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只見線往還記~『エッちゃん』の世界・4

【前回の続き】

★4.会津若松の街…若松駅と鶴ヶ城と白虎隊以外

 前にも書いたけれど、会津若松駅は街の中心ではなく、北の街外れにある。
 まあ、地方都市の代表駅はたいてい街の外れだが、この街の場合は、より中心部に近いJRの駅が別にある。
 私が途中下車した、七日町がそれだ。会津若松の市街地の西端。中心街の「神明通り」が徒歩圏に収まり、鶴ヶ城こと若松城趾へも、大都市近郊の感覚でだが歩いて行ける。

 若松駅を出てここに着く列車は、只見線方面・会津鉄道方面を合わせて一日25本。時間によるが、郡山から来る磐越西線との接続は悪くなく、市内を周遊するバスも七日町に立ち寄る。けれども、わざわざ待って乗り換えて一駅だけの乗車になるし、その前に観光向けの案内が若松駅起点になっているので、結局、旅行客の多くは若松駅に降り立つ。
 ただ、この七日町駅には、わざわざ見に行かないまでも、一度立ち寄る価値はあると思う。
 
 駅ができた昭和初期を意識したらしい、大正浪漫調の駅舎。
 もちろん近年にそれらしく作った建物だけれど、内外装とも、サッシに化粧板を貼るなどしてレトロ調に仕立てているんじゃなしに、木で作るべき部分は本当に木で作ってある。かたや、中の通路は黒っぽい石畳で、壁の木部は地色の焦げ茶一色。本物の戦前建築の駅舎では、床にはコンクリートを流し、壁や柱はむしろ明るい色に塗ることが多いけれど、これはこれでいい。
 見た目に落ち着きがあって、夏は涼しげな、雪景色の中では暖かそうな居ずまいだ。
 ホーム1面・線路1本きりの無人駅だが、「駅カフェ」という喫茶店兼土産物屋が駅舎に同居している。店構え(左写真の左側)を見て分かるとおり、駅舎の雰囲気をぶち壊しにするものでは決してなく、焦げ茶色ベースの店内に机椅子がゆったりと並ぶ。土産も箱入り・包装つきの「銘菓」が山積みということはなく、工芸品や、土地で食べられているらしい飴菓子の小袋などがおとなしく置かれている。

 さて、もう一両にもっと大勢乗っていたのか、車内で見た以上に高校生の下車は多く、平日とはいえ夏休み中の昼前なのに、つごう一クラス分ほどの高校生たちが駅を出ていった(ただし出迎えの友達も何人か入っている)。駅舎裏手の駐輪場から自転車を出してくる子もいる。
 駅の徒歩圏に県立・私立1校ずつ、東へ少し行った場所に県立2校、(西若松駅の方が近くなるが)南東の若松城趾の裏手に県立2校…と、市内の高校の大半が七日町とほぼ同じ緯度か、それより南に位置する。うち徒歩圏の県立高校が『エッちゃん』の通学先なのだが、他の各校も古くからの学校で、そういった高校の集まり方を見ても、七日町が市街に近いことが分かる。ただし磐越西線沿いの方が只見線・会津鉄道沿線よりも人口が多く、したがって若松駅からバスや自転車という流れの方が多いはずだから、むしろ「この程度の数で済んでいる」のだろう。

 以下、市内めぐりに出かけるが、地域のバス会社「会津乗合自動車」の路線図が本稿の地図がわりなるので、こちらにリンクを貼る。またバスは後述のように、市街部を歩くだけの場合でも存外使いでがある。



 高校生たちを見送ってから、私も駅前の通りを東へ。神明通りまで、まっすぐにバス停2つ分ほど歩く。

 七日町駅を出てすぐの景色。ビルこそないけれど両側にびっしり建物が並び、商店も混じる。写真中央のような年季の入った木造家屋や板塀が、ちょこちょこ見つけられる。写真の建物は現役を退いて観光向けなった商家跡だが、現役のこういう建築も多く、ところどころで交差する細い通りを覗くと、見る機会はさらに増える。

 カメラは進行方向と逆だが、だいぶ中心街に近づいたところ。このあたりから神明通りのすぐ手前にかけて、洋風の古い建築も現れる。手前も奥も現役の洋服店で、手前の方は屋号も「白木屋」となんだかレトロ。
 この間を歩くのが面倒だという向きには、「ハイカラさん」という市内循環バスが日中30分ごとにある(上述の路線図を参照)。
 ただ、このバスは反時計回りに走っていて、白木屋前→七日町という移動はできるものの、その逆はできない。でも路線図にあるとおり、七日町を出てからこの通りのすぐ南側を東へ走るので、近くで下車して北上すればよい。
 ちなみにこの路線図は、近接する路線・バス停同士の位置関係については、非常に正確である。


