『その場つなぎ』作品サンプル


「それでは最後にうかがいますが…」
 面接官の先生が、おもむろに身を乗り出してきた。逆光が強まって、先生の真顔が迫力を増す。
「もし、残念ながらこのAO入試が不合格だった場合、あなたはその後どうされますか?」
「はい!…」
 答えようとしたところでウチは、背後に聞き慣れた足音が通るのを聞いた。
「…あの……どうするか………家でじっくり考えたいと、思います」
 先生が目を見開いて「はぁ?」という顔をした。でも、すぐに表情をあらためて試験の終わりを告げる。
「それでは、これで面接試験を終わります。どうもお疲れ様でした」
「はい。ありがとうございました」
 ウチも教わったとおりに言ってから立って、その場で一礼して、振り向いてドアの方へ向かう。ドアの前で向き直ってから「失礼します」と言ってまた一礼。ドアを引いて廊下に出て、そこで振り返ってまたお辞儀をして、ようやくドアを静かに閉める。
「よっしゃ。ほな戻っといでー」
 ドアを閉めるや呼ぶ声がして、ガラス越しに、面接官の先生が手招きするのが見えた。
 今度はお辞儀も何もせずにスタスタと部屋に入るウチ。先生の顔も、いつも授業や職員室で見てるオッチャンの顔に戻っている。
「まあまあやけどなぁ…最後の質問の答え、あれはあかんで」
 西日を背に、苦く笑いながら先生は言ってきた。
「あの質問は『どんだけウチの経営学科に入りたいんか』を試す質問や。せやから答えは『次のAO入試や公募推薦などに挑戦して、引き続き貴学を目指します』。これしかないで。ただの念押しやけど、念押しなだけに変なこと言うたら確実にマイナスになる」
「はい、すみません」
 それはウチも分かってた。分かってたけど…。
「なあ中島。ひょっとしてまだ、A大のマーケティング学科のこと考えとるんちゃうか?」
 ウチを覗き込むみたいにして、先生がちょっと心配そうに聞いてきた。A大学のその学科はウチの最初の志望校だったけど、指定校推薦は他の誰かに取られちゃったし、AO入試や公募推薦は成績の条件がギリギリで足りなくて申し込めなかった。
「もしまだ未練があるんやったら、一般入試で頑張るいう方法も…ないでもないんやで」
「そ、そんなことないです!B大の経営学科だって、めっちゃ面白そうやし!」
「ほうか…ほんなら今は、来週のAO入試に全力集中するしかないで。せやろ」
「はい」
 B大の経営学科に入りたいっていうのは今のウチの本音だし、ぜひともこのAO入試で決めちゃいたいって思ってる。だからこうして、一番信頼できる先生のうちの一人に頼んで二週間前から面接練習を始めてもらった。エントリーシートを出す時も何度も添削してもらったし、もう一つの試験科目の小論文も、もう一人の信頼できる先生に頼んでじっくり面倒を見てもらっている。
 なのに、後ろ髪を引かれるような気持ちがウチの中にあって、なかなか消えない。さっき聞こえた足音がその気持ちを増幅させていた。
 …他にいくつかのアドバイスを先生からもらって、ウチは先生とゼミ室を出た。
「ほな、次は来週やな。次からは何があっても通しで最後までやるで」
「はい!」
「まっすぐ帰って、小論文の練習やるんやで」
「大丈夫ですって!ありがとうございました」
 先生と別れてから、なんとなく部屋の方を振り返る。六つ並んだゼミ室のうち、ウチがいた部屋以外の全部でまだ誰かが面接練習をしていた。
「うわー…さすが受験シーズンや」
