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只見線往還記~『エッちゃん』の世界・3

【前回の続き】

★3.宮下の駅と町・後編

 さて、町内めぐりの途中でも書いたが、私は只見川を橋の上からではなく、「横から」見たかった。
 そして川は町のすぐ北側を流れているから、町内を北へ進めばすぐ、あの広いゆったりとした流れを小高い位置から望めるはずだった。
 でも、結局どこから北へ向かっても、森か丘が立ちはだかってしまう…日帰りで立ち寄った初回は、そのまま若松へ戻ってしまった。



 二度目のこの夏は宿を取り、夕方に宮下へ着いた。
 駅前からの道を、突き当たりで左折すると町の中。だが宿は、まだ行ったことのない右手の方にある。
 ひっそりした通りを東へ進み、三叉路を通り越すとすぐ、聞いていたとおりに左斜めに細道が出ていた。
 そこへ入るや道の両側が、木立に囲まれた墓地に。一瞬ゾッとするが、よく見ると家ごとの墓に寄り添うようにして、かなり小ぶりの苔むした墓石がひしめいている。一人の戒名だけが刻まれ、側面に「文久」「安政」といった年号。言葉どおりの「先祖代々の墓」ということなのだろうか。
 やがて車一台分ほどの舗装道路に合流して、曲がりながら下り坂になる。と、その先に…

 木々に混じって、木の葉とは別の緑色が見えた。小走りに坂道を下る私。

 只見川だった。ゆったりしたエメラルドグリーンの流れを、横から静かに見下ろす眺め(写真は翌朝の撮影)。
「これが見たかったんだ…ただ、もう少し広がりがほしいかな…」

 ここまで、少し早歩き気味な私の足で駅から8分ぐらい。
 道はそこで鋭角のカーブになっていて、それを曲がるとすぐ、下に細長い二階屋が見える。
 これが今日明日とお世話になる「栄光舘」という宿だ(写真上部の建物…翌日に川の向こう側から)。

 南からの支流が只見川へ合流するところにある、一軒きりの温泉宿。右手に見える坂が下りてきた道で、宿で行き止まりになっている。
 外観、それに客室は旅館というより民宿のそれだけれど、共用トイレの個室は新しめの洋式に変わっている。そしてこちらにあるとおり、廊下や浴室はなかなか小ぎれいで、渡り廊下なのも涼しくて気分がいい。冬は寒かろうが、何十メートルもあるわけじゃないし、風呂上がりならいい気持ちだろう。
 その風呂は、掛け流しだという温泉。だいぶ熱いが、言われたとおりに脚だけを1分、腰まで1分浸かってから体を沈めると、染み入るようないい湯になった。そして二方向に連なる広い窓からは、只見川。開けて、網戸越しに風を感じることもできる。宿や立ち寄り湯は他にも若干あるものの、川を向いた窓があり、かつ開けられるのはここだけのようだ。

 夕食は、当地や付近の産らしい根菜や肉、山菜。この日は「土用の丑ですから」ということで真ん中にはウナギが鎮座しているが、もう一日は川魚だった。かと思うと刺身の小鉢がチョコンと出てきたり巨大な海老フライが横にデンと居座っていたりして、とにかく満足。
 この温泉と食事、そして一軒宿の静けさがあるなら、9,600円は高くない。