 さらに東へ向かうと、ほどなく神明通りにぶつかる。
 『エッちゃん』に書いたとおり、デパートや各種飲食店、書店にレンタルCD店、洋服屋、映画館、ゲームセンターなどが集まる市内随一の繁華街だ。大都市発のチェーン店も多く見かけ、ツタヤでCDを物色し、プロントでコーヒーを飲み、某理髪チェーンの店で髪を切って…と、私が東京でしている消費行動と全く同じことができてしまう。
 この南北の通りは幹線国道でもあり、そのせいか車道は広く、車通りも多い。その両側に高い建物が並ぶので、余計に大きな都市を思わせる。
 左右の細い道に入ると、居酒屋やカラオケ店、ボウリング場なども見えた。事務所用のビルやビジネスホテルといった仕事向けの施設も、すぐ西隣の通りに存在する。
 もっとも、そんな眺めは300メートルも続かず、その先は南北とも空き地がチラホラ見える住宅地なのだが、それでも、たとえば瀬戸内海沿いなどと比べると、人口約10万の都市の中心街としては大きく見える。

 しかし、いまや地方都市の中心街では当たり前に近い話だが、ここも人通りが今ひとつ頼りない。あくまでも「瞬間」だが、下のような淋しい写真も撮れてしまった。

 初めて来たのは平日で、そのせいかと思ったものの、その次に行った祝日も大差がない。夏休みの日中について言うと、むしろ昼頃に高校生が通る分だけ、平日の方がやや多めだった。
「……………」
 初回と二回目、この人通りのなさを見てから只見線に乗った。もちろん只見川沿いの村々には、それよりはるかに誰もおらず何もない。それを目で確かめ、やがて『エッちゃん』を書き始めたのだが、
「いくら田舎から来た子だからって、『エッちゃん』がこれを見て、ここでの暮らしに驚くだろうか…?」
神明通りの交通量を思い出すたび、感覚的な引っかかりを覚えていた。
 でも、いったん書き終えたこの夏、初めて泊まりがけで村の何もなさを味わって戻り、ふらりと通りの喫茶店に入ってアイスコーヒーを頼んだ瞬間、
「ふらりとアイスコーヒーが飲める!」
そのことに感激し、同時に引っかかりがスッと消え失せた。笑うなかれ、宮下の森の中にあった喫茶店(前回参照)どころか、同じ十万都市でも喫茶店やスタンドコーヒーにありつけない街だって本当にある。会津若松は都会だ、大都会だ。
 それを抜きにしても、「シャッター通り」と呼ぶにはあまりに多くの店が開いているし、人通りも絶無になることはない。もう少し遅い時間、たとえば夕方のこの通りを見たことはないから、私が見た以上に実は潤っていることを期待。

 ちなみにアイスコーヒーを頼んだ喫茶店は、この、土蔵に手を加えて作った店。神明通りから西側にヒョイと入った一角の、薄暗いのを逆手に取ったシックな店内。頼んだところでランチセットがあるのを見て、昼食にする。建物は土蔵でもメニューは普通の喫茶店と変わらないが、玉子を落とした丼入りのハヤシライスがうまかった。
 もちろん、こんな風に手を加えられていない土蔵も、七日町からこの付近までの街中をウロウロすると見られる。古い建築は「ハイカラさん」の大町二之町~田中稲荷神社前の沿道に多く、一日乗車券(後述)を買って、めぼしい眺めを見つけ次第降りるとよさそうだ。

 さて、中心街から若松駅までは、徒歩も不可能じゃないけれど少々距離があり、見るべき物もない。
 前述のバス路線図は七日町と同じような距離に書いてあるが、実は相当に違う。
 が、その路線図を見ると、各地からの若松駅行きの路線が「神明通り」で束になっていて、このため繁華街の中ほどにあるバス停にいると、10分とおかずに若松駅行きが来る。
 これが、なかなかに使える。たとえば、後で書くように、若松城趾から中心部までの道にも見るべき町並みがあるのだけれど、若松駅までは歩けない。でも神明通りまでなら徒歩圏だし、買い物や一休みの選択肢は駅前より増える。
 一般の路線バスと「ハイカラさん」共通の一日乗車券は700円。路線バスの初乗り(170円)だけなら5回、「ハイカラさん」(200円)なら4回乗れば元が取れる。発売場所など詳細はこちら