 十月から十一月にかけてのこの風景こそ、うちの学校の受験シーズンだった。自習室にこもって、センター試験や一般入試を目指して机に向かう人々…なんてのは、いいとこの普通科高校の話。簿記やマーケティング、フードデザインや栄養、それに工業化学などなどの専門科目に力を入れてるウチらは、AOや推薦入試がなかったら大学なんて入れない。もし学力テストオンリーで競争率が何倍もある一般入試しかなかったら、A大やB大なんてとてもじゃないけど…。

「お疲れー」
 自習スペースの前に差しかかると、深雪ちゃんの声がした。
「…待っててくれたん?」
「ううん。勉強してた」
 深雪ちゃんは持っていた単語帳をテーブルの上に伏せて、指先で眼鏡の位置を直す。日陰になった自習スペースには他に誰もいなかった。
「マリちゃん、帰るん?」
 深雪ちゃんが聞いてきた。ウチはうなずく。
「うん」
「ウチも帰ろ思てたとこ」
「なら、帰ろっか」
「うん。ちょっと待って」
 深雪ちゃんは単語帳やペンケースを鞄にしまうと、ウチの方へ歩いてくる。コツ、コツ、コツ…かかとに力を入れて歩くのが彼女のクセで、ローファーなのにヒールみたいな足音がする。この足音がさっき、面接練習してる時に部屋のすぐ外で聞こえた。それでウチの答えがおかしくなった。
「……………」
 並んで、とりあえず生徒玄関を目指して歩く。脇目に見えるラウンジでは同じ学年の女子が数人、おしゃべりしながら楽しそうな笑い声を響かせていた。ファッションデザイン系の子たちで、とっくに専門学校が決まってるんだろう。AO入試も受かる人の方が多い程度の倍率しかないけど、専門学校は受ければ即合格だ。いいなあ。
「あのな。深雪ちゃん」
 一階までまっすぐ続く階段を降り始めたところで、ウチは深雪ちゃんに話しかけた。
「ん?」
「…ちょっとだけ三宮に寄って、本屋さん見に行かへん?」
「なに遠回しな言い方してんねん。本屋さんってアニメイトかメロンブックスやろ?」
 深雪ちゃんは笑って言って、それから黙った。少ししてから、名残惜しそうな苦笑いで答える。
「ゴメン、やめとくわ。行ったらちょっとじゃ済まへんし」
 三宮はウチらが帰るのとは逆方向だし、行ったら軽く一時間は使うから、ウチらがそれぞれの家に着くのは七時近くになる。一般入試を目指して勉強してる深雪ちゃんには、ちょっと酷な誘いだったかもしれない。
「そっか。いちおう受験生やもんね」
「いちおうって何や!マリちゃんこそ『いちおう』受験の最中やろ」
 階段を下り切って生徒玄関を出ると、傾いた西日がまぶしかった。空気が少しひんやりしている。
「なんでウチらの代からジャージ変わっちゃったんやろなぁ。あの青学ジャージ着たくて入学したのに」
「まだ言うてるんか。不動峰以外はカスや言うてるやん」
「あーっ、それってウチの不二様もカスってことやんかー!!」
 兵庫駅までの十分ぐらいの道を、ウチらは好きなアニメや、それにちなんだネット上の祭りだとか秋冬の同人イベントだとかの話をして歩いた。
 駅は、放課後すぐに帰る時よりも人が多かった。パスケースをタッチして自動改札を抜ける。
「あれ?マリちゃん三宮に行くんちゃうの?」
 並んで下りホームへの階段を上がろうとするウチを、深雪ちゃんが不思議そうな顔で見てきた。
「今日は、まっすぐ帰るわ」
 いつもなら行くと決めたら、友達がついて来ても来なくても構わず三宮へ行く。でも今日は違った。
「珍しいなぁ。雪とか降らせんといてや」
「うるさい。深雪ん家のまわりだけドカ雪降らせるで」
「あ、降らせて降らせて〜。学校行かんでようなるし」
 深雪ちゃんと一緒に、ウチは家へ帰る方の階段を上がっていく。別に受験を控えて改心したわけじゃなくて、さっき会った時から、深雪ちゃんと少し長く話がしたくなってた。三宮に誘ったのも、そのせいだ。
