『この道一筋に生きて』木村某 【生涯一教師:木村の回顧録 1】  職業は、生きていくための手段だ、と割り切っていたはずだった。  正直な話、若者と接するのは、今でもあまり気が進まない。  気がついたらある程度の大学へ進学する道を歩いていて、なんとなく国文学を選び、な れたから教師になった。自分と妻、子供を養って、分相応の余暇や趣味が購える給料をも らい、その範囲だと自分が思うだけの仕事をする。あとは、年齢相応の出世。それだけだ。  と、こうして文字に書くと冷淡な感じがするが、私は決して、自分のその考えが他人と 比べて特段冷淡だとは思わない。  逆に諸兄に尋ねたい。  仕事が楽しくて仕方がないと思っている人間がどれほどいるのか、と。  使命感を第一に据えて職業生活を送っている人間がどれほどいるのか、と。  就きたいと思った職にそのまま就ける人間が、いや、そもそも就きたい職をあらかじめ 明確に選べている人間がどれほどいるのか、と。  むしろそれらに当てはまる人間の方が、言葉は悪いが、おめでたい部類ではないか。  ・・・あの出来事に、そして彼等に出会わなければ、きっと私は墓へ入るまでそう思っ ていただろう。  あれは確か、1学年の古文の授業だった。そこに至るまでの流れは忘れてしまったが、 進路について今から考えておく様に、という話になった。  すると、一人の生徒が、お前はどうして教師になったのか、と問いかけてきた。  この問いに、私は激しくうろたえた。  人にそう問われるのはもとより、自分自身で考えた事すらなかったからだ。思えば不思 議な偶然だったが、十数年この職にあって誰からも尋ねられたことがなかったため、生徒 向けの取って付けた様な答えすら用意していなかった。  だが、その事を正直に言うなどという選択は、あり得なかった。それでは、「今から考 えておく様に」という前言を自ら否定してしまう事になるではないか。  生徒の大半は、かつての自分と同じ様に、漠然と大学に進む以外進路のことなど考えら れなくされている人種だったから、否定したところで影響はなかろう。しかし、中には明 確な将来の希望を持っている生徒も見受けられた。私が夢や希望云々という事を特段考え ずに生きてきて、それに満足しているからといって、わざわざそういう人間の芽を摘むこ とまではしたくなかった。  何よりも、生徒の将来への影響の有無はさておき、あっさり前言を否定すれば、どちら の生徒も私に著しく低い評価を下す事だけは確かだった。それではこのクラスの、ひいて は職場の居心地が悪くなってしまう…。  軽く冗談を言って流してしまおう、という結論を私は見つけた。  たまたま個性的で存在感のある女子生徒が多いクラスだったので、「女子高生が好きだ から」という冗談を思いつき、そう言った。  あとは、笑い声が起こるか、つまらない冗談として失笑を買うかだ。後者の場合、当座 は少し苦しいが、人の噂も何とやらで忘れ去られるのを待てばいい。  だがしかし、生徒達の反応は、そのどちらでもなかった。  全員が真剣な眼差しで、一斉に私に注目した。とっさに思いついたことを口に出したの で、やや大声になったせいもあるだろうが、私の言葉に反応したまま、誰一人、声を出す ことも動くこともしなかった。  縫い針が落ちる音でも聞こえそうなぐらい、教室は静まり返っていた。  丁度そこでチャイムが授業終了を告げたため、余計な仕事はしない主義だった私は構う ことなく教室を出たが、内心はおだやかでなかった。  私が冗談として言った台詞の中に、何か生徒たちの心をつかむ言葉があったらしい…。  居ても立ってもいられない気持ちで、私は教室の前にとどまって立ち聞きをしてしまっ た。女子生徒たちが、しきりに何やら議論している。細かい内容は聞き取る事ができなか ったが、凡庸な教師という私の評価が大きく変わり、畏れ多い者として扱われている様だ。  そして、複数の男子生徒の歓声が聞こえた。その歓声は、私を絶賛していた。「感動し た!」と叫び、涙を流す者までいる様子ではないか。  私の胸に、熱いものが込み上げてきた。・・・感動だ。  生徒に感銘を与える事がこんなにすばらしく思える事だとは、今まで知らなかった。考 えてもみなかった…!!  私は前非を恥じると共に、これからは生徒たちに感動や希望を与えられる仕事をし、そ してそれを目標に生きて行こうと固く誓った。  教師が「女子高生が好きだから」と言う事が、なぜ生徒たちに感動や希望を与えるのか、 それは分からない。でも、とにかくそれが生徒をものすごく元気づける事だけは、はっき りした。  しかし、うわべだけでは偽善でしかないし、いつまで経っても理由を理解できないだろ う。本当に好きにならなくては・・・。  こうして私の真の教師人生は、女子高生好きな教師になろうと努める事から始まったの だった。 【生涯一教師:木村の回顧録 2】  当時、勤務先は文部科学省からとある研究の推進校に指定されていた。