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只見線往還記~『エッちゃん』の世界・2

【前回の続き】

★2.宮下の駅と町・前編


 会津宮下駅構内を、小出側の踏切から。
 行き違いの二本の線路に加え、側線が右手奥の車庫みたいな建物まで伸びている。中には除雪車が収まっていて、いかにも豪雪地帯らしい。
 それはさておき、周囲には森がそびえ、駅を出て行く線路はカーブしながらその森に吸い込まれていく…架線がない線路を見るまでもなく、いかにも相当なローカル線の駅といった眺め。そして現に、ここを通る列車は一日に上下各6本だけ。
 …と来れば無人駅か、せいぜい土地のお年寄りや主婦が日中だけ出札をしている駅だ。いまや日本全国、それがお約束なのだが…。
 
 でも待合室に入ると、飾りっ気も何もないものの掃除が行き届いている【左写真】。
 その一角にある、レトロなスタイルの出札窓口【右写真】には現役の気配。都会の有人駅と同じような端末機が、電源を入れた状態でガラスの向こうに鎮座している。
 そしてその前には、さっきまで誰かが座っていた。
 やがて外のホームに、小出方面から上り列車が着く音。
 
 JRの制服を着た初老の駅員が、列車を出迎えながら前へと歩く。運転台の横に着くと、運転士が差し出す「タブレット」という輪っかを受け取り、引き換えに手に持った別のタブレットを運転士に渡す【左写真】…この交換作業ゆえに当駅では、手旗を持ち、制服制帽に身を固めた駅員が列車を出迎え、そして見送る【右写真】という景色が今も見られるのだ。
 それは前回の会津坂下駅も同じだが、ここは川の上流の森の中。本格的な有人駅であるのが、一層不思議に思える。


 ちなみに「タブレット」だが、正確には、輪っかの中に入れられた金属製の円盤のことを指し、輪っか自体は「タブレットキャリア」という。
 円盤には○や△などの印が刻まれ、それらの形が「会津川口(一つ手前の行き違い駅)~宮下間に入ってよい」・「宮下~会津坂下(次の行き違い駅)間に入ってよい」といった意味を示している。
 タブレットは駅事務室の張り出し部分【上写真・屋根の下の窓】にある「閉塞機」【右写真】から取り出す。取り出すのは「タブレット閉塞」という信号方式のためで、その概要は下記リンクを参照されたい。
 「タブレット閉塞」の概念図
 明治末期に始まり、永らくポピュラーな信号システムだったけれども、もちろん今、こんなことをしている区間はほとんどない(なお閉塞機の写真は許諾を得て撮影)。
 さて、今の上り列車の場合、ここ宮下駅では、
①あらかじめ一つ先の会津坂下駅と合図の交換(閉塞機のボタンを押して信号を送る)+電話連絡をして、このあと当駅~坂下間に列車を通すことを確認。閉塞機から「宮下~会津坂下」のタブレットを取り出しておく(取り出すのにも合図交換がいる)。
②そして列車が着くと、それを渡す。かわりに、列車が手前の会津川口駅から持ってきた「会津川口~宮下」のタブレットを回収し、閉塞機に収める。
③発車後、会津坂下駅と合図交換をし、「列車が出たよ」という電話連絡。
…という仕事をしなければならない。
 具体的には、駅員は運転士との交換作業の後、回収したタブレットを持ち帰って閉塞機に収め、閉塞機のボタンで会津川口駅と「列車が着いたよ」「了解」という合図を交換する。そして出発信号機を青にし、再びホームに出て発車の指図…という作業をする必要があり、それらを行う2~3分の間、列車は行き違いもないのに止まって待っている。当駅で行き違う場合は、お互いが持ってきたタブレットを相手に届ける+両隣の駅へ合図+連絡という作業になり、さらに停車時間が延びる…。
 何事も自動制御でスピーディになっていく時代だが、手仕事が作るゆったりとした時間の流れが、ここには残っていた。
 この他、「手前の駅が『列車を出したい』と要求してくる」「手前の駅から列車が出た」「一つ先の駅に着いた」という時にも合図交換や連絡があり、相手の駅からの合図を伝える「チィン、チィン!」「カァン、カァン!」というベルが事務室の外まで聞こえる。つまり列車が1本通るたび、断続的にとはいえ一時間以上作業があり続けるわけで、ひなびた雰囲気の割には、駅員が気を抜ける時間は少ない。