 ホームへ上がると、ちょうど普通電車が出ていったところだった。
 ぼちぼち人がいるのはこの後に快速が来るからだけど、快速はウチが降りる駅にも深雪ちゃんが降りる駅にも止まらない。前の方に少し歩いてから、そこにあったベンチに座る。
「空、きれいやね」
 正面を向いた深雪ちゃんが、ポツリと言った。
「うん」
 駅前の建物のせいで空はあんまり広くないけど、雲一つない、きれいな青色が見えていた。
 ちょっと考えてから、ウチは深雪ちゃんと共通の友達を話題にする。
「…和田ちゃん、バイト始めたんやってな」
「うん。こないだ卒業アルバムの委員会サボったのも、バイトだったんやって。よっぽど面白いんやな」
 空を見たまま、あきれ気味な笑顔で深雪ちゃんが言う。和田ちゃんは環境問題に興味を持ってて、それで生物や工業化学の授業を取って、指定校推薦で大学の環境科学科に合格していた。
「それウチも和田ちゃんから聞いた。けど、『研究会』までバイトで休まんでほしいけどなー」
「え?休んだん?」
 ウチらは有志でちょっとした研究会を作ってて、三年生は進路が決まり次第、会の活動に復帰することになっている。和田ちゃんも研究会のメンバーで、環境に優しい調理方法やパッケージを考える担当なんだけど、さっき先生が「困ったなアイツ…受かったと思たら休んでばっかりや」ってこぼしてた。
「そうや。研究会って言うたら…お嬢は専門学校、決まったんかな?なんか聞いてる?」
 今度は深雪ちゃんの方から、別の友達の話をしてきた。
「うーん……聞こうにも、お嬢、最近また学校休んだり昼から来たりしてるやろ?ラインも読まへんし」
「うん。そやから、マリちゃんはなんか聞いてへんかなって思たんやけど」
 お嬢も研究会のメンバーだ。お菓子作りが好きで、パティシエの専門学校を目指して調理や栄養といった授業を取っている。
「けどまあ専門学校やし、行く学校まで決めてるんやから、受けたらそこで決まりやんなぁ」
「…そやな」
 お嬢と和田ちゃん、そしてウチと深雪ちゃんの四人は、一年で同じクラスだったのと、それにオタク趣味が縁になって、仲良くなった。
 でも部活は全員違ったし、それに二年からはクラスが別々になって、授業もそれぞれの進みたい道に応じて選ぶようになったから、ちょっと距離が開いた。
 そんな四人をもう一度近づけたのは、三年になって取ったマーケティングの授業だった。
 ウチはもともとビジネスに興味があったから、その授業を取るのは自然だった。深雪ちゃんは美大を目指してデザインの勉強をしてたけど、「こっちの方が面白そうやから」って言って途中からウチと同じ進路希望に変わっていた。他の二人がなんで取ったのかは今も分かんないけど、とにかく同じ授業を取った。
 授業では、人々が求めている物を調査して、それに合わせて商品を開発して、売り出す方法を教わる。
 これが、ウチらの気を惹いた。
「ウチら向けの、手軽でおしゃれでエコなお菓子やデザートを開発して、地元の街で売り出してもらおう」
 雑談してるうちに、かなり真剣にそういう話になった。
 学校があるのは観光地でも何でもない下町で、食べ物屋さんっていうと飲み屋かお好み焼き屋しかない。でも、まわりには高校や会社があって、高校生や若い大人がたくさん通る。新しい名物としてお菓子やデザートを売り出せば、通る方もうれしいし商店街も繁盛する…そんなことをウチらは考えた。お菓子作り、デザイン、環境科学、ビジネス。四人の得意分野を合わせれば大ヒットも夢じゃないかも!