平たく言えば、 多様な生徒を受け入れて一緒に教育することがどこまで可能か、という事を研究するため、 一人頭いくらという研究費と引き換えに、入試の成績や資格要件に関係なく生徒を入学さ せる制度だ。  私は、発想自体は悪くないと今でも思っている。だが、やはり役所のやることだった。  予算を出すだけで、検証をしない。年に一度か二度、形ばかりの書類を提出させられる だけである。金目当てに推進校に名乗りを上げ、入れたら入れっ放しにしておいても、全 く分からない。  まさにこの学校もそれで、私はこの前の年まで教務部主任として無難な報告書を作成す る任にあった。  しかし、少数とはいえ文字通り規格外の生徒を入れているだけ、この学校はまだ正直な 方だった。学校の眼鏡にかなった勉強の出来る中学生をスカウトして無試験で入学させ、 この枠で受け入れたと称して研究費だけ受け取っている学校が大半だったからだ。  前置きが長くなったが、ある日廊下で、この枠で入学してきた二人の女生徒に出会った。  春日歩と美浜ちよ。二人とも、他の研究指定校が辞退した枠を引き受けたため、年度が 始まってから急遽受け入れた生徒であるが、すっかり学校になじんでいる。  多くの教師がこの特別枠で入学した生徒の受け持ちを回避したがる中で、谷崎君が二人 を喜び勇んで引き受けてくれた。彼女たちはさぞかし谷崎君に愛されている事だろう。あ るいは、谷崎君は特別枠の趣旨を勘違いして手を挙げた可能性もあるが、そうだとしても 人間味豊かな谷崎君の事だから、気付いた頃には二人を手放せなくなっているだろう。  と、春日君が美浜君を指して、女子高生好きって、ちよちゃんはどうなんですか、と聞 いてきた。他の生徒がただただ私の変化に驚くばかりの中で、何の躊躇もなく話しかけて くる。すばらしい事だ。  ここで、読者諸兄にこういう疑問を持たれた人がいないかどうか、問うておきたい。  春日君はさておき、美浜君がなぜ特別枠なのか、かような天才少女なら、日本中の進学 校が競って受け入れるだろうに、という疑問を。  それは若さゆえ恐れを知らない者の疑問だ、と注意しておきたい。  十歳にしてこれだけの頭脳を持ち、人格も大人の様に出来上がっている。心ある教育者 ならば、むしろ異常を感じるべきであり、想像を絶する複雑な事情を推量すべきである。 逆に、安易な名声欲しさに計算高くあればあったあったで、とんでもないリスクをも背負 う可能性を、読み取る事ができるだろう。例えば、凄惨な犯罪を犯した少年少女には、早 熟ゆえ周囲の過剰な期待に押しつぶされてかかる行動に走ってしまった者が少なくない。  だがしかし、受け入れてしまったからには、他の生徒たちと分け隔てなく接するのが、 教師の努めだ。いや、人間として、人一倍彼女に愛情を注ぎ、彼女が健やかに育って行 く事の助けにならなくては・・・。  子供にしてなかば大人の頭脳と心を持ってしまった美浜君と、なかば大人にして子供の 様な頭脳と心を持つ春日君。  互いに自分にないものを認め合い、相手にないものを補い合って、姉妹の様にむつまじ くしている二人。全く正反対にありながら、出会ったばかりにしてこの様な関係を結べて いる彼女たちを、引き離してはならない。とりわけ、美浜君のために。  そして、私が受け入れるというからには、彼女も他の女子生徒と同様、私が好きという ことになっている女子高生であるのを認めてやらねばならない。しかし、女子生徒として 高校に身を置くにはあまりにもいたいけなその姿に、言葉がなかなか出なかった。  結局、なすすべもないまましばし美浜君を眺めたあげく、これはこれで…、とだけ言う のがやっとだった。  しかし、美浜君のみか春日君もあまり元気のいい顔をせず、心にもない事を言ってしま った呵責だけが残った。   美浜君。一刻も早く、君を女子高生だと思える様になる事で、君を来るには早すぎる場 所に来させてしまった大人社会の身勝手を償いたい。  後生だから、願わくば今しばらく時間を与えたまえ、と、神に祈るしかなかった。 【生涯一教師:木村の回顧録 3】  女子生徒の多くが嫌がっているので、体育祭を機にブルマを廃止してはどうか、という 提案が職員会議でなされた。  太ももをさらす様な服装を一律に求める事は女性差別だ、という意見も女性の同僚たち から出された。  しかし、私からすれば、これらはとんでもない勘違いだ、と言わざるを得ない。  元来ブルマは、女性は着物やドレスに身を包んでおとなしくしているべきだ、という封 建的な発想から女性を解放すべく、女性の教育者が考案したものだ。そして、はしたない、 という男社会の声と闘いながら定着してきた、女性のための運動着である。  そういう歴史を、彼女たちは知っているのだろうか。  他人の視線が気になる、という声がある事も知っている。だが、魅力的あるものに人々 が注目するのは当然の事だ。