 さて、その食事場所は広間で、隣の客との間に古めかしい木の衝立が一つ。初日は私を入れて4組の客があったが、私の一番遠くに座る老夫婦1組の他は、みな一人客。
「只見線のお写真ですか?」
 飲み物を持ってきた宿の女性が、「ご旅行ですか?」ではなく、いきなりこう聞いてきた。
「…ええ、まあ」
 町の中をウロウロするためだ、とは言いづらく適当に答えたが、でも駅だとかも撮るんだから全くウソでもないよな…と思いつつ私は言葉を継ぐ。
「でも、乗ってもいいもんですねー。緑がきれいで、窓が開いて涼しいですし」
「はぁい。でも遠いでしょう」
「ええ。でもいろいろ珍しくて、あっという間でした。けどたしかに、会津若松から一時間半ですもんねー。それに本数もないし…」
…と言った瞬間、書き終えたばかりの『エッちゃん』の設定にフッと不安がよぎった。詳しく書くのはよすが、もし、その不便に耐えて若松でもどこへでも日々通学するのが普通だったら、話が根底から成立しなくなる作品なのだ…あくまでも念のために、私は尋ねる。
「…これだとやっぱり、たとえば若松の高校へ行く子は、みんな下宿になっちゃいますよね?」
「いぃえ、通う子もいますよ」
 えぇ?!
「一番の汽車(筆者注:宮下5:57発)に乗って、体力が続く限り…っていう感じですかねぇ…」
 やばい…どうしよう、来月の新刊なのに…
「でもクラブもできないし、それに雪で止まりますから、やっぱりほとんどの子は…坂下の学校なら町のバスで送るんですけど…」
 …よかった。その程度なら何とかごまかせる(笑)。ホッとさせてもらった上に、話の続きで雪の時期のことをいくつか聞くこともできた。
 ともあれ温泉宿なのと同時に、ここは撮り鉄・乗り鉄の宿でもあるらしい。加えて河川や道路の工事関係での出張客もあるようで、一人客でも普通に迎え入れてくれる。
 三つ向こうの老夫婦も、宿の人との話を耳に挟むに、ご主人に鉄道趣味の気がある様子。私も今回は町がメインとはいえ、その趣味がなければこの土地を知ることもなかった。残る一人客2人はその席で会話は聞けなかったものの、うちお一人とは風呂場でその種の会話が成立し、もうお一方も翌朝それらしき装備で出かけるのを拝見した。
「撮り鉄の宿」
 などと書くと、騒がしく群がって一般の旅行客に「邪魔だ!」と叫ぶような手合いの巣窟みたいに思われてしまいそうだが、そのタイプの趣味者の多くは、コンビニがなく、携帯電話の電波も怪しいような場所で夜を越せない方々なのでご安心を。
 それで思い出したけれど、私の携帯電話はこの宿どころか、宮下の駅も町もすべて圏外。他社の携帯電話でも「場所によっては通じない」程度のことはあるかもしれない。



 翌日の昼までが、前回書いた町めぐりの二回目だった。
 その時に出てきた西の町外れの橋の他に、宿の近くにも、川を渡る橋がある。地図によると、渡った向こうで突き当たる道が少しの間、川のごく近くを走っていた。もしかすると、そこからも川を横から見下ろせるかもしれない…。

 昼に駅の撮影をした後、さっそく行ってみる。
 「メイン通り」を東へ向かい、昨夜はスルーした三叉路を左折する。道はすぐ右に折れ、少し下ると宮下大橋という橋のたもと。
 だが、ここの向こう岸も、橋が出ている部分以外は木に覆われている。向こう岸から川が見えるか微妙だ。
 そして「大橋」と言うだけあって、こちらも(私としては)なかなかに高い。
 でもせっかく来たし、徒歩で探索できる場所はもう他にないので、躊躇しつつ渡ってみる。
「うわ…怖い…」
 たいていの道と同じく、ここでも歩道は端っこだ。車が通る様子とセンターラインがないのを幸い、真ん中を早足で歩いていく。

 しかし渡り終えて川下の方(東)へ曲がるや、繁る木の葉に切れ目を見つけた。

 そしてほどなく、この展望。山の間をゆったりと下る川。水に映る、山の緑と空の青…それを、高さを恐れることなく、鉄橋を渡る間だけという時間制限もなく、じっと見ていられる。

 正面を向くと、わが宿が。二階屋がこの大きさになることで川幅を想像されたい。

 さらに先へ進むと眺めは隠れてしまったが、ひょんなことから、川へ向かって下りていく獣道みたいな道を発見。足下と、腰まである両側の草に注意しつつ降りていくと、朽ちかけた小さな桟橋とボート、そして間近によく澄んだ川の水面。
 
 左写真が川下側。左奥に見える橋は、前々回に列車が渡る写真を載せた只見川第二橋梁(その写真もこの時に撮影)。
 右写真が川上側で、赤い橋が宮下大橋…高いかどうかは各位の判断を待つ(笑)。
 …もしかすると宮下周辺にないだけで、他の場所にはいくらでも楽に降りられる岸があるのかもしれないが、「只見川の岸辺」からの写真というのは、ちょっと珍しいと思う。

 さて、橋を渡ったことで、もう一つ発見が。
 岸へ降りる場所に行く途中で、左手に建物が見えてきた。それも一軒じゃなく、かつ住まいとも工場とも違うような感じ…。
 
 いまここカフェ…そちらを見るとたしかに、テラスのある喫茶店らしき店が。なかなかおしゃれで、まわりの景色にも合っている。
「そういえば、喉も渇いたな」
 そう思って近寄ってみると…
『営業日 木・金・土・日』
 ちなみにこの日は、それ以外の3日間。どうりで人気がないわけだ。まあ、この道沿いに15分以上いて車も人も全く見なかったから、ここじゃ毎日営業は無理か…。
「ただ、日を限ってるってことは、木、金はさておき、土日は観光客がそれなりに通るのかも」
 …あまりその可能性は高くなさそうだが、町の人々のためにそう信じたい。
 ちなみに「いまここカフェ」の看板の奥に見えるのは、木工品の販売や制作体験のための施設だが、やはり今日は閉まっていた。