 そこから、ウチらの研究会が始まった。
 ビジネス系の授業を持つ先生二人が顧問になってくれて、つきっきりでアドバイスをくれたり、校内や地域でのアンケートに便宜を図ってくれたり、お菓子メーカーの人と引き合わせたりしてくれた。卒業後も学校で研究会を続けられるように、二年の子たちを誘ってきてくれたのも先生たちだ。
 ウチらは会の集まりはもちろん、それ以外でもよく集まるようになった。ラインのやりとりも毎日のようになる。話の中身は研究のことよりもオタク系の雑談が多いけど、とにかくお互いに、研究会のメンバーが一番濃い付き合いをする友達になった。「そろそろ受験を優先しよう」ってことで二学期から研究会は一時休止になって、四人揃う機会は減ったけど、ウチらの距離は変わらなかった。ちなみに顧問の先生二人も一番身近な先生になってて、だからウチは面接練習や小論文の指導をこの先生たちにお願いしている。
 …その、一番濃い付き合いをしてきた四人の中で、和田ちゃんは早々に推薦入試で合格を決めて、お嬢は専門学校だから受かるのは時間の問題で、ウチもAO入試で大学を決めようとしている。
 一人、深雪ちゃんだけが、二月の一般入試だけを目指して受験教科の勉強を一生懸命やっていた。
「深雪ちゃん。ウチらがこんなで、深雪ちゃんだけ…辛くない?大丈夫?」
 ぶっちゃけて言うと、それを深雪ちゃんに聞いてみたかった。だから今日は彼女に付き合った。
 でもそう聞いたって、あっさりと「別に何ともないで」って言ってくるのは目に見えてる。それを信じないでしつこく聞いたら、「何ともない」が本音でもウソでも、深雪ちゃんの機嫌を損ねるだけだ。ううん。その前に最初の質問だけで彼女は気を悪くするかもしれない。
 けど、気になる。彼女の気持ちが聞きたい。
 さっき、面接練習の時に後ろから聞こえた足音。深雪ちゃんの足音。
「深雪ちゃんが見てる」
 足音を聞いてウチはそう感じた。
 それなりに苦労はあるけど、エントリーシートと小論文と面接だけで競争率もあんまりないAO入試。それを受けてサッサと合格を決めようとしてるウチ。そんなウチを、報われないかもしれない勉強を一人で頑張ってる深雪ちゃんは、どんな思いで見ただろう…。
 それで、あの質問にちゃんと答えられなくなった。
 AO入試を目指すウチの後ろ髪を引くもの。その正体は「深雪ちゃんに悪い」っていう気持ちだったんだって、さっき分かった。
 だから、ウチは深雪ちゃんの気持ちが知りたかった。
 正しく言うと、本音だって信じられる形で「何ともないで」っていう答えが聞きたかった。
 でもいい聞き方が浮かばないまま、いつの間にか話は雑談に戻っている。背中ごしに快速電車が入る音が聞こえて、自動アナウンスや人が乗り降りする響きがホームを包んだ。電車に背を向けて座るウチらの前にはロープで塞がれた別の乗り場があって、そこを特急列車が猛スピードで通過していった。
「なあ。マリちゃんも、受かったらバイトするん?」
 横に垂らした前髪を触りながら、深雪ちゃんがウチの方を振り向いた。
「ううん。演劇部に戻りたいし…」
 ウチはとりあえず部活の話を出した。四月で引退してたけど、みんなの進路が決まったら卒業公演をしようって話になっていた。
 それから、ちょっと思い切って一番言いたいことを言う。
「…それに、早く研究会の続きしたいし!」
 深雪ちゃんを淋しがらせるかも、と思ったけど、彼女はホッとしたみたいな笑顔になった。
「そっか、よかったー。お嬢や和田ちゃんがアレやし、マリちゃん頼むでホンマ」
 うれしそうな顔と声を聞いて安心したとこで、深雪ちゃんのことを聞いてみる。
「深雪ちゃんは…美術部って、引退とかどうなん?」
「あんなユルい部活に引退とかあるわけないやん。気晴らしに時々落書きしに行ってる」
「ふうん。で、その気晴らしのおかげで勉強は進んでるん?」
 聞かれるや深雪ちゃんの眼鏡越しの目が、明るい感じで見開かれた。
「うん。ここんとこ英語がめっちゃ頭に入ってく感じがしててな、こないだ受けた模試も、前より結構ようなってた!」
 よかった…それに模試ってことは志望校を書くはずだから、じゃあそれも…
「…そんなら、志望校とか学科とかも決まったん?」
「うーん、そうやなぁ…」
 笑い顔のまま、深雪ちゃんの顔が空の方を向き直った。
