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ひなびた場所の桜を求めて、中国山地の一角にある町・智頭(ちづ)に行った。
杉林の山に囲まれた、因幡街道の宿場町。鳥取市から日本海に注いでいる千代(せんだい)川の、上流というか源流がある場所。その町中にある川の堤に、見事な桜の古木が、百メートル以上にわたって並んでいる。
もともとは、「西日本の山中にある雪深い町」を求めて、この二月に訪ねた場所だった。
昨夏、山の反対側にある岡山県・美作地方へ行った際に、土地の人々から
「ここはそうでもないけど、那岐(なぎ)山から向こう、智頭の方は豪雪地帯だよ」
という話を聞き込んでいて、それで町の「雪まつり」に合わせて訪れたのだ。
しかし着いてみると存外暖かく、雪は河原や家々の軒を薄く染めているだけ。地面にも積もっていなくはないのだが、思いのほか浅い。夜に備えて様々な雪灯籠が道の両側を飾っているものの、よそから持ってきて置いた様なぎこちなさがある。
「ハハ、そんなのはホントに山奥の方だけだよ…この灯籠の雪だって、そこから運んだんだもの」
世話役のお一人であるらしい親父さんが、笑ってそのカラクリを教えて下さった。なるほど、町を囲む山々は確かに真っ白だ。
「……………」
けれども、まず町並みがよかった。京格子、板塀、木枠の窓や玄関…さして広くない道の両側に、古い木造の構造物が並ぶ。旅行客の通り道もそうだし、そこから一本入った住宅地にもその空気が濃い。
城下町などで、市町村が家主に補助金を出して町並みを維持している例があるけれど、ここでは二、三の保存家屋は別にして、役場は特に何もしていないとのこと。つまり町の人々の「なんとなく」に支えられて、この、かつて物流や林業で栄えた古い町はその姿を今にとどめているのだ。
町の人々といえば、雪まつりにも手作りの空気があふれていた。露天商のたぐいは一軒もなく、辻々で空地にテントを張ったり、商店の一階を片付けたりして餅や汁、焼き鳥や缶ビールなどを売っている。そこで暖を取りつつ、昼は豆まきや餅つきや杉玉作り、そして夜は雪灯籠の灯る町をそぞろ歩くだけ…。
「人を呼ぼうとするあまり騒がしい行事になり、町の良さが台無しに」
そんな失敗とは無縁な、静かで暖かいお祭り。というより、どうやら東京や大阪から人を呼ぶことなど念頭になく、鳥取市や、せいぜい山向こうの津山あたりから人を呼んで、そして自分たちも楽しもう、という趣向らしい。
にわか作りの「店」で、缶ビール片手に一休み。居合わせた人たちに声を掛けられ、話になる。町並みの感想を感激のまま話していると、後ろで立ち話をしていた、白髪混じりのやや上品な男性が隣に座ってきた。
「東京から来てみて、どうですか?」
住めるなら住みたい場所ですね、自分に勤まるような仕事があれば…と、素直かつ安易な思いを返す筆者。
「なに、仕事なら心配ない」
「へ?」
「東京まで智頭急行と新幹線で四時間。通っても十分睡眠時間が取れる!」
真顔で冗談を言いつつ差し出す名刺を見ると、この町の町長その人だった。
「この、目の細かさと真っ直ぐさが智頭の杉の特徴でね…一説によればその昔、大国主命が…」
木を貼り合わせて作った名刺を差しながら、町長氏は名産の杉材にまつわる雑学を熱く、しかし飄々と語って下さった。そして、初夏に山から吹いてくる「緑の風」の匂いを絶賛し、三月末の「雛あらし」という行事や四月に咲く川沿いの桜とあわせてぜひ体験するよう、まわりの人々とともに暖かい眼差しで勧めてくるのだった。
…あの、つまり東京から毎月来いってこと?