 先ほどの窓口を守るのも、この駅員。指定券こそ出せないものの、日本中のJR全駅への乗車券を売っている。そして通学時間帯以外の列車でも乗車ゼロということはなく、その人たちは窓口で切符を買う。
 とはいえ、日中で列車1本あたり2~3人、一番多かった朝九時過ぎの上り・下りでも合わせて10人ほどだ。別に高校生が坂下・川口の双方と行き来するが、後で書くように最大に見積もっても全部で30人程度だし、彼女・彼らは定期券を買う日以外に窓口に用はない。
 …この夏。今ここに載せている文章や写真のために、その窓口で入場券を求めた。
「すみません、入場券を1枚下さい」
「はいはい。えーっと………大人、でよろしいですか?」
 小皺の寄った優しそうな目を見開き、駅員氏は意外なことを聞く。
「え?………大人、ですが」
 三十代後半の身に意外なことを聞かれ、こちらも口調が戸惑いがちに。
「ハイ、本日の入場券、大人1枚。ありがとうございました」
 無事に大人の入場券を購入。そのままホームへ行こうとするが、改札がわりの柵が閉まっている…と、今の駅員氏が何かの用事でホームに出てきて、私と目が合うや「あ、そうか!」といった風に目を丸くした。
「ああ、あなたが使われるんでしたか!じゃあ大人だ!…すみませんねえ」
 柵を開けながら、先方は照れくさそうに笑う。
「ええ、大人です(笑)」
 やはり笑って応じる私…聞けば入場券は、車で来て記念に買っていく人がほとんどとのこと。言われてみると、たしかに列車で来て駅を撮るなら下車のついでに済ませてしまえるし、逆に当地に滞在でもしない限り、下車・乗車以外であらためて駅に入る時間もないだろう。
 ただ、下車のついでであっても、しばらくホームにとどまるなら、その間駅員は柵を開け、構内に人がいることを気に留めていなければいけない。少しだが売上にも貢献できることだし、たとえ切符があっても、その分のお金ぐらいは別に払ってもいい。

 どちらにしろ、駅を見る限り旅先として滞在する人は少なそうだ。どんな町なのか…以下、この夏に町で泊まった際の道のりや時間を使って、町内をたどってみる。
 なお、こちらの「三島町観光協会」のWEBサイトもあわせてご覧を。




 朝九時すぎに上下列車の行き違いがあり、それを見に行った後、駅舎の出口から外を望む。
 最初に来た時は驚いた。役場の所在地だから、いわゆる「駅前通り」が、ごく小さいながらもあると思っていたのだが………。
 ただ、左手の画面外にパンメーカーの看板を出した雑貨屋がある。しかし贈答品や野菜が目立ち、他に清涼飲料水とアイスクリームのケースが見えるものの、肝心のパンがあったかどうか記憶が定かでない。
 また右手には野菜を売る「棚」があり、平日の午前中には町で採れた野菜が並べられ、お婆さんが座っている(背後に建つ農協が主催しているらしい)。気をつけて見てみたのは夏だったが、ナスやカボチャをはじめ、季節の野菜がひととおり並んでいた。そのまま食べられそうな物はトマトとキュウリぐらいで、おいしそうだったけれど、食べ頃のものは九時前の時点で売り切れ。「八時ぐらいまでには来てくれねぇと…」とのこと。
 町域の各地へ向けて町営バスが3路線、それぞれ一日5本ぐらいずつ駅前から出ている。うち2路線は只見川沿いに向かうので、鉄橋撮影に使えるかもしれない。
 ちなみに画面中央の細長い構造物は、コンクリートで嵩上げされた電話ボックス。ここが豪雪地帯であることを、静かに物語っている。その時期にも来てみたいが、只見線の運休が続いて帰れなくなる可能性がちょっと怖い。

 正面の細い道を進むが、赤提灯がなければ見過ごすようなお好み焼き屋が1軒ある他は、民家と空き地。地形図では、町並みは線路のすぐ近くなのだが、実際には駅から離れているのだろうか…その細道は数十メートルで終わり、東西の道に突き当たる。突き当たりの向こうに、なぜか木に隠れるようにして小さな信用金庫。右に駐在所、消防署の出張所と続くが、いずれも見落としそうな規模だった。

 突き当たりを左へ曲がって、西へ歩く。
 商店街などでは決してないけれど、ただの集落にしては店の看板が目立つ。しかし人通りは少なく、車が何台も写っているがこれは偶然で、実際は忘れた頃に一台、二台と通るぐらいだ。まあ、歩くうちにだんだん中心らしくなっていくのだろう…。

