【前回の続き】
★1b.只見線の開けた窓から
さて、いよいよ只見線である。
前回の最後に載せた写真でも窓が開いていたが、非冷房車だ。分かってはいても、初めて見た時は久しぶりすぎて不思議にすら思えた。
会津若松駅から離れていく方が下りで、終点の新潟県・小出までは135.2キロ。
なおこの先も複数回旅行しているが、前回に続き、この夏の往路での時刻を主な地点に添える。会津若松17:01発。『エッちゃん』が作中で乗っていた列車でもある。
南西に進んで七日町、南下して西若松…ここまでは会津若松の市街地と言ってよい。七日町については後日、若松市内と一緒に紹介する。
都電や阪堺電車のような速度で、2駅・約3キロを6分かけて走る。両側は住宅地だが家と線路とは離れ、間に草地が見えていたりするが、七日町のすぐ先の踏切付近にだけ、左手に大都市部の下町かと錯覚しそうな景色がある。エンジン音さえしなければ、いよいよ路面電車だ。
ここは会津盆地の真ん中。そして扇風機も止まっているが、夕方のせいか、そんなスピードでも走っている限りは涼しく、停車中も暑くはない。
17:01発は通学の帰りにあたるが、それに乗ったのはいずれも土日か夏休み中だったので、乗車率は若松発車時で座席の半分弱、西若松で座席の6~7割程度。
【西若松 17:07着・17:17発】
会津若松~西若松には会津鉄道線のディーゼルカーも乗り入れていて、市街地の終わり・西若松駅で両者が分岐する。
只見線はここから南西に向きを変える一方、会津鉄道線はそのまま南下して、大内郷や湯野上温泉、尾瀬などの観光地を含んだ一帯へ向かう。沿線人口も只見線沿いよりいくらか多く、加えて終点では、最終的に東武線とつながる私鉄に接続。つまり浅草や北千住から「スペーシア」に乗って(もちろん乗り換えを挟むが)上記の観光地や会津若松へ行ける。
本数も会津鉄道の方が多く(下り会津若松発で会津鉄道17本vs只見線7本)、観光向けの快速なども走るから、むしろ只見線が会津鉄道に乗り入れているような感じだ。唯一、駅構内の線路が”只見線上下2線+枝分かれする会津鉄道1線”という造りになっていて、それが辛うじて只見線の方が「本線」であることを示している。
会津若松17:01発に乗ると、西若松で上り列車と交換しているところへ会津鉄道の若松行きが入ってきて、乗り場が3線とも埋まる。でも3線はもちろん、2線が同時に塞がるのも一日のうちその数分間だけだ。「逆『点と線』」というところだろうか。
さて西若松を出ると、列車はそれまでよりスピードを上げていく。といっても最高で時速60キロ程度だと思うけれど、ともあれ涼しさが増す。
あらためて天井を眺めてみる。やはり楕円形の屋根をそのままトレースしているだけで、冷房装置らしきものは見当たらない。
そして開いた窓からじかに景色を見ることや、レールの継ぎ目の音を直接聞くことはとても新鮮で、なおかつ懐かしい気持ちになる。
会津坂下まで、途中に5駅を挟んで約30分。沿線はひたすら【左写真】のような田園風景。雪の時期には一面の雪野原になる【右写真】。
もっとも、駅が近づくと、集落やそれを囲む林の中に入る。この間の駅のほとんどは町や村の中心か、かつてそうだった場所で、もとは行き違いや貨物扱いのために2本以上の線路を持っていた。が、片面ホーム一つだけにされたのはまだしも、駅舎も簡単なものに改築されて「昔っぽさ」は少ない。
一駅だけ、写真の風景そのままの中にホームが一本、という駅がある。「根岸」という、なんだか東京に通えそうな名前の駅だが、ここはもとからホーム一本きりだったようで、かえって昔っぽさが残る。
「こんな眺めの中で、しばらくボンヤリしたい…」