「どっかの大学の経営学部か外国語学部の、どっちかにするんは決まったんやけどなぁー…」
 深雪ちゃんは薄笑みを浮かべて、他人事みたいにのんびりと言う。ウチは唖然とした。三年の十月後半になってそれじゃあ、なんにも決まってないのと同じだ。
「どっかの大学って…それ、マズいやん。そろそろ受験先に合わせた勉強せなあかんちゃうの?」
「でもな、マリちゃん…」
 深雪ちゃんは、あっちもいいけどこっちも捨てがたい…っていう中身の話を長々とウチに聞かせた。分野が二つに絞られただけで、二学期の最初の頃に聞いた話とレベルが変わってなかった。
「……………」
 そのうちに普通電車が来た。ウチが先に降りるまで、深雪ちゃんは受験の話をそれ以上しなかったし、もちろんウチも彼女の気持ちは聞けなかった。

「あーっ、やめやめ!」
 ウチはシャーペンを机に置くと、椅子から立ってベッドに寝転んだ。小論文を書いてたけど身が入らなくて、あと少しのとこで我慢できなくなった。
 身が入らないのは、自習スペースで一人で勉強する深雪ちゃんの、淋しそうな姿が思い浮かぶからだ。
「深雪ちゃん、どないする気やろ…」
 うちの高校から一般受験っていうと、よっぽどじゃない限りウチが目指してるようなレベルの大学は無理で、Fランクか浪人が普通だって言われてる。
 ただ、深雪ちゃんは英語や数学がウチよりできたし、勉強もはかどってるみたいだから、「よっぽど」になれるかもしれない。
 でも、どこの何学部を受けるか決められなかったら受験できないし、ギリギリでどこかを選ぶにしても、受験科目や中身が合わなかったら受かるものも受からなくなると思うけど…。
「ていうか、なんであの頃から急に迷い出したんやろ…」
 最初は、深雪ちゃんも迷わず「マーケティングの勉強ができる学科」を目指してたはずだった。一学期のうちからよく一緒にオープンキャンパスや説明会を見に行って、夏休み前には二人とも、三つぐらいの大学のどれかに推薦やAO入試で入ることを決めていた。実は研究会のテーマも三年で初めて出てきた話じゃなくて、二年の間から深雪ちゃんと一緒に、似たようなことを思いついては二人で盛り上がってきた。
 でも、夏休みの間に深雪ちゃんが変わってきた。
「英語や文化の勉強して、外国から来た人の『おもてなし』をマーケティングするのも面白そうやし」
「理系に行って、ものを作る方で商品開発にかかわりたいって気がしてきたんや」
 そんなことを言い出しては、語学や工学や社会学の大学をあっちこっち見に行くようになった。ちょっと淋しい気もしたけど、その時は深雪ちゃんの話ももっともだと思うだけだった。
 そしてそのまま九月になって、指定校推薦が締め切られても、AO入試の出願が始まる時期になっても、彼女は迷い続けたままだった。
「どうしても決められへんから、ウチ、センター試験と一般で頑張るわ」
 AO入試の締切までに志望先が決められないから、決めるための時間を稼ぐ…それが、深雪ちゃんが一般受験を選んでいる理由だった。つまり彼女の受験勉強は準備なのと同時に、志望校が決まるまでの場つなぎも兼ねてるってことだ。
 勇気あるなあって思ってたけど、会えばつい雑談になっちゃうし、自分の受験で手一杯だったせいもあって、その後どうなったかを今日まで聞きそびれてた。まさかそのまま決まってないなんて思わなかった。
 目標は決まらないけど、受験勉強だけはし続けなきゃいけない。
 そんな状況なら余計に、ウチらが面接や小論文で早々と合格してくのが理不尽に見えてもおかしくない…。
「あ」
 ベッドの枕元に置いてあったスマホが震えた。ラインのメッセージ。深雪ちゃんからだ。
「遙タソのソロCD再販やて!買って!」
 すかさず打ち返す。
「岩鳶のプールで溺れ死んどけ。by凛ちゃんが俺の嫁」
「日本にいないくせに」
「お前こそ鯖に食われろw」
 そのまましょうもない応酬を続けるうちに、深雪ちゃんの返事が途絶えた。ネタ切れらしい。ふと思い立って、ウチは話題を変える。
「関係ないことで、つまらんこと聞いてええ?」
「ええよ」
 すぐに答えが来た。ウチは質問を切り出す。
「今日ウチが面接練習してる時に、ゼミ室の前通った?」
 そこから色々聞いていけば、深雪ちゃんの気持ちが聞けるかもしれないと思った。