そんな次第で、桜というと智頭が思い浮かんだ。東京から中国山地というと果てしない感じがするが、上述の通り、智頭ならばそう長旅ではない。どのみち関西へ行く用事があったから、ほんの少し足を伸ばすだけだ。
しかし夜行があれば、新幹線よりさらに早く現地入りできる。そこで費用の節約も兼ねて、前夜十時に、高松・出雲市行き夜行「サンライズ」の「ノビノビ座席」に乗車。朝六時前に兵庫県の西端・上郡に着くと、十数分後に智頭急行線経由・鳥取行きの特急がやってくる。
列車は岡山県東北部の山地をかすめて鳥取県へ入り、その入ったところが智頭町なのだが、沿線の山野はまだ全体に枯れ木の色が濃い。
「東京の一週間遅れぐらいで…と思って来たけど、早かったかな」
智頭駅で降り、まだ眠っているかの様な町を歩いて千代川にかかる橋まで来ると、果たして桜並木は、蕾の色でほんのり紅くなっているだけだった。無理もない話で、まだ吐く息が白い。
「……………」
がっかりしろ、自分。そう言い聞かせなければならないほどに、しかし筆者はまだ咲かぬ桜の枝に見とれてしまった。おそるおそる、一歩二歩と近づく………東京でもどこでも、咲いた桜はおおいに人を集める。でもその直前までは、まるで別の木であるかの様に誰もそれを気に留めない。なのに筆者は今、乾いた枝の上で朝日を受ける、小さな紅い蕾がとても気になっていた。そして離れて眺めれば、紅色の霞がかかった様な不思議な世界が…東京で、蕾を付けただけの桜の木が、そんな風に見えたことがあっただろうか。
「あ……」
冬には真っ白だった町を囲む山が、杉の深々とした緑色に覆われている。
枝越しに見下ろすと、上流域の透き通った川の水が、ところどころで渦を巻きつつ豊かに流れている。
その二つの背景が、蕾でしかない桜を鮮やかに映えさせていたのだ。
人が来て、電球を吊り下げる線を木々に渡す作業を始めた。川を後にして、町中の、昔の街道だった通りへ。もともと観光客がどっと押し寄せる町ではないが、来週あたりの桜を前に出控えがあるらしく、古い町並みはひっそりしている。遠慮なく道の真ん中を歩いて景色を堪能し、一般公開されている広い屋敷をゆっくりとめぐる。酒の蔵元があり、ちょうど出たところだという新酒を味見。日本酒はやらないのに、思わず五合瓶を衝動買い。
川のさらに上流が見たくなって、智頭急行の普通列車で、もと来た方へ一駅戻ってみる。
大股十歩分ほどの幅になった川の周囲だけが平らで、その両側は杉の山。集落も駅も斜面にへばりついている。川筋には現代の因幡街道が沿っているが、車はポツリポツリとしか通らず、とても静かだ。
ここにも川沿いの一角に桜並木があって、やはり緑の中にうっすらとした紅い霞を見せてくれた。川のそばには他にも、菜の花が点々と咲き、ネコヤナギが芽吹いている。冷たそうな水の流れが菜の花を鮮やかにし、菜の花の黄色が透き通った川面をさらに青くする。
ひたすら杉林だけの様に見える山も、入ってみると梅がひっそり咲いていたりする。少し湿り気を帯びた様な、木の匂い…ここは確かに森の中なのに、目の前に白梅が咲いている。とても不思議だ。
「少し早く行って、よかったなあ…」
その晩は大阪で、友人たちと夜桜を見た。東京では考えられないことだが、市内のそこそこ内側にある、名所とおぼしき公園にいきなり行って場所が取れてしまう。それも驚きだったし、なにより真っ白に映える桜はきれいだったけれど、その間もなお、智頭で見た紅色の霞は、筆者の頭を離れることがなかった。
以上、四月の第一土曜日の話である。もちろん咲いた桜も格別に違いなく、それを見るなら第二土曜日あたりということになる。