という方はぜひ途中下車を。ただ、ここに限らず途中下車すると次の列車は4時間後だったりする(北に2キロほど歩き、隣の新鶴駅付近まで行けば飲食料品が手に入る)。
その根岸~新鶴を除いて、駅と駅の間は3~4キロに伸びる。ところどころで、進行方向に向かって右カーブ。会津高田を少し過ぎたあたりで、ついに日の向きが逆に…つまり南向きだった列車が北へ向かって走るようになる。
「googleマップ」などで見ると分かるが、実はこの先の会津坂下は若松の北西にあり、線路はその間を「し」の字に大回りしている。ここまで大回りする地形上の必要も見あたらず、建設当時(坂下まで1926年開業)の人文地理的な事情も分からない。ただ、最初から小出までの長距離路線として計画されたわけではないようなので、この付近の輸送需要に応えることが建設目的の一つだったのかもしれない。坂下~若松についても、当時ならこの程度の回り道をしたって最速かつ最強の交通手段だっただろう。
ただ現在、この大回り区間にある会津高田などでの乗降はあまり多くない。逆に、若松市内からまっすぐ会津坂下へ向かうバスが毎時1~2本あるにもかかわらず、市内から只見線に乗った高校生の多くが坂下まで乗り、そこで降りていく。バスの車内風景も見てみないと何とも言えないが、やはり通学定期は列車の方が安いのだろうか。
【会津坂下 17:45着・17:49発】
会津若松から約40分(途中の交換待ちがない場合)。北向きだった列車が、徐行同然の速度でしか曲がれない左カーブで一気に西南西を向くと、久しぶりに線路が2本ある会津坂下駅【上写真】。
左の写真でホームに林立するのぼり旗は「春日八郎の出身地」を宣伝するもの。ここまでやると他に名物が何もないように思えてしまうのだが…町域には平安期からの寺社などがあるものの、駅からは遠い。駅からだと町役場の近くに、会津戦争の女性戦士・中野竹子の墓所を収めた法界寺という寺がある。古い町並みの奥まった場所にある小さな寺だが、積雪期の夕方に寄ったら、しばらくボンヤリたたずんでしまった。
そして、沿線では久々の大きな町。駅前で飲食料品の調達はできるし、郵便局のそばにはコンビニ、町の中心に向かっていくと食堂やスーパーもある。馬刺が町の名物だとか。
さて、話は駅に戻る。
若松の高校への行き帰りの他、町自体にも高校が二つあり、学期中の平日朝夕の列車到着前には、ホームは端から端まで高校生たちに占拠される。でもそれを除くと、乗車は一列車あたり10人足らずから、多くて20人台。その列車もわずかに上り7本、下り6本だ。
なのに駅員が、それもJRの正社員が常駐していて、ホームで列車を迎える【下写真】。「タブレット閉塞」という信号方式のためだ。
タブレット閉塞については解説するWEBサイトがいくらでも出てくるので、それに譲るが、とにかく手旗を持った駅員さんがホームに出て列車を待ち、そして見送るという風景が、ここでは列車のたびに必ず見られる。いまや有人駅の多い都市部でもあまり見るものじゃなく、ましてや田舎の、木造駅舎にディーゼルカーという景色の中では本当に希少だ。
そして、列車の到着前後と休憩時間以外は、待合室で窓口が営業する。隣の駅までの切符も窓口で買えるというか、券売機がないのでそうなる。特急券でも長距離の乗車券でもない切符を窓口で買う機会も、あるようで実は少ない。
西会津から只見までの、列車の行き違い可能な駅は全部そうなっている(ただし窓口については西会津にはない)。ただ行き違い駅といっても本数が本数だから、実際に行き違うのは、ここ坂下でも朝と昼過ぎの2回だけ。