 さらにその奥には「ふるさと荘」という、いわゆる公共の宿(写真左手)。そしてその先の赤い屋根(右手奥)が、町でやっているらしい日帰り温泉+食堂。この2つは、この日も営業していた。
「宿はさておき、日帰り温泉や食堂を、こんな誰も来ない場所で週前半の平日に…」
 実はそう思って日帰り温泉に入り、そこで建物の脇から道が出ているのを見つけたのだが、意外にもカウンターに湯上がりの客がいて、中のおばちゃんと話していた。周囲に人家はないが、ここはクルマ社会。料金表を見ると町民料金と一般料金がある。銭湯みたいな機能も持ち、それもあって存在できているらしい。案の定、食堂の方に人気や食べ物の匂いはなく、名物の「地鶏ラーメン」が唯一のメニューになっていた。
 お金を払い、おばちゃんに尋ねられるまま立ち話をしてから、階段を降りて浴室へ。日帰り温泉といっても露天風呂もサウナも打たせ湯もなく、窓も開かない屋内の風呂に入るだけだけれど、かわりにここも掛け流しだそうで、例の方法で熱いお湯に入る。公共の宿の風呂も似たような感じらしい。

 前に「いくらなんでも何もない」と評したが、実は川の反対側にちょっとした「観光施設ゾーン」が作られているのを見つけた。
 ただしもちろん、それらの流行らない施設たちは、この「何もない」という評価に何らの影響も及ぼさない。でももちろん、同時に書いた「数日ボンヤリするのにちょうどいい町」という評価も、私の中で変わることはない。



 その晩も泊まって、翌日が帰る日。
 9:14発の上りで、若松へ戻る旅程。7時半から食事をし、サッと一風呂浴びて、8時半過ぎに宿に別れを告げる。意外なことに朝食は7時半が一番早い時間で、その前の7:33の上りや7:35の下りに乗りたい時は、前もって言う必要があるようだ。
 駅まで10分ほどだから、もう少し遅く出てもいいのだが、この列車は下りと行き違いをするため、発車の20分近く前に駅に着く。そのあたりから駅の様子を眺めていたかった。7時台のそれとともに一日2回きりの、貴重な行き違いシーンだ。

 登校時間帯から外れているにもかかわらず、駅には案外な人数がいた。といっても10人もいないが、昨日の昼よりはずっと多い。ちなみに今待っている9:14発の次が、昨日見た13時ちょうどの列車になる。
 私服の高校生らしきお兄ちゃん1人を除けば年齢は高めで、この土地の人たちのようだが、大きめの荷物を持った旅行客らしき人も混じる。すでに改札の柵は開けられ、一部の人はホームに出ていた。

 9時少し前に上り列車が入線。到着を見守る駅員氏は昨日と同一人物なのだが、昨日の昼間と違って、手にタブレットキャリアがない。下り列車が会津坂下方面から当駅へ向かっているから、「当駅~会津坂下」のタブレットはまだ渡せないのだ。
 一方、「会津川口~当駅」のタブレットを持ってきた運転士も、それを駅員に渡しながら、今朝はホームに降りてきた。

 当駅までのタブレットを受け取った駅員(左)と談笑しながら、降りた運転士(右)も駅舎に向かってくる。そして二人とも事務室の中へ。朝に東を向いた、非冷房車の運転席…15分以上も止まったままなら、一休みもありだろう。もしかすると、勤務割りに「休憩時間」として正式に組み込まれているのかもしれない。
 駅にはタブレットの仕事があるので、有人駅でも車掌が下車時の改札をする。その車掌も、降車客1人の改札を済ませると事務室へ。
 窓ガラスの内側で駅員が、閉塞機のボタンで会津川口駅と合図を交換してから、受話器を取って話している。当駅行き違いの場合、回収したタブレットは閉塞機に収めず、かわりに「そのまま反対列車に持たせる」という連絡をする。交替要員(駅員は基本的に朝交替の24時間勤務)なのだろう、赤帯の制帽をかぶった駅員がもう一人いて、列車が着く前から窓口の応対をしたり改札の柵を守ったりしていた…職員の方も、この時間は少しにぎやかだ。
 駅にいた客は、全員上り列車に乗り込んだ。こちらも一連の動きを眺めた後、一度乗って座席に荷物を置くも、すぐにホームに戻り、木道の構内踏切を渡って下りホームへ。