 冬。夜通し雪が降った朝、東山温泉の宿から。
 名前のとおり、会津若松市の東にある山裾。冬に来た時はそこに泊まり、市内と只見線の会津坂下までを訪ねていた。
 奥座敷と呼ばれる温泉街…そう言うとぜいたくに聞こえるが、「楽天トラベル」などの宿泊予約サイトを使うと、朝食つき6,000円ぐらいから、夕食をつけても9,000円程度からで、そこそこの旅館に泊まれる。
 若松駅も市街地も、バスじゃないと行けない距離。ただ、温泉街の入口に「会津武家屋敷」という観光名所があり、そこの観光案内所で前述の一日乗車券を売っている。また、私が泊まった宿や他のいくつかの旅館でも売っており、いずれにしろ東山温泉を出るところから有効に一日乗車券を使える。

 前日までに市街西側と会津坂下までの只見線を見終えていた私は、市街の東端に回り、そこから西へ、つまり中心街へ向かってみることにした。途中で南下すれば、若松城趾にも寄れる。
 路線バスで若松駅まで出て、クランク状に南東へ進むバスに乗り継ぎ、「徒の町」というバス停で降り、これと思った通りを西に。
 振り返ると、右の写真のように山が近い。街の西側は開けていて会津坂下まで平地だったが、東側を見ると盆地にいること、そして内陸の地方都市にいることが意識される。ただし前を向く分には、道の両側に雪が盛り上がるとはいえ、東京近郊でも見るような住宅地。地図によれば、この道はまっすぐ中心街の南端まで続く。

 住宅地を7、8分歩き、左手に高校を見て、それを過ぎると、ちょっと雰囲気が変わってくる。

 両側に板塀や石垣が増え、古いお屋敷や、お屋敷とまでは言えなくとも由緒ありげな木造家屋が点在する。忘れた頃に人か車が通るだけの道。冬支度をした松の枝から、雪が落ちる音。そういえば、塀越しに枝を伸ばして道を囲む木々が増えてきた。

 もう少し歩いて、これまた大きな家だなあ…と思ったら、料亭。さらに歩みを進めていくと、同じような割烹料理店が見え、その先は小料理屋などが中心の古めかしい飲み屋街。地図によると市役所が近く、となると会津地方を管轄する官庁も遠くないことが想像できる。「公費で官官接待」という一昔前の話題が思い出されたが、地方都市では、ある程度の役人や校長クラスの教員になると、自腹でする宴会もそれなりの場所で開かないと地域社会から批判されるとかで、質素に済ませればいいものでもないらしい。ちなみに普通の飲み屋街は、別の東西方向の通りにある。
 このあたりで左へ、つまり南へ曲がると、若松城趾方面。

 鶴ヶ城。このサイズでは見えづらいと思うが、雪化粧も加わって、なるほど美しい。

 ただ、周囲の町並みや木々が美しさを引き立てていることを、忘れたくない。
 少なくとも私は、レンガ塀と水路と街路樹に挟まれた歩道の方に目を惹かれる。城跡には入らなかったけれども、透明な水が流れる水路や雪に包まれた街路樹に見とれながら、城の向かいまで行って戻ってきた。

 東西の通りに戻ってまた歩き、やがて市役所の前に。

 写真がヘタで申し訳ないのだが、「こういう建物が仕事場だったらなあ…」と思うぐらい、見事に私好みな戦前の洋風建築。なぜ平日だった前回に寄らなかったのか後悔するも、現役なのはうれしい。
 十万都市の市役所にしては小さく見えるが、この角度から見えにくい位置に正面の倍ほどの奥行きがある。それでも手狭そうだけれど、周囲に分庁舎めいたものはなく、基本的にこの建物一つで本庁の機能をまかなっているらしい。
 同じ通りにある電力会社の営業所をはじめ、この先にも古い洋風建築が散見される。そういえば低い建物にも商店が混じり始め、何より人通りが増えてきた。神明通りは、もうすぐ先だった。

 その神明通りに入る本当に目の前で、「蒲生氏郷公墓墳之地」とある路地【右写真】を右手に見つける。奥の高い建物は神明通りに面したビルで、要はメインストリートのすぐ裏手だ。
「墓ってことは、寺があるんだよな…でも、まさかこんな繁華街に…」
 くぐるように歩いていくと、ぽっかりと、雪に染まった寺の境内があった。すぐ西隣にビルの谷間があり、さかんな車通りが見えているけれど、なぜか音は届かず、別世界。逆を振り返ると一角に盛り土、その上に灯籠みたいな墓石がある。
 会津若松の大名家というと戊辰戦争のあの家が思い浮かぶが、ここへ商工業を持ち込んで街にし、会津若松と命名したのは、その前にいたこの人だった。滋賀県日野、三重県松阪市に続く、この人の最後の「商業都市創出プロジェクト」。だとすると山の上の荘厳な寺院よりも、中心街のすぐ隣の方が墓所にはふさわしいかもしれない。
 この寺には他にも何かと由緒があるらしいものの、そのことは省く。ただ、「すぐそばにメインストリートのにぎわいを見ながら、ここは静かな寺の境内」というギャップがちょっと面白い。



