ワールドカップを観ながら  いきなりで恐縮だが、わが阪神タイガースが健闘している。「幻の優勝」から10年、 親会社の株を買ってまで応援してきた甲斐があったというものだ。  ところが、新聞・テレビはワールドカップ一色である。プロ野球も伝えることは伝える が、後の方でしかも扱いは小さい。テレビにかじりつきっ放しというわけにも行かないの で、阪神戦の結果は翌朝の新聞を待たねばならない。そして、職場で野球の話を振っても あまり盛り上がらない。  だが、 「阪神が強いのはワールドカップより珍しいんだぞチキショー」 などと恨むつもりはない。サッカーにはいい思い出もあるし、スポーツを応援する者とし て、ここぞと盛り上がるサッカーファンの気持ちは分かる。  それと、いざ行われたワールドカップを見て、ほっとしていることがある。世間は思っ たよりサッカー一色にならなかったことだ。野球部員はいつも通りプロ野球のプレーにつ いて四の五の議論していたし、漫画研究部はしこしこと制作にはげんでいた。ある日、試 合が行われた時間にその方角から来る電車に乗ったが、いたって静かだった。  またサッカーファンにしても、「日本がんばれ」一色ではなく、他の国のファンが大勢 いた。これもいいことだ。  筆者が何を用心していたのかというと、「スポーツファシズム」である。 マスコミにバンバン宣伝させたり、「ボランティア」を狩り出したりして、オリンピック などを国民的行事にし、「これで盛り上がらずば非国民」式に国民を団結させるという、 近代以降多くの国々がよく使ってきた手法だ。  一応それは杞憂だったようだ。それでも、様々な人がいるスタンドで一斉に「日の丸」 が振られている姿は、ちょっと背筋が寒かったが。  それぞれが、いつもの時間、いつもの場所で、いつもの話題に興じている。これぞ平和。  様々な娯楽があるこの国で、特定のスポーツのために学校が休みになるというのはちょ っと恐い。そこで、 『日本が決勝に出てもブラジルが優勝しても俺の授業は平常どおりだ』 と宣言したところ、ブーイングの一方で、拍手も送られた。平和だ。  生徒諸君、休むなとは言わない。そのかわり、阪神がいよいよという時は、私も休んで 甲子園に行かせてもらう。  なにしろこちらは、20年に一度だから。 (2002年5月)