若々しい肉体が爽やかな汗を光らせて鍛えられて行く姿が、 魅力でなくて何だというのか。注目される事がマイナスに受け取られ過ぎている。横並び 社会の弊害と言うしかない。  また、興味本位に観察の対象にする人間がいるじゃないか、とも言われるが、本末転倒 の議論だ。悪いのは興味本位に観察する方であって、彼女たちは何も悪い事はしていない。 悪い事をしていない側に遠慮をさせている様では、生徒に自信を与える事などできないで はないか。  歴史を教え、信念に基づいて本来あるべき姿を説くことなくして、声が多いから反対、 でいいのだろうか。この同僚たちは、もし生徒の多くが授業反対と言えば、授業を廃止し てしまうのだろうか。確かに生徒を満足させるのが私たちの目的かも知れないが、それは 生徒の要望を無批判に聞き入れる事でなされるべきではない。  こうした思いから、私は、毅然として廃止反対を唱えた。  提案者や賛同者の女性教諭たちは猛烈に反発し、この女性差別主義者、という罵声まで 飛んだ。  歴史を見ろ、どっちが女性差別主義者なのか、と叫びたいのを抑え、私はこんこんと自 分の考えを説き続けた。  だが、ほどなく議長役の同僚が、多数決を取ると言い出した。  冗談ではない。多数決は民主主義の原理だなどと言われるが、それと表裏一体の原理で ある「少数意見の尊重」が、それに比べてあまりにも軽んじられている。この原理ゆえに 討論があるのだから、ぎりぎりまで議論を尽くすべきであろう。何よりも安易な多数決は、 無責任にだんまりを決め込んで多い方に手を挙げる輩や、万一の時の責任逃れのために一 応反対を表明しながら、それ以上議論をしようとしない卑怯な人間を生み出す。  私が憎むのは反発する女性教諭たちではなく、むしろ先ほどから黙って多数決がとられ るのを待っているこうした連中だ。  全人格を以て若者を教育すべき職にある人間が、そういう事でいいのだろうか。職員会 議の大半を占めるこの空気は、尋ねるまで何も発言せず、尋ねても優等生的な答えしか返 さない多くの生徒と重なるものがある。そして、ブルマを嫌がる女子生徒たちの姿とも重 なる。  そう考えると、なおさらここで折れる訳には行かなかった。一年ちょっと前までは、私 もだんまりを決め込んで会議の終了を待つ一人だった、という負い目もあった。  生まれて初めて、私は職場で頭に血を昇らせて吠えた。それが通じたのか、もう少し、 議論してみましょうか、という声が挙がった。  再び女性の同僚たちとの議論になったが、しばらくすると、彼女たちの舌鋒に躊躇が見 られる様になった。そしてそれに応じるかの様に、一人、またひとりと、私の援護射撃を してくれる同僚が現れ始めた。  日頃人格者で通っている後藤さんなどは、「私は木村君の意見に賛成だったのに、こう なるまでそれが言えなかった、私は卑怯者だ、と、涙を流して反省してくれた。  最後までブルマ廃止を主張していた黒沢君が、もう少し生徒を説得してみます、と言っ た頃には、時計の針は午後十時を回っていた。何の意見も表明しなかったのは、はじめか ら寝ていた谷崎君一人だった。  これほど白熱した職員会議は初めてであったが、それを自分が作ろうとは、夢にも思わ なかった。  数日後の体育祭はもちろん、体操服にブルマという姿の女子生徒たちが秋晴れの中に輝 いていた。  自分たちの服装を眺めながら、言葉を交わす女子生徒たちがいた。谷崎君のクラスの、 神楽君や水原 君だ。教職員全員で確認した熱い思いが、彼女たちをして自分たちの美しさに気づかせた 様だ。谷崎君の居眠りには困ったものだが、熱い思いを伝え、生徒を一生懸命にさせる力 には学ぶべきところがある。  私は思わず、彼女たちのそばに行き、万歳を叫んでしまった。  さすがに少し照れくさくなり、とぼけた英語で神楽君をほめた。  神楽君も照れくさいらしく、少し恥ずかしそうだった。  美しいものは美しい。若人よ、ありのままの自分の姿を愛せよ。  そのための課題は、ブルマだけではない。体操服の裾が挟まれたりからまったりしては 危険なので、日頃から体操服はブルマの中に入れておくべきだと言っているが、彼女たち はなかなか聞き入れない。体のラインをさらしたくない、という、彼女たちのこれまた卑 屈な思いが、少し大きいサイズの体操服を着て裾を出しておく、という行動に走らせている。  この事もいずれ議論して、彼女たちが自分を肯定できる様にしてやらねばならないだろう。 【木村の回顧録:4】  いきなり下世話な話で恐縮だが、暑い季節になると疥癬菌という水虫などをもたらす細 菌の活動が活発になるそうで、水虫、それに陰金田虫といった皮膚病を持つ諸氏は、地獄 の季節だ、と言われる。  足や股間を湿気と暑さからなるだけ解放することが、症状の緩和、そして一番の予防と なる。  さて、陰金田虫というと男性の病気というイメージがあるが、女性も罹患する。  