 はい・いいえを答えればいい話なのに、既読がついたきり返事が来ない。なんか、まずいこと聞いたかな…と思い始めたところで、やっと返事の吹き出し。
「うん通った。先生めっちゃビックリしてたけど何言うたん?将来の夢聞かれて『コミケで壁サークルになることです』とか言うたんやろw」
「ウチは買う方とコスプレだけや言うてるやろボケ」
 打ち返しながらホッとする。余計なこと書いて時間がかかっただけらしい。やや遅れて深雪ちゃんの返事。
「あ、もしかして足音とかして邪魔やった?ゴメンな」
「ううん。ちゃうちゃう。大丈夫」
 そこまで送信して、何をどう聞こうか迷いながら続きを打つ。
「ひょっとしてウチの練習覗きに来てたんかと思てな。そうやったら感想教えて」
 また間が開く。図星だったんだろうか。
「覗きになんて行かへんよぉ。トイレ行って帰ってくる時に通っただけ」
 まあ、そんなとこだとは思ってたけど…結局、どう聞いていっても聞きたいことには迫れそうにない気がしてきて、ウチは話を切り上げることにした。
「そっかゴメン。ほんならウチ勉強あるから」
「勉強?!またー。雪降らせんといてや」
「うるさい。ほな明日」
 スマホを置くと、溜め息が出た。
 深雪ちゃんは一人ぼっちで辛いのか辛くないのか、ウチが先に勝ち抜けようとするのをどう思って見てるのか…結局、何も分からなかった。
 首の向きを変えると、電気がついたままの勉強机が目に入った。明日見てもらうための小論文。
 ウチは勉強に身を入れるための理屈を探して、そして見つけた。
「…深雪ちゃんの一般受験は、深雪ちゃんが選んでしてることや。ウチのAOと同じや」
 だったら、かわいそうって思うことなんかない。
 そう考えながら、ウチは机に向かって原稿用紙の残りを埋めていく。でも手を動かしながらもウチは、さっきのラインのやりとりを何度も思い返していた。
「返事が来るまでに開いた、あの時間…あれは、ゼミ室の前に来たことをホンマは隠したかったんじゃ…」
 もしかしたら、ウチが受かっちゃうのが嫌で、それで気になってわざわざ見に来たのかもしれない。考えすぎかもしれないけど、もし深雪ちゃんにそんな風に思われてたら、本気でAOなんか受けられない…。



「ではまず、学校名とお名前をおっしゃってください」
「兵庫県立かもめ総合高等学校から参りました、中島麻理子です。よろしくお願いします!」
「はい、結構です。それでは、面接試験を始めさせていただきます」
 週明けの放課後。面接練習。この前のが二回目で、今日が三回目だ。先生も演劇をやってただけあって、今のやりとりだけで本番みたいな緊張感が漂ってくる。それでもウチはもう、志望動機も高校時代の得意不得意もスラスラ答えられるようになっていた。
「では、高校で力を入れて取り組んだことと、そこから得たことを教えてください」
「はい」
 ここでは演劇部のことと、研究会のことを話す段取りだった。研究会の話はいいアピールになるからと先生に言われて、初回の面接練習の時に徹底的に台詞を作り上げてある。話が研究会の方に移ると、ウチは頭の中に研究会の様子を思い浮かべた。メンバーの中にいる深雪ちゃんがアップになるや、自習スペースで一人で勉強してる時の淋しそうな顔になる…
 途端に頭が真っ白になって、気がついたら話し続ける自信がなくなってて、しどろもどろになった。
「おいおい、どないしたんや」
 何があっても通しで最後までやると言っていた先生が、目を見開いて面接を中断した。
「うーん…やっぱ紙に書き出した方がええな。レポート用紙あるか?」
「…はい」
 紙なんかに書かなくても、言うことは十分頭に入ってる。でも胸がドキドキしてるのを打ち消したくて、先生に言われるまま話すべき内容を箇条書きにしていった。
 ちょっと時間を置いて、最初からもう一回。
 今度は何も考えないようにして、「高校で取り組んだこと」を無事に切り抜けた。その後の質問も順調にこなしていって、そして、たぶん最後の質問。
「では…もし、この入試が残念な結果になった場合、あなたはどうされますか?」
 そこで深雪ちゃんの足音が聞こえた、ような気がした。
 彼女の顔が胸を突き刺す。胸の痛みが開きかけた唇をこわばらせる。
「……………」
 先生が軽く首をかしげる。必死に頭の中を振り払う。ウチはB大に絶対行くんやから!