なお、会津坂下で乗客、特に高校生がだいぶ入れ替わる。とはいえ乗ったままの客も無視はできず、平日夕方の下りは当駅乗車の高校生を加えて大混雑になるが、休日や休み中は座席半分程度の乗車率で発車する。
会津坂下の先で盆地は尽き、一転、林の中をアップダウンするようになる。だいぶ入ったところの、誰が住んでいるのかという景色の中に片面ホームの塔寺駅。それを出ると初めてトンネルも現れ、うち一つはちょっと長く、その先で眺めが開けると会津坂本。短く書いたけれど、駅から駅までの間はさらに伸びている。
会津若松から1時間。山を越えて、只見川沿いの谷に入ったのだが、次の会津柳津の手前までは、進行方向に向かって右手の眺めが開けている。ごく近くを只見川が沿っていて、それを囲む杉林のおかげで川筋も分かるものの、崖を挟んでだいぶ低い位置を流れているので水面は見えない。
【会津柳津 18:09着・発】
やがて木々の間に入り、会津柳津。駅は林の中だが、少し離れた場所にある町は役場の所在地。東西数キロにおよぶ、河岸段丘上の広い平地に家々が集う。
温泉も湧くせいか、高校生以外の下車客が必ずいる。高校生も若松市内から乗っていた子はもちろん、坂下乗車組もここでゴッソリ降りていく。休日・夏休み中は、夕方でも一両あたり10人乗っているかいないかという車内になり、以降増えることはない。
ここまで二、三駅ごとに町や村の中心近くを経てきたが、それもここまで。並行する路線バスも柳津で尽きる。そのせいか、特に夕方の列車だと、木々の間から町並みが見えるにもかかわらず、淋しい気分になる。
そして、なおも只見川の川面は見えない。
柳津の町を見送ると、木々は窓の間近まで迫ってきて、そして途切れなくなる。もはや只見川の所在自体も確かめようがない。
つまり写真のような眺めが、ずうっと続く。森は深く、まとまった明かりは線路と木々との間に射し込む細い日射しだけ。列車はエンジンをふかして坂を登ったり、ブレーキをきしませて下りたりを繰り返すが、なぜか下りでもスピードが出ない。たとえば柳津と次の駅との間で、3.6キロに約7分を要している。
…こう書くと退屈そうだが、開けた窓から直に見ているので緑は鮮やかだし、蝉の声や下草が風にざわつく音が時々通り過ぎるので、案外飽きない。そして入ってくる風はいよいよ気持ちよく、そしていい匂いがする。もっともそれは夏場の話だけれど、秋は秋で、杉ばかりじゃなく落葉樹や蔓草も混じる森なので紅葉が美しい。雪が降れば降ったで、雪国以外の人間にとっては非日常の眺めだろう。
次の郷戸駅も林の中。只見川の本流沿いに取り付く平地がなくなるため、ここから支流沿いの回り道を登る…といっても、やはり川は見えない。
その次の滝谷では片側の木々が切れて人家が見えるものの、線路に迫る上り斜面に家が数軒へばりついているだけなので、開けたという感じはしない。家々は雪の深い山間部で時々見る、急勾配の大屋根を載せた古い建築。段々に切り開かれた田畑がそれを囲む…近くまで会津宮下からの町営バスが来ているので、只見線と組み合わせて、その景色を短時間だけ楽しむことも可能かもしれない。
その先で支流を渡るために森が切れるが、渓流なので橋は短く、景色も鬱蒼としているので、やはり開けた気分はしない。ただ数十メートル下の流れは美しく、そして高さにはギョッとする。
それが終わるとまた森で、続いてすぐトンネル。
ここまでで一番長い、といっても600メートル程度だが、途中から速度を上げるも抜けるのに1分近くかかる。柳津からこの先の会津宮下までは1941年の開通で、そのせいか断面が狭く、開けた窓の外ギリギリに壁が迫る。でも、その壁面のコンクリートは平滑で錆もひび割れも見えず、現代に造られるそれと遜色がない。