 …が、実はこれが「町の中心」だった。こんな感じの通りが200メートルほど続いて、その先は田んぼと民家だけになってしまう。
★通りを歩いて見つけたもの…デイリーストア、クリーニング屋(2)、美容院(2)、古いお屋敷を使った居酒屋、民芸品店、雑貨屋、洋服屋、郵便局、旅館、工務店、薬屋、食堂、医院、酒屋
 デイリーストアを除き、もちろん大手チェーンなどではなく個人商店だ(デイリーストアもフランチャイズだが、規模や品揃えという意味で)。
★予想に反してなかったもの…本屋、電器屋、携帯電話を扱う店、学習塾、パチンコ屋、食品スーパー、土産物屋
 最初は「まさか役場のある集落で…表通りにないだけだ」と思ったが、次の訪問で他の場所を探してもなかった。要するに、この通りにあるものが宮下の町の小売・サービス業のほぼ全部で、ここにないものは町のどこにもない。
「ここでも国道沿いの大型店に客を取られて、中心部が衰退してるのか…」
 一瞬そうも考えたけれど、これまで見てきた沿線の山深さと人口の希薄さを見るに、国道沿いに大型店があること自体が想像しにくい。念のため宿で聞いてみても、そんなものは坂下まで行かないとない、という。
 つまり、元からこれが「町のすべて」なのだった。
 ちなみに本屋がないのは『エッちゃん』を書く上で困るのだが、しらばっくれることにした(笑)。

 
 とはいえ、緑も豊かで、古い建物がよく残された「町の中心」である。さらには静かで、蝉の声や風が木の葉をなでる音が聞こえる…そんな中で、品揃えや値段を問わなければ生活に最低限必要な物は揃う。個人的にはスタンドコーヒーや総菜屋がないのが辛いけれど、それは大都市部で遅くまで働き、何でも買って済ませる生活に慣れてしまっているからだ。
 人が買い物をする現場には数えるほどしか出くわせなかったが、見た限り、そこには何らかの会話があった。客は必ずしも高齢者ではなく、そしていちいち車でやってくる。ロードサイドの大型店が周囲になく、町域の買い物客がすべてここへ来ていることの証明かもしれない。



 …いちいち眺めたり撮ったりしながら歩いたので、通りを見終えると十時を回っていた。
 左手に役場を見て、食堂と酒屋を過ぎると、町の中心は終わり。さらに西へ進むと民家だけになるが、家並みはみるみる希薄になり、小学校のグラウンドを過ぎると田園地帯に。人も車も通らなくなる。
 やがてその中に、アイスクリームと飲み物を売る店がポツリと見えた。
「なんでこんな場所に…」
 不思議だったが、それよりも喉が渇いていたので、ジュースを買う。商売になるのか聞きたかったものの、まさかダイレクトにそうは聞けず、適当な回り道も思いつかなかったので、よした。
 飲みながら南を向くと、通りから枝分かれした道の先に踏切、その奥に高架の道路が少しだけ見える。
「このへんに高速道路なんか、あるはずが…」
 そのまま直進しても何もなさそうだし、踏切もあるので行ってみる。途中、両側を民家に囲まれるが、すぐに尽きる。

 踏切から見た只見線。宮下駅から小出方向に伸びている線路(手前が小出側)だが、草ぼうぼうだ。そして急な登り勾配。あえぐように登ってくる列車を見てみたかったが、次の下り列車は四時間以上先だった。譲って上り列車を待ってもあと三時間はある。

 その先の、森から飛び出ている高架道路は、会津若松から続いている只見川沿いの国道。もとは「街の中心」の通りが国道だったらしいが、相当前に付け替えられたようだ。
 一般道路なので、向こうへ回り込むと普通に入口があり、入ると歩道もある。片側一車線ながら広めで、ひさびさに見るセンターラインが新鮮。でも車は一分間に一台通ればいい方で、何分も来ない時も普通にある。只見線もそうだが、沿線にはこの程度の町しかなく、大きな街同士を結んでいるわけでもないからだ。

 ただ、高架なので町を一望できる。町は「これがほぼ全景」と言っていいほどの大きさだ。右の白い建物が小学校で、どこの田舎町でも役場と学校はきれいだけれど、もちろん大きくはない。
 道沿いの雑草にタデが混じっていて、山椒の匂いが鼻をくすぐる。そういえば宿の食事にも山椒の和え物が必ず出ていた。