「はい………次のAO入試や公募推薦を受けて、引き続き貴学を目指します」
「結構です。では、これで面接試験を終わります。ありがとうございました」
「ありがとうございました」
 席を立って扉を閉めると、大きな溜め息が出た。
「また難しい顔で『ホンマはA大に未練があるんちゃうか?』って言われちゃうんやろなあ…」
 そう思いながら振り返ったけど、手招きする先生の顔は静かに笑っていた。おそるおそる扉を開けて先生の前に座ると、先生は穏やかな顔のままウチの目を見てきた。
「なあ。何があったんや。よかったら言うてみ」
 何があったんや、って言われた瞬間、先生は実はみんな知ってるみたいに思えてドキリとした。すぐに「そんなわけない」って思い直したけど、先生の優しい目を見てると、何でも聞いてくれそうな気はする。授業でも研究会でも、ウチらのどんなアホな思いつきも最後まで聞いてくれて、必ず答えをくれた。
「…ウチだけ、こんな試験でサッサとB大に入れちゃって、ええんでしょうか」
 ウチが言うと先生は笑顔のまま、少し間を置いてゆっくり聞いてくる。
「なんで、そんなこと思うねん」
「だって、ほら…一般入試で勉強してる人も、おるやないですか。なのにウチだけ…」
「うーん…」
 先生は目を上に向けた。実際はウチだけどころか、まわりは推薦やAOや、受ければ受かる専門学校っていう人だらけだ。先生もそれを言ってくると思ったけど、先生の答えは違った。
「中島は、AO入試でサッサと入ってもええと思うで。中島にはその資格がある」
「ウチは、ええって……なんでですか?」
「ええも何も、中島は高校生活をめちゃくちゃ楽しみ尽くしたやないか」
「え………?」
 楽しんだから楽にサッサと大学に入っていい、って聞こえる。どういうこと?
「ビジネス…何かを売ったりプロデュースしたりするんが面白い思て、それで簿記やマーケティングの勉強を一生懸命楽しんだやんか。しまいにゃ有志で研究会まで立ち上げて、ワイワイ言いながら遅まで残って…中島たちも楽しいやろし俺らも楽しいで。ほんで、残りの時間は演劇部やろ。春の地区大会に出したヤツ、賞は取れんかったらしいけど見事やったで。毎日必死に練習を楽しまなきゃ、ああは行かへん」
「……………」
「国語や英語のテストでは計れんちゅうだけで、中島はいろんな勉強を一生懸命、自分からしてきたんや。せやからエントリーシートと面接と小論文で、それを見てもろたらええんや」
 …そっか、そんな風に思っていいんだ。ウチはちょっとうれしくなった。
 でも…
「でも、他の人は…」
「そうやなあ…和田や牧山は、最近を見とるとちょっとアレや思うけど…」
 牧山ってのは、お嬢のことだ。
「…まあ研究会を見とったら、それぞれの得意で頑張ってきたんは分かる。他のいろんな人らだって、中島ほどじゃないにせよ、どっかで何かを頑張っとるんやろ。俺はそう思いたい」
 それで、先生の言葉は終わった。ウチが一番気にしてる人…ウチの後ろ髪を引く人の名前が出てこなかった。それが聞きたくて「他の人は」って聞いたのに。
「あの…でも、深雪ちゃんは…深雪ちゃんだって一緒に頑張ったのに、ウチだけこんな…」
 少し思い切ってウチは聞く。
「ああ。雨宮のこと気にしとったのか」
 先生は「なるほど」っていう顔をウチに見せたけど、すぐに考えるような表情になった。
「雨宮にも資格はあるけど…まあ、本人がそうする言うんやからなあ。それ以上は、本人に聞くんやな」
 それ以上?………もしかして、なんかウチの知らない理由があるの?
 たぶん考えすぎだと思う。でも先生だし、何か知ってるのかもしれない…聞こうかどうしようか迷ってるうちに、先生が先に口を開いた。
「そんなに気になるなら雨宮に付き合うて、今から一般受験に変えるか?頭が破裂するほど勉強せなあかんやろけど、する言うなら応援するで」
 それはウチには無理だった。
「…いいえ」
「せやろ。せやから、とにかく今は『中島にはAOを受ける資格がある』っちゅうことだけ覚えといてや。ほな、もう一回いくで」
「……………」


★サンプルはここまでです。これより先は、単行本『その場つなぎ』にてお楽しみ下さい!




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