ちょっとした勾配や長大トンネルを避けて回り道をするのも戦前ならではだが、決して技術が低いばかりだったわけでも、やっつけ仕事で鉄路が敷かれていたわけでもないと知る。
トンネルを抜けると久々に、短いながらパアッと景色が開ける。森が、やや見下ろし気味の位置にある。
すぐまた木々の中に入ってしまうのだが、長めの下りになっていて、列車のスピードが速い。実際は時速50キロ程度だと思うが、それすら久々の速度なので軽快な気分がする。
この先では駅の前後だけ、上の写真のように眺めが開けてくれる。つまり速度が落ちて森が切れると、それが「まもなく次の駅」という合図だ。
会津桧原着。列車は支流沿いから只見川の段丘上に戻ってきているが、やはり乗り降りはない。
すぐに発車すると、また森の中。
ただしここも杉林の連続ではないので、森の表情は刻々と変わる。もちろん窓からは、さまざまな自然の音たちが。会津若松を出てから1時間20分あまりが過ぎていた。
と、トンネルになり、それをくぐり終えた列車が急に速度を上げ始め、前方の木立の向こうに水面が…。
只見川第一橋梁。只見川の谷に入って30分近く、ようやく初めてその水面を見る。
まるで下流のように広く、そのくせ深い山々に囲まれる豊かな流れ…その景色自体も鮮やかだけれど、これだけの距離にわたって眺めが開けたのは久しぶりで、それにも感激だ。
柵も何もなしにいきなり数十メートル下の水面。さすがに乗り出す気は起きないが、ガラス越しじゃなしに直接見られる、というのもすばらしい。
ちなみに、この鉄橋をゆく列車を見下ろし気味に撮った写真は、「只見線」で画像検索すればいくらでも出てくる。鉄道趣味の世界で第一橋梁は、この先に多数ある只見線の鉄橋の中でも随一の、そして国内有数の名被写体だ。
橋の終わりで速度が元通りに下がり、またトンネルをくぐって森の中へと戻り、少し走ると、森が切れて会津西方。乗客に動きはない。森が切れてはいるが、桧原も西方も、窓から見える人家は数えるほどだ。
その駅を出ると、また深い木々の間へ。しばらくゆるゆると走っていた列車が、また速度を上げていく。小さく鳴らした警笛がやけに反響する。
第一橋梁から4分ほどで、ふたたび只見川の上へ。只見川第二橋梁だ。撮影地としては第一橋梁よりマイナーだが、上流が夕陽の差す方を向いているので、夕方の車内から見る川面がとても美しい。夏場の若松17:01発だけの特典だ。
この付近から1時間ほどの間に、只見線は線路の適地を求めて都合8回も只見川を渡る。
第二橋梁を地上から。実は柵がないどころか、車体が微妙にはみ出し気味にすら見える。
とはいえ戦前の、それも物が不足していた時期の建設路線。その時期にこんな立派な鉄橋を、当時も一ローカル線でしかなかったこの区間に惜しげもなく架けていたとは…。
今度は鉄橋の先にアップダウンがなく、列車は軽快な速度を保ったまま木々の間に入っていく。
少しすると、そのスピードのまま眺めが開け、草原や田んぼの向こうに杉林のてっぺんだけが見え続ける。その向こうは只見川だ…会津柳津の手前以来、しばらくぶりに広がる平らな地面。そして、まっすぐに川と並行を続ける線路。
ようやく列車の速度が落ち始めた。短く林を抜け、渓流を渡り、そして、これまた久々にまとまった数の人家が現れた…夕暮れ時の列車だと、ホッという息が思わず漏れる。空いた車内で高校生と大人が数人、パラパラと立ち上がる。
【会津宮下 18:32着・18:34発】
川沿いの町、会津宮下。会津若松から1時間30分あまり。
そして会津坂下から約45分ぶりの、列車の行き違いができる駅。
【つづく】