間がない」
「……………」
 休み時間は残り半分を切っていた。どっちかが誘わなきゃいけないんだから、そうするしかなさそうだ。
「いんじゃん、ほい!」
 一発でウチが負けた。
 志織に無理やり背中を押されるまま、教室の隅でスマホを見ている朋子に近づく。
「なあなあ、朋子」
「ん?」
 朋子がこっちを向く。上目遣いの眼差しも凜々しくて、鼻血が出そうになる。
「あのな、今日お昼で終わりやろ?」
「うん」
「えーっとさ、志織と三人で、ちょっと遊び行かへん?」
「どこ行くん?」
「え………」
 いきなり行き先を聞かれるなんて想定外で、なんにも考えてなかった。壬生寺、粟田口…わりかし近場にある「聖地」がいくつか思い浮かんだけど、どれもたしか、朋子は行ったことがあるって言ってた。それに近場じゃ、誰かに会って一緒に行動する羽目になるかもしれない。でも、とうらぶの聖地や京都の街中以外どこも思いつかないし…朋子が怪しげな眼をしてる。ヤバい、早くなんか言わなきゃ…
「…奈良」
 小学生の時の遠足の行き先が、口をついて出た。
 言った瞬間に後悔した。大仏なんか見て楽しい思てくれるわけないやろ。しかもちょっと遠いし。
「あはっ、絵里香おもろいこと言うなぁ。小学校の修学旅行ちゃうんやからー」
 ふーん、このへんでは修学旅行で行くんや…って感心してる場合じゃない。やっぱり完全に冗談扱いだ。あかん、どうしよう…
「ええよ。ウチも行く!」
 …え?
 耳を疑うウチをよそに、朋子はキュートな笑顔で言葉を続ける。
「ウチもな、いっぺん絵里香や志織と遊び行きたかったんや。せやから、奈良でもどこでもええよ」
 だったら「どこ?」とか聞くなよ!ってツッコむとこだけど、ウチはホッとするのに精一杯で、そして奈良どころか天国に行っちゃいそうなぐらいうれしかった。
「よかったぁー!朋子ちゃんありがと!」
 いきなり志織の声が割り込んできた。
「じゃ、英語のテスト済んだらすぐ出かけよ!ええ?」
「ちょっと志織!おいしい時だけウチのセリフ取らないでよ!」
「どっちが言うたってええやん…じゃあテスト頑張ってねー」
「うん。志織たちもね」
 そこで先生が入ってくる音が聞こえた。ウチらは振り向いて自分の席を目指す。うれしいけど、これからしようとしてることを考えるとドキドキする。どっちにしても、英語のテストどころじゃなさそうだ。


★サンプルはここまでです。これより先は、単行本『すぐそばに、1/13』にてお楽しみ下さい!


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