愚妻によれば、男性の病気という固定観念があるため女性たちに警戒心がなく、患者は 結構多いそうである。そして、かかればかかったで、先述の固定観念と、場所が場所だけ に恥ずかしいという事とで、相談も治療を受ける事もままならず、重症になるまで一人で 苦しんでしまう例が多いそうだ。  思えば、女性はいつの世でも男性社会から必要以上の羞恥を強いられ、様々な犠牲を被 ってきた。一例を挙げれば、関東大震災の際、多くの若い女性が、裾が乱れるのを恥じて 燃え盛る建物から飛び降りる事を拒み、死を選んでしまった話は有名だ。  教育者として、この歴史に終止符を打たなければ。  そこで夏のある授業で、女子にスカートを脱いでブルマ一枚になる事を許可してみた。  もちろん、陰金田虫云々という説明などはしない。それぐらいのデリカシーは、私もわ きまえている。  さらに、着替えをする事になる訳だから、当然男子生徒を促し、彼等と廊下に出た。彼 等は一言も詮索などしない。単に頭が良いだけではなく、優しさや気遣いも備えた、素晴 らしい生徒たちだ。  が、しかし、しばらくして教室に入るや、女子生徒は一人残らずスカートをはいたまま だった。  意外な結果に、私は呆然とした。  これでは彼女たちが病気になってしまう!そして、この程度の事を恥じる様では、人に 相談すらできず、泣きながら陰部のかゆみに堪えるという悲しい結末になる事は、火を見 るより明らかだ。  君たちは、男性社会に羞恥を強要された、先輩たちの過ちを繰り返すのか。  何よりも、先に述べた男子生徒たちの優しさを、何とも思わないのだろうか。  涙を堪えながら、どういう事なのか、とつぶやくしかなかった。  だがしかし、考えてみれば、いきなり気遣いをされても、戸惑ってしまうのは無理もな い。さりげなく、しかし何度も何度も繰り返すしかない。とりわけ、疥癬菌の伝染の危険 が最も高いプールで、彼女たちに寄り添う事を外してはならないだろう。  神楽君などは、すでに病に一人苦しんでいるやも知れぬ。  息の長い仕事になろうが、彼女たち自身に気づいてもらわなければ、彼女たちの解放は 成し遂げられない。 【生涯一教師・木村の回顧録 5】  授業の空き時間。普段は見ることができない生徒の横顔を探して歩くよい機会であるが、 事務仕事にかまけていたり、休み時間の様に考えていたりする教員のなんと多いことか。 実にもったいない事だが、かつては私もその一人だったから、あまり大きな事は言えまい。  さて、どこへ行こうか。あてもなく校内を見て回ろうと職員室の扉を開けたその時、い つだったか、谷崎君が生徒に混じって体育の授業に参加した事が思い出された。  机に向かうのは苦手だが体を動かすなら任せておけ、という生徒は多かろうし、その逆 の生徒が、努力したり工夫して楽しんだりする姿も見ることができるかもしれない。教室 では見ることのできない生徒たちの姿や表情を見る、という点では、この上なくいい教科 だ。谷崎君は、実にいい着眼点を持っている。  そこで、時間割表で体育の授業を探したが、あいにくと2年生の水泳しかなかった。  体を動かすのはあまり得意ではないが、それでも運動着は持って来ている。しかし、さ すがに水泳着はない。だが、プールにやってきて、ひとり背広姿で見ているというのは、 黒沢君や、真面目に授業に取り組む生徒諸君に失礼だろう。  そう思って何人かの同僚を尋ねて歩いたところ、なぜか後藤さんが水泳着を持っていた。 少しクラシックなデザインで若干抵抗を覚える品だったが、ともあれそれに着替え、プー ルに向かった。  2年の女子生徒たちは、少し驚いているらしく、表情が硬かった。それはそうだろう。 担当でもない授業に関心を持ち、わざわざやってくる教師など、この学校にはなかなかい ないからだ。  それも、(自分で言うのも恥ずかしいが)「女子高生好き」という事で畏敬の対象とな っている==なぜこの事が生徒たちに感動を与えるのかがいまだに分からないのだが== 私が現れたとあってはなおさらだ。  しかし、そのせいで彼女たちをぎこちなくさせては、何にもならない。  緊張を和らげようと、黒沢君が指示を出すべく、はーいそれでは、と言ったところへ、 すかさず、「そのまま体育館へ行ってバスケをしよう」と、ジョークを言ってみた。  我ながらいいタイミングで面白いジョークが言えたと思ったが、しかし女子生徒たちは 硬い表情のまま、こちらを見ている。  私は、すぐに自分の過ちに気づき、はっ、となった。  そうだ、彼女たちが私に求めているのは浅はかなジョークなどではなく、「女子高生好 き」としての真摯な態度だ。だが、努力の甲斐もなくいまだそれになり切れていない私は、 何を言えばそれを表明できるのか迷いに迷った。  とっさに思い浮かんだのは、目の前で生徒たちの着ている水着が、女子高生を好む者の 間で非常に注目されているらしい、という事を思わせる雑誌の記事だった。