 以上、夏の旅・冬の旅を混ぜてとりとめなく書いてきたが、東京への帰りは毎回、会津若松17:12発の「あいづライナー」。
 昼過ぎ以降、極端に遅くならなければ何時でも構わないので、「じゃあ乗り心地のいい列車で」(第1回参照)という基準で毎度この列車になる。
 若松駅にはその1時間半から2時間ほど前に着いて、駅の食事処でとても早い夕食。これも毎度同じ。
 これは、おいしい当地の郷土料理が手軽に食べられるからだ。
 
 おつまみ向けの二品。単品で頼んでも400円前後、これらが必ず入るセットメニューもあり、それならもっと割安になる。
 左は棒鱈の甘露煮。棒鱈は鱈の身を細く切って氷点下で干し、包丁で簡単に切れないぐらいカチカチにしたもので、北海道産だが主に関西で食べられる。大阪以外で棒鱈を見たのは初めてだけれど、よく考えたら保存食だから、内陸部で郷土料理になっていても不思議はない。歯ごたえがあっておいしいが、もちろん水で戻して煮ているから適度にである。
 右は、ニシンの山椒漬け。只見の山奥に続き、ここでも山椒。食事が進みそうな甘酸っぱさで、見た目よりも食べでがある。そういえば、ニシンも関西でよく出てくる食べ物。
 …それらを肴に二杯ばかり飲んで、蕎麦屋さんということなので、食事はお蕎麦にする。
 お蕎麦は冷たいのにして、一緒に温かいものを一品。

 こづゆ。京料理の輸入っぽいが、醤油だしの中に、大小の里芋、椎茸、にんじん、白滝、お麩…と、とにかく一杯入った温かい料理。お椀がやや小さいものの、食べでは十分。本来はお祝いの席で出る料理らしく、となると、こんなに手軽に食べられる店は他にはないかもしれない。

 適度なほろ酔いとともに会津若松を出て、夕暮れ(冬はすでに夜だが)の磐越西線を東へ。
 うっすらと眠気がある一方で、アッと言うような車窓もなければ、地形にかかわらず走り方に変化もない。
 でも、なぜか眠れたことは一度もない。中途半端な眠気は気分が悪く、一眠りしてスッキリしたいのだが、通過駅の木造駅舎に目が向いたり、停車駅で行き違いがあるかないかを気にしていたりする。木造駅舎も単線も、私にはまだ非日常だからだろうか。座席も東京の通勤電車とは違う。
 18:11に郡山。連絡改札を挟んで階段を二回上がり、18:34発の「つばさ126号」に。複線になったし駅も現代的になったけれど、まだ眠れない。駅の間は広々とした田畑だったり、その中を川が流れていたりしていて、これも東京にはないからか。そういえば新幹線の速さも只見線の遅さと同じぐらい非日常だし、リクライニングシートもそうだ。
 大宮の間近になり、ゆっくりになった列車が大都市圏を感じさせる街と駅へ近づく。
 と、ようやく眠気が強まってくる。
 でも、もう寝ちゃいけない。東京駅まで20分あまり。乗り過ごすことはないが、寝入りばなを叩き起こされるのは後味が悪いし、あわてて降りると忘れ物をする…でも、ああ、どうしようもなく眠い…座席が非日常?知らない…。
 19:56、東京到着。毎回無事に起きて下車できているが、眠る寸前みたいな状態で足を進めねばならず、さらに混んだ通勤電車に乗らなければならないのは非常に苦痛だ。
 旅のご感想をどうぞ、とここで聞かれたら答えはこうだ。
「ああ、最悪…」
 さんざん楽しんでおきながら、なんという身勝手で短絡的な総括。
 蕎麦屋で飲まなければいい話だが、次に行った時に、そうするつもりは全くない。
 そして、このあと眠って目を覚ますと、またすぐにでも会津・只見の土地と鉄路…「『エッちゃん』の世界」をめぐりに行きたくなっている。

ファイル 23-1.jpg
【おわり】

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