 国道を東へ進むと駅の方に戻れそうだが、ここから東は木に遮られて町が見下ろせない(町からも、ここに国道が走っているのは見えない)。
 だから、さらに西へ歩いて眺めを楽しむ。でも道はすぐ下り坂になり、同時に北向きにカーブを描いて、さっきまで歩いていた通りの続きに近づく。そして通りの続きと地上で交差する。
 交差点に面して、二方向を森に囲まれた中学校。グラウンドの向こうに立派な三階建ての側面が見えたが、正面に回ると長さはさほどでもなく、昇降口も職員玄関みたいな幅しかない。
 下駄箱らしき棚は、40人分ぐらい。ピッタリということはないから生徒は30人程度で、町から坂下や川口へ通う高校生も同様の数ということになろうか。通学と言えば国道に面して、かつての寄宿舎らしき廃屋があった。



 さて、国道は交差点の少し先で長い橋になっている。町の北側を流れる只見川で、たもとまで行ってみると例の広い流れが見えた。橋を進めば間違いなく、数十メートル真下にその川面が展開する。
「……………」
 鉄橋からの車窓に感動しておいて何だが、私は高いところが怖い(笑)。鉄橋の場合は車体に守られているし、足がすくむのに関係なく列車が進んでくれるから何とかなったのだが…。
 というわけで、私は真上からじゃなく、横方向の少し離れた位置から川を見下ろしたかった。
 が、ここでも橋のたもと以外の川岸は、びっしりと森に囲まれている。
「橋の上以外からも、只見川の流れを見たい」
 それは只見線の乗車中にも期待していたことで、でも只見川流域に入ってからここまで、そういう車窓はついになかった。国道に上がったのもそれが理由の一つだったが、やはり川を囲む森しか見えないのだ。

 
 田んぼと森の間を東に歩いて、町へ戻る。あと三十分ほどで正午だった。
 役場は通りから一歩奥まっていて、その角にある食堂で、名物だという親子丼を食べる。ネギのかわりに、アクをよく抜いたゴボウ。ダシが少し濃かったが、鶏肉に弾力があって「食った!」という感じがした。なぜか食堂や酒場だけは町に4つもあり、それぞれに地産の品で名物料理を作っている。
 角のこちら側では、石の桶に清水が湧き出している。野菜を洗うためのようだが柄杓も置いてあり、冷たくてうまい。
 通りから民家の間を南に抜けて、線路際へ。線路の向こうが一面の森のせいか、家しかないのに蝉の声が聞こえる。軒の影が涼しい。

 町一番の神社・三島神社…参道に踏切があるというのは、日本でもここだけのような気がする。
 無人だが、よく手入れされている。静岡の三島大社を勧請してきた、ということになっていて、三島町という(自治体としての)町名の由来だそうだ。この近辺でもやはり、ところどころで清水の流れる音がする。
 そのまま線路沿いに駅へ戻る。十二時半に駅へ着き、一時の上り列車を見ようと入場券を買った。それが冒頭のエピソードで、これにて町内一周完了だ。



 …前にも書いたように土産物屋はなく、博物館や資料館、各種の体験施設といったものもない。
 もちろん土産になるものはあるし、展示すべき歴史や体験すべき産業などもあるのだけれど、それを来た人に楽しく、分かりやすく見せる仕掛けがないことになる。
 要するに、一般的な「泊まって観光」というイメージでたどると、この町には何もない。たとえば自分の勤務先の生徒を連れていったとして、楽しんでもらえる自信は絶無だ。
 町をはるかに離れれば、家族連れでキャンプをするような施設や、そういった向きが立ち寄るドライブインなどがあるようだ。けれどもそこへは、只見線利用では行けない。

 ただ、体や心が本当に疲れた時に、この近辺に宿を取って何日かぼんやりとし、日に一度、食事や買い物をしにちょっと町へ出る…そんな過ごし方の「町」としてはちょうどいい。泊まったのは一度で二泊だけだったが、そう思った。いつかぜひ時間を取って、今度は三泊はしたい。
 そう言うからには、ぼんやりするのにピッタリの宿もある。それも、なんと駅の徒歩圏だ。次回の冒頭で紹介する。

 あとは、只見線の乗車・撮影目的の旅行ならば、ここは最高の拠点だろう。
 坂下や柳津では鉄橋が連続するゾーンから遠すぎるし、かといって、ここより奥は進むにつれて駅のそばが淋しくなり、補給基地として心もとない。宿が駅近くにある場所も沿線には少ないし、それにここなら、最寄駅でタブレット交換も見られる。

【つづく】

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