その記事から 推測するに、特に泳いで濡れている状態が好ましいらしい。何のことはない、要は、彼女 たちが水着を濡らしている姿にこだわってみればいいのだ。  できるだけその思いになり切って見ると、すっと言葉が出た。 「…しかし濡れている方が…そうだ、一度水につかってから体育館に行こう」  すると、黒沢君がこちらの思いを察してくれたらしく、漫才師の突っ込みの様ないいタ イミングで、違います、と言ってくれた。  生徒も元気づけられたらしく、春日君が、水球をやってはどうか、と口を開いた。  ・・・教室の授業では、自分から話しかけてくる姿など想像しがたい春日君が、口火を 切ってきた。しかも、私の提示した要望を的確に満たす、なかなかの提案だ。正直、特別 枠という事もあって、私は彼女を頭が悪いと評価してきたが、彼女の言葉を聞いてその偏 見を恥じるとともに、やはり教師はこまめに生徒と接するべきだ、と強く思った。  授業が始まった。若者が情熱を燃やして、ひたむきに向上を求める姿は、やはり美しい 以外の何物でもない。私は黙って見つめるばかりだった。思わず、美しい、と一度口に出 したが、黒沢君も同じ思いであるらしく、黙っていた。  ふと、滝野君が平泳ぎをしているのが目に止まった。よく見ると顔を水に漬けている時 に、頭を完全に沈めてしまっている。本当は頭を沈め切ってはいけないのだが、上手に動 いて、さも頭が少し水面上にある様に見せており、少し見ただけでは分からない。  彼女も特別枠で、勉強の出来はよくないが、考えたり工夫したりする力をちゃんと持っ ているのだ。  明らかに反則なのだが、あえて、反則すれすれですな、と黒沢君に指摘して見せたが、 さすが専門家だけあって、その様な事はとっくに気づいた上で黙認している、という風だ った。  だが、黒沢君にもまだまだ教師としての甘さがうかがえた。私が生徒の姿をずっと見て いることが不満らしく、浮かない顔をしているのだ。  この仕事に限らず、仕事中に一人の女性であることが前面に出てしまうというのは、非 常によくない傾向だ。女性である事を売りにして仕事を要領よくすすめる、という姿勢を 招きかねず、それは女性の地位向上に逆行する。  しかし、ここでその様な説教をしても、素直に聞けないだろうから、申し訳程度に彼女 の姿を眺めてから、やきもちを妬いているのか、と指摘したところ、黒沢君は顔を赤らめ、 照れ隠しに、もう帰ってください、などと言う始末だ。  困ったことだ。素質があるだけに、余計にそう思う。ただ、幸い彼女は、谷崎君という、 女性である事など忘れているかの様に、誰に対しても体当たりで接する同僚を友人にして いる。だから、いつか気づいてくれるだろう。  いや、目の前の生徒たちの将来を本当に心配できれば、気づいてくれるに違いない。 【生涯一教師・木村の回顧録 6】  教師として学校にいると、教室全体に対して何かを伝えたり、何かを求めてくる生徒に 応えたり、といった事が優先になりがちだが、決してそれだけが教師の役目ではない。  何も言ってこない生徒、あるいは学校に来なかったり激しく反抗的な態度を取ったりす る生徒ほど、実は教師に深刻な求めを秘めている、という例は、実に多い。  あるクラス==授業を少々持っているだけだが、個性的で目立つ生徒が数人いるため否 応なしに気をつけて見ざるを得ないクラスだった==に、とても元気のない女子生徒がい た。内気で非常に存在感がなく、時々、今日は学校に来ていないのでは、と思ってしまう ほどだ。  内気であるだけならそれも一つの個性だと言えなくもないのだが、彼女は何人かの女子 生徒から時々声をかけられるのみで、どうやら友人といえる存在はいない様なのだ。  こういう生徒に働きかけて、社会性の獲得を手助けするのが教師の重要な仕事の一つだ。  私は、てっきり谷崎君が目をかけているものだと思っていたが、入学後半年余りにして その生徒に変化がないところを見るに、やはり声をかけてくる生徒への対応に追われてし まっているようだ。  ここで私が谷崎君に声をかけて注意を促すのは簡単だ。  だが、同じ教師である私が、問題を感じつつも彼女を放置してきたのもまた事実である。  ここはやはり、まず気がついた私がやらなければなるまい。谷崎君も、それを見てきっ と気づいてくれるだろう。  さて、教室の会話によく耳を傾けると、意外なことに、その生徒にはあだ名がついてい る。あからさまな蔑称であれば別として、あだ名は関心を持たれている証である。  が、おそらく彼女がそのあだ名を受け入れていないのだろう、なかなか彼女がそう呼ば れる機会に出くわさない。  周囲は彼女を包み込む環境にあるのに、本人が拒んでいる。はたから見れば実に理不尽 な構図だが、そうであるが故に当事者の悩みは深いのだ。  だが、よく観察してみると、おいそれと他人を信じる事ができない彼女の心が何となく 読める。彼女はよく、榊君を眺めて顔を赤らめている。  