 下りホームは野ざらしだが、レトロ好きにはたまらない感じの待合室が一つ。
 木道を渡ってきた駅員が下りホームの一番前に立ち、会津坂下方向を見守る。
 やがて坂下側の森に下り列車の顔が現れ、ゆるゆるとホームに入り、上り列車と並んだ。カランカランカランカラン…旧式の鈍いアイドリング音が交錯する。
 
 駅員は、今度は手にタブレットキャリアを持っていた…先ほど回収した会津川口~当駅のタブレット。坂下~当駅のタブレットを受け取ってから、それを差し出す。その手前に、車内を駆けてきた車掌が飛び出てきて下車客の改札。
 タブレットを交換し終えた駅員は、やや急ぎ気味に木道へ引き返す。私もそそくさと上りホームへ。
 駅員が戻った事務室に、会津坂下からの応答を伝える「カァン、カァン、カァン」というベルの音。合図と「下り到着、タブレットは上り列車に持たせる」旨の連絡を済ませ、また下りホームへと向かう駅員。その姿を目に入れてから、私は上り列車に乗り込んだ。
 向かって右手の隣で、下り列車がエンジンをうならせて発車していく。ややあって今度は左手のホーム上を、駅員が列車の先頭へと急いでいった。手にはさっき下り列車から受け取った、会津坂下までのタブレット。そしてほどなく笛が鳴り、床下からエンジン音が響き出し、じりっ、と前へ進む感覚。さようなら会津宮下駅、宮下の町…開いた窓と鈍い加速が、私の知らない「汽車時代の旅」を想像させる…。

 向かって左手のわが席は北西を向いていて、風はいよいよ涼しい。

 第二橋梁で只見川を渡り、第一橋梁で只見川を越え、それ以外は森の中か小さな駅…という車窓が、行きと順序を逆にしただけで続いていく。
 ただ、行きに全く乗り降りがなかった区間の途中、会津桧原で制服姿の高校生が二人ほど乗ってきた。車内を見ると、ボックス1つにつき1人ぐらいの車内には、年配の客や私服の若い世代に混じって、制服姿がちらほら見える。
「休み中の部活動や補習も、普通は朝からで、でなければ午後から半日だろう」
自分の仕事場や今までの旅の車中からそう思ってきたのだが、この中途半端な登校時間はいったい…考え込もうとしたところで気がついた。次の上りは四時間近く後で、これが午後からの登校に間に合う最後の列車なのだった。
 山を越え、会津柳津で温泉帰りの客と高校生が10人近く乗ってくるも、まだ森が多い。川の見えない狭い段丘上を少し走ってから、また鬱蒼とした木々とトンネルの中へ。

 …そんな中を乗ること、35分あまり。
 アップダウンをしていた線路が下り一辺倒になり、木々の向こうにチラッ、チラッと明かりが見え、だんだんその間隔が短くなってくる…

「帰ってきた!都会に帰ってきた!」
 どう見ても都会じゃないのだけれど、一面の平地を見た瞬間、思わず心でそう叫んでしまった。ただ、やがて坂下の町が近づいてきて、久しぶりの警報機が鳴る踏切を経て家並みに入り、スピードが落ち始めた。小学校のプールサイドに、列車に手を振る子どもが二人。開いた窓から思わず振り返し、歓声を受ける。
 
 会津坂下の構内に入ると、乗客の何割かが席を立ったが、一方で、ホームには20人はいるだろうという人数が集まっていた。
 それも若い顔が多く、私服と若松市内の高校の制服姿とが入り混じっている。当駅9:55発。遊びに出る私服組にはちょうどいい時間だとして、少なからぬ午後登校組が、若松へ毎時1~2本のバスが出ているこの町でも、やはり只見線を使う。

 坂下を出ると大きく向きが変わり、それまで北向きだった車窓が日射しを受け始めた。しかも一面の田園だから、日を遮る物も現れない。
 でも、私は眼を細めて座り続ける。まぶしくても窓からの風はやはり涼しかったし、それに坂下で客が増え、どのボックスにも先客がいて移動がためらわれた。もちろん行く末を考えれば、その程度の混雑はむしろ好ましい。
 行きとは逆に、南向きから徐々に左カーブして北向きになると、家並みが近づいて西若松。
 終点・会津若松まであと2駅。ここで高校生が若干降りるが、それ以上に次の七日町の手前で、男女の制服姿が終点を待たずに席を立つ。
 そして私も、ここで途中下車。

【つづく】

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