教えようとすると伝わらないの記    悩み相談などによくある落とし穴だが、生徒にとって楽に近づけ、何でも引き受けてく れる「いい先生」になり、それで一生懸命仕事をしている気分になってしまう事がある。  それでは生徒は成長できないし、教員も裏切られたりして徒労を感じるばかりだが、教 員も無意識のうちに頼られる事自体を安心材料にしてしまっており、そこから抜けられな い、という構図である。  失敗を踏まえ、はるか昔にそういう危険性から脱しているさる先輩が「それが一番怖い」 と言う。いわんや、お人好しかつ生徒以下の精神レベルしか持ち合わせていない筆者をや、 である。  ともあれ、相手や要求の中身によっては、核心を突いて頭を冷やさせたり、分かるまで 黙って見てるだけを決め込んだりしなければいけない。  しかし、厳しく何かを言う時の私はそうとう口が悪いそうで(「出直してこいやボケ!」 とか本当に言ってるらしい)、事が必要以上に大騒ぎになり、誰かが取りなすまで生徒が 学校に来なくなったり、はたまた先輩から「お前には真心というものがない」などと説教 されたりする。だから、安直に助け船を出そうとしてしまう。困ったことだ。  夜学時代、漫画や文章を書いて世に出したいという後輩が数名現れた。そういう精神は 人として大事だと思っているので(それもあるが自分も好きなので)、部室を取らせ、ノ ウハウやヒントを教えに行っていた。  が、夏になっても秋になっても、彼らは何もしない。制作途中で放棄された紙を床に落 とし、創刊の目標だった大学祭の二週間前になってもくっちゃべってゲームをしていた。  ある日、私は忽然と自分の作品と編集の準備とを始めた。本当は自治会役員やら大学祭 実行委員やらで授業に出る暇もない時期なのだが、可能な限りの時間、部室で黙々とペン を使ってへたくそな漫画を描いた。  彼らに何かを教えてやろうなどという気は、もはや全くない。 「決めたからには、意地でも本出したる!」 というだけだ。口をきく余裕などなく、彼らが話を振って来ても無視し、近づいてくれば これ幸いと作業を押しつけた。  …そうして二日が過ぎ、三日が過ぎると、一人またひとりと、紙やワープロに向かい始 めた。  かくて本はできた。当日に。 「あの時の○○さん(大学での私の通り名)は、どやしつけられるより恐かった」  ともあれ、彼らはこのことでノウハウと自信とを身につけ、各自の表現をコンスタント に描き続けて定期的に本が出された。初めてだというのを無理やり手伝わせて私の原稿を ダメにした後輩は、現在イラストの達人になっている。商業誌に手が届く人間も現れた。  技量だけでなく、仲間作りや責任感という面でも成長してくれたのも、うれしかった。  そのまま高校に持ち込む訳には行かない話だが、紙とペン、そして背中で教育ができる こと、「教えてあげよう」などという高邁な考えを捨てた時に何かが伝わることは、忘れ たくないものだ。 (2002年12月)