同性愛者なのだ。  同性愛。少数派であるというだけで、立派な愛の形だと私は思うが、ひところほどでは ないにせよ偏見や誤った見方が根強い。それでも男性の場合は特定の時代や階層において 肯定された時代もあったが、女性の場合は一貫して否定され続けてきた。当事者が、その ことに限らず、他人や社会に対して用心深くなるのは、無理もないことだ。  だが、その偏見と闘うぐらいの意気込みがなければ、彼女が愛を貫くことは難しいだろ う。彼女を受け入れるべくつけられたあだ名を拒む様な精神では、それはかなわない。  私がその幸せを願わない生徒などいないが、考えるうち、彼女にはぜひとも想いを貫い て幸せになってほしい、と強く思うようになった。  明日から、彼女をそのあだ名「かおりん」と呼ぼう。嫌がることは目に見えているが、 これは彼女が強く生きていくための課題そのものなのだから、彼女のことを本当に考える のなら、簡単に妥協すべきではない。  だから以降、この回顧録においても、彼女を「かおりん」と記す。 【生涯一教師:木村の回顧録 7】  正月、神社に初詣に行った。例によって世界人類の平和をお祈りしてきた。  春日君たちに出くわしたが、「一万円で願い事はそれだけなのか」と驚かれた。彼女た ちに限らず、こうした祈りをすると、「無欲」「善人」という解釈をされる様だ。  だが、果たしてそうだろうか。私自身はむしろ、一万円で世界平和などというスケール の大きい事を成就させてもらおうというのは、とんだ欲深ではないか、と家に帰って自省 している。  進学や就職、恋愛、家内安全、その他諸々の身の回りの事ども。確かに切実な願いであ り、神仏の力を求めたくなるのは無理もないが、一方でそれらの多くは情熱や努力で可能 性を広げることが、往々にしてでき得る。  これに対して、世界平和は一人の力ではどうしようもない。一国の政治を担う立場にあ る人々さえ、争いに参加し、時には自ら争いを引き起こす事は、新聞やニュースを見るま でもない。いわんや、一介の市民をやである。  何よりも、進学を目指して勉強できることも、恋愛が成就すれば楽しい生活が過ごせる ことも、そしてそれらを願うことも、平和だからこそである。愛すべき妻と可愛い娘に恵 まれた自分のすばらしい家庭生活も、例外ではない。だから、私利私欲がない、などとい う事では決してない。むしろ自分勝手で強欲な願いだ。  私の願い事をいぶかる方には、そういう思いを込めて、こう答える。 「他に何があるというのですか」 【生涯一教師:木村の回顧録 8−1】  支配する側の論理にのっかって生きていく、というのは、非常に楽な生き方である。手 近なところで具体的に言えば、学校の決まりや教師の言いつけを守っておれば平穏に学校 生活が送れる、という構造である。  だがそれは、疑問を抱く事や、自分の考えを持ったりそれを表現したりする力を封じて しまう。さらに言えば、さまざまな理由でそうした横並びから飛び出たり抜け落ちたりせ ざるを得ない人間に対して、冷たい感情しか持てなくなってしまうだろう。自分の経験を 振り返っても、そう思う。  また近年、食品、原子力発電などの分野で、企業や官僚組織が組織的な不正をした上、 これを隠蔽してきた事が相次いで明るみになり、結果、不正に携わった従業員が刑事責任 を問われたり、企業の破綻を招いて多くの一般従業員が職を失ったりしている。  疑問などの人間らしい感情を封じ込める事が身を守ると信じ、企業などの方針に忠実に 従ってきた結果がこれである。  とにかく決まりに従え、という教育をすすめる側の論理として、「生徒たちはいずれ社 会に出ていくのだからそうさせる責任がある」というものがあるが、こうした事を考えれ ば、強い力の前でも自分の考えを持ち、周りに働きかけてそれを形にする、という事を教 えなければ逆に無責任ではないだろうか。  もはや、企業が骨を拾ってくれるという論理は通用しなくなりつつあるのだから。  しかし、現実の教育現場は、型にはめようという傾向が私たちの世代より強まっている 様に思う。もはや私たち教師や親の側が「マニュアル世代」であるせいだろうか。  決められた通りに制服をつけ、疑問も持たずに定刻に授業に座る。いや、女子のスカー ト丈など決まり通りでない部分もあるのだが、その決まり通りでない部分さえ全員一律で、 かつ何となくなしくずしに行われているのである。  だがさりとて、すでにこうなってしまった彼女ら、彼らに、いきなり「自分の人生につ いて考え、主張を持て」というのはあまりにもハードルが高すぎる。  ならば、自分たちの生活を便利にする工夫を考えて実行しよう、というぐらいならば、 ヒントを与えれば可能ではないかと、私は考えた。  そこで、体育の前の時間に入っている私の授業で、ある事をすすめてみようと試みた。  午前中に体育がある時は、家を出てくる時に服の下に体操着と短パンを着けておく、と いうのは、私が高校生だった頃にごく普通にされていた。  休み時間は10分しかないのに対して、朝起きたら着替えは必ずするのだから、実に合 理的である。さらに、教室というのは概して暑くなりがちだが、気軽にワイシャツの前を 開ける事ができるので快適だ。とりわけ暑がりなクラスメートなどは、前の時間あたりか ら体操服で授業に座っていたものだ。  ただし、ズバリ私がそうしろと言ったのでは、教師の命令になってしまう。彼女ら、彼 らが自分で思いついて、自分の意志で実行しなければ意味がない。  そこで授業を進めながらその合間に、次は体育である事や、少なくとも上はジャージを 着なければいけない事などをほのめかし、面倒な着替えが待っているのを想起させるべく 努めた。生徒たちの反応は芳しくなかったが、急には無理だ。今日は種がまければいいと 思っていた。  しかし、神楽君……竹を割った様な強くハッキリした言動をする彼女には、非常に期待 してきた。もしこのクラスの生徒たちが問題意識が募らせ、声を上げる様な事があれば、 その先頭に立って口火を切るのは彼女だろうと私は思っている。  「次は体育です!今から着替える時間を下さい!」と言い出すのは望み過ぎだとしても、 早く終わらせてほしいぐらいの事は言ってくれると思っていた。  だが、彼女まで淡々と私の授業の進行に従い、発言の機会をと指名しても淀みなく教科 書を読み終えて着席してしまった。  ここに至って、私は少し取り乱してしまう。  急に教室の暑さが身に染みはじめ、みんな、そして神楽君、なぜこの暑さを前に平然と 制服をきっちり身に着け続けるのか、なぜ君たちはそこまで考える力を失ってしまったの かという思いがこみ上げてきた。  私はとうとう「着替え」という「答え」を叫んでしまったが、言葉の中身よりも私の勢 いに圧倒されてしまった様で、私の言葉を答えだと気づく事すらできず、困惑してしまっ ている。これでは何にもならない。  いきなりは無理だと思っていたじゃないか、と自分に言い聞かせ、努めて冷静を取り戻 し、授業をやり切る事にした。  だが、残り5分を切ったあたりで、どうしても伝えたくなった。私の昔話をして「昔の 話だろう」と思われても困るから、別の学校に勤める友人から聞いた話をした。  そこは女子校なのだが、私の高校時代そのままに、早い時間に体育があると朝から体操 服、その上体育がプールだと水着姿だという。「いくら言ってもああ言えばこう言うでダ メだ、困ったよ」と友人は言うが、困ったのはそうした教師の発想の方である。  変わらない学校と、変わらない目の前の生徒たち。行く末を考えると、涙が出てきた。  結局その学年の間、彼女ら、彼らが体操服を着込んでくる事はなかった。  が、私が涙を流した時に、生徒たちは眉をひそめる様な困惑ではなく、驚きのままずっ と私を見つめていた。  尋常でない事態だからといってただ不快に思うのではなく、先生はどうしたのだろう、 私たちに何かを問うているのか、と考えてくれたからだ、と思う。  生徒たちは決して人間らしい感情を失ってしまった訳ではない、という事を知り、生徒 の変化を信じ続けられる様になれた事は、この試みの成果だった。 【生涯一教師・木村の回顧録 9】  商業高校に勤める友人が嘆いていた。就職難とはいえ東京全体ではそこそこの求人数が あるのだが、多くの生徒が(特段それに対して目的意識があるとは思えないのに)数少な い事務職や営業職にこだわる一方、店舗での販売業務や飲食店の接客といった仕事がたく さんあるのに見向きもしないため、就職できない者が増えてしまっているという。 どうやら「スーツを着てオフィスで働く事が立派で、店頭などで接客をする仕事は一段 落ちる」とでも思っている様だ、と言っていた。  低く見ているかどうかは別として、若者たちが接客を苦手としている事は確かだ。  コンビニエンスストアや飲食店を思い出してみよう。いわゆる「マニュアル接客」で、 覚えた事を棒読みしている感じがぬぐえない。それにどこかうつむき加減だ。「よろし かったですか」なるおかしな日本語が、登場するや日本中のファストフードやファミリー レストランに蔓延した事は、彼らが考えてしゃべっていない事を証明している。  だが、彼らだけを責めるのはよそう。若者が腫れ物に触る様な態度でしか人の相手をす る事ができなくなくなったのは、私たち大人が便利さを優先するあまり、他人との暖かい 接触の少ない社会を作ってしまったからだ。  たとえオフィスで事務をする仕事に就いても、人に接する事からは解放されない。第一、 相手の顔色を読んで無難に事を運ぶばかりの人生はつまらない。生徒たちが手の届かない ところへ行ってしまう前に、何とかヒントだけでも与えられないものか。  そう思っていたところ、高校生が年に一度だけ、喜んで客商売をしたがる日がやってき た。そう、文化祭だ。  にわか造りの店で、生徒たちが健気にあたふたしている。  私はこれでも学生時代はやや苦学気味で、ちょっとした飲食店でアルバイトをしており、 最後の頃はほとんど店を任されていた。今日はその経験を思い出しつつ、客として、なっ ていない応対には少し厳しく、そして少しでもいいところがある生徒には喜びを表そう。 あとは生徒たちで「あれはどうしてだろう」と話し合ってくれれば・・・そんな風に考え ながら、手始めに2年生のあるクラスの喫茶店に入った。 「いらっしゃいませ」  適度に元気の良い声がかかる。これは大切だ。客を心地よくするだけでなく、万引や強 盗といった犯罪を抑止する効果もあるのだ。申し訳にボソボソと言われるなら黙ってくれ ていた方がいい。やましい店にでも入った様な気分にされてしまう。  適当な席を探しながら、「店」の中を見回す。「ぬいぐるみ喫茶」という事で、そこか しこにやわらかそうなぬいぐるみが置かれ、店員は揃いのかわいらしい帽子をかぶってい る。暖かい色合いのテーブルクロスはそんな部屋の風景によく合っており、なかなかのセ ンスだ。惜しむらくは、前日ギリギリまで準備をしていたのだろう、飲食店なのに色紙の 切れ端などがちらほら落ちている。  「ご注文は・・・」  男子生徒が注文を取りに来た。こちらが注文を決めたかどうか判断に迷っているのだろ うが、言葉を切るならもっとはっきり言い切らないと、客は話していいのかどうか迷う。 腫れ物に触る様な気持ちで客の相手をしているのが丸出しだ。そんな事をせずとも、たと えば「ご注文はお決まりですか」と言えば、客は決まっていなければ決まっていないと言 ってくれる。  それに、そう広くない空いた店なのにずいぶんと時間がかかった。迷ってしまうのは、 客を目にしてあわてて「接客モード」に切り替えたせいもあるだろう。  少し意地悪かもしれないが、男子生徒の問いには答えず、そばを通りかかった神楽君と いう女子生徒に声をかけた。彼女は先ほど元気のいい「いらっしゃいませ」を発したその 人だ。そして店が空いていても、こうして、何かあれば声をかけてもらえる様に店内を歩 いている。単に抜け目がないだけでは自然にこうはできない。人に接するのが好きであれ ばこそだ。  なぜ彼がやり過ごされ、彼女が呼ばれたのか。その理由をみんなで共有し実践できれば、 このクラスの生徒たちは前向きな人生を過ごすことができるだろう。  注文を取る神楽君を見上げながら、ふと思った。  しっかりした店員もいるし、店の構えもこの文化祭の中では上出来だ。なのになぜこん なに空いているのだろう。神楽君もそう思っているのか、いざ近くで見ると先ほどよりも 元気がない。  ずっとやっているのであれば良さが理解されて客がついてくるだろうが、文化祭の店は 今日開店したばかり。そしてもちろん今日限りだ。空いたまま終わったら、ますます客商 売に後ろ向きなイメージを持ってしまうだろう。いいかげんであれば自業自得とも言える が、この店には良いところがたくさんあるのにそれではあまりにも可哀想だ。  ・・・そうだ、宣伝だ。 「その帽子、ひとつ貸してくれないか」  いぶかる神楽君からかわいらしい帽子を受け取ると、私はそれを被り、廊下に出た。あ わてて被ったため目まで覆ってしまったが、まあいいだろう。  生徒たちを促すべく、呼び込みを始めた。それは商売繁盛のためだけではない。呼び込 みという宣伝方法を選んだのにも、理由がある。  アルバイトを始めた頃、私は人と接するのがものすごく苦手で、年中顔を緊張にひきつ らせていた。ほどなく近くに新しい店ができ、よき老舗だったバイト先はつぶれかけた。 他の店員と一緒に、かぶり物をして、恐る恐る呼び声を上げながらチラシを撒く。子ども が面白がって、つぶらな瞳を見開いて話しかけてくる。と、思わず自然に笑顔が出て、声 をかけ返し、さらにおどけて手まで振った。・・・できるじゃないか、俺。  それからだった。人と笑顔で、二言以上話が出来る様になったのは。 「さあ、かわいいぞー、よっといでー」  生徒たちにとっても、人前で声を出すことが、自分を前向きに変えるキッカケをもたら すはずだ。分からない事は聞けばいい、顔色を読むなんて不毛だ・・・そう気づいて、も っと楽しく人と接する事ができる様に変われるキッカケを・・・・・。  神楽君が、まず飛び出してきた。「呼び込みはいいですから!」と、元気の良い突っ込 みをすかさず入れてくる。そう、うまく行かないからと言ってしょげていちゃだめなんだ。  人が集まってきたらしく、周りがにぎやかになった。やはり彼女には素質がある。  目がふさがっているのでよく分からなかったが、後に続く生徒はほとんどいなかった様 だ。だが、生徒たちは呼び込みで人が集まるのを目にしただろうし、クラスメートの神楽 君が頑張っている美しい姿を見ただろう。この種は必ず芽吹き、彼ら彼女らの将来に少な からぬ